うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

津軽海峡は公海:上空から

2024-11-24 09:00:00 | 名所

北上する飛行機で津軽海峡を見わたした。

本州の青森県竜飛岬の上空。その先には北海道の渡島半島南端が見える。

 

この辺りは太宰治の小説に出てくる。

 

さらに数分後、下北半島があらわれる。

恐山は緑がない。

そして下北半島の突端の向こうには函館がのぞく。

 

その距離わずかである。

ここは国際海峡となっていて、断りなくだれでも通れる。

ロシアや中国の艦隊も通過できる。

日本の生活圏のすぐ目の前。

当然、日本政府やたぶん米軍も監視している。

そして、函館山と市内がきれいに見えてきた。

魚介のおいしい観光都市でもある。平和な日本。

 

 

これだけ狭いので、日本の領海とすることはできるらしい。

ただし政府は公海と位置付けている。

 

その経緯はwikipediaにのっている。

「公海部分は核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる[注釈 5]。」

「これについて日本政府は「重要海峡での自由通航促進のため」と説明しているが、複数の元外務事務次官から得た証言として共同通信社が2009年6月21日に配信した記事では、1977年施行の領海法の立法作業に当たり、外務省は宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の計5海峡の扱いを協議し、1960年の日米安保条約改定時に密約を交わし、核兵器を積んだ軍艦の領海通過を黙認してきた経緯から、領海幅を12カイリに変更しても米国政府は核持ち込みを断行すると予測した。そこで領海幅を3カイリのままとして海峡内に公海部分を残すことを考案し、核艦船が5海峡を通過する際は公海部分を通ることとし「領海外のため日本と関係ない」と国会答弁できるようにした、と報じている[5]。」

 

こういう事態にならないことを祈るのみである。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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日比谷公園工事中:ユリが見ごろに

2024-06-23 14:00:00 | 名所

日比谷公園が工事中だ

緑の絵を書いた囲いが噴水の南にひろがり通行止めになっている。

いつもは芝生とバラが咲いているはずだが。

 

一部が透明で中をのぞけるようになっていた。

好奇心を満たしてくれる。

全部表土をはがして袋に詰めてあるらしい。

 

 

工事説明の看板によると段差をなくしてバリアフリーにするという

 

ついでに広場も増やすようだ。

明治神宮外苑のもめごとがあるからか、樹は残す、

または動かすが、一本も切らないとうたっている。

 

そんな工事の先に、ユリがたくさん咲いている。

まだ白いユリがほとんどで、これから色のあるユリが咲きそうだ。

 

ユリの遠景が新しくできた高層ビルなのはやはり東京の景色。

ちょっと寂しくもあるが、高原に来たような気分を一瞬感じさせてくれる。

 

足早に先を急ぐ人たちが多く、都会のオアシスは目に入らないのだろう。

今週からは都知事選の選挙カーも行きかうかもしれない。

咲き誇るユリは東京の時間をまとわず静かに咲くだけだ。

 

ではまた、ぶらり。

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松戸市戸定亭:水戸徳川の個人邸

2024-05-04 18:00:00 | 名所

水戸藩第11代藩主であった徳川昭武(将軍徳川慶喜の弟)が江戸川を越えた松戸に1884年(明治17年) に作ったお屋敷と庭園

慶喜や皇族たちがたびたび遊びに来たという。

松戸駅から歩いて10分ほどで入口につく。

 

坂を上るとひなびた門があるが、当時のものかどうかわからない

現在となりにある千葉大園芸学部のキャンパスも含まれていたそう。

相当大きかったそうだが、現在は母屋周辺しか残っていない。

昭和30年代まで子孫が住んでいたという。

多いときは20人ほどの使用人を使っていたが、経済的には楽ではなかったのだろう。

離れの建物などを切り売りしている。

その後、母屋も解体されて売られてしまった。

その家を探し出して再移築している。

 

昭武の趣味は写真撮影や狩猟、陶芸だったそうで、優雅に暮らした様子がわかる。

 

 

使っている木材も最高級品で、太く長い無節の柱に、扉は屋久杉の一枚板

 

庭はきれいに手入れされて緑がまぶしい

 

庭に出ると頻繁に常磐線の電車の音が聞こえる。

庭のすぐ下に線路が通っていてうるさい。

常磐線の開通を調べると、1896年(明治29年)。

日本鉄道により田端 - 水戸間が開通とある。当時は蒸気機関車。

うるさかったとおもうが、文明開化で発展の象徴で誇らしかったのかも。

一日に何本も通らなかっただろうし。

 

 

当時の優雅な生活に興味はないが、残っている優美な工芸品や居室のたたずまいを見ると、売却されなくてよかったと思う

それに、手入れされてこその価値、古いものは貴重であるが、維持管理は難しい

 

ではまた、ぶらり。

 

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偕楽園はまだ早かった:一張一弛

2024-02-04 19:00:00 | 名所

梅で有名な水戸の偕楽園は三大庭園の一つといわれる。

この庭園は弘道館とセットで徳川斉昭が1842年に作ったそうなので、後楽園や兼六園よりずっと新しい。(なのに3大庭園)

そんな偕楽園を学芸員の方の案内で梅まつり前に巡った。

 

斉昭は藩士の師弟に弘道館で勉強させ、疲れたら、偕楽園で遊べるようにとここを造成した。

大いに勉強するが、息抜きも忘れない。

一張一弛(いっちょういっし)というらしい。一張はしっかりと気張る。そして一弛で緩める。

大いに遊んでからでなく、一張が先である。

 

弘道館からここに来るには20分ほど歩く。

今は正門のようになっている東側の入口は当時なくて、本来は西側の門から入るのが正式という。

 

 

ここを入ると、左に孟宗竹と右にスギ林のやや暗い小径を降りていくことになる。

青竹が清楚だ。

ゆるやかなカーブの小径をしばらくすすみゲートをくぐると、開けた空間があらわれ、梅が並ぶ庭園にでる。

なかなかおしゃれな演出だ。

 

それが現在はおみやげ屋が並ぶ通りからいきなり梅林に入る。風情はない。

梅のソフトクリームをなめながら自撮りする観光客をかきわけ、梅林に入る。

 

正面には千波湖の見える一角に好文亭が立っている。

2階の広間から眺めると広々とした絶景が見える。

これが偕楽園の一つの見せ場という。

梅と松の先に広がる千波湖。

江戸時代は倍の大きさがあった。

 

梅はまだ咲いていない。

わずかに数本咲く紅梅に観光客が集まっている。

 

今年の梅まつりは2月10日から始まるそうだ。

よければぜひ水戸に足を運んでいただきたい。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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間宮林蔵生家:小貝川のほとりに

2024-01-21 11:00:00 | 名所

吉村昭の小説「間宮林蔵」をよんだ。

読み応えのある本だった。

戦前戦中は立派な成人として教科書にもなったそうだが、ここに描かれているのは生身の人間だった。人間臭い林蔵が描かれている。

 

そして、間宮林蔵は茨城県出身。

生家と資料館がつくばみらい市にある。

比較的近くなので車で行ってみた。

 

もとの位置は50メートル位はなれた場所だったというが、わらぶきの民家が保存され、そのわきにコンクリートの資料館が併設されている。

入場料はなんと大人100円。

資料館の内部は写真不可である。

小さな資料館だが、林蔵が測量に使った道具や北海道、樺太の地図原図の複製画展示されている。

父母にあてた手紙、伊能忠敬からの推薦状(国宝)などが並ぶ。

地図には数mmの小さな字(カタカナ)で地名が書かれている。

北海道の地名は今でも確認できる地名が並ぶ。

 

彼は間宮海峡を確認した後、アイヌに同行してアムール川をさかのぼり、清国の出張所まで行って歓待をうけている。

まさに探検家である。

出身は普通の農家だったが、才能を認められ江戸に出て、伊能忠敬に測量の指導をうけている。

北海道の地図作りや間宮海峡の発見などの業績を評価され、幕府に雇われた。

晩年には水戸の徳川斉昭や藤田東湖とも懇意にしていた。

 

 

250mほど小貝川上流にすすむと間宮林蔵の墓がある。

間宮の業績をたたえる石碑の裏に、小さな林蔵本人の墓と父母の墓が並んでいた。

 

 

多くの人にたたえられた間宮林蔵の業績と生涯であったが、吉村昭の小説の読後感はそんなに明るくない。

父母がなくなった後に一度だけこの実家に帰ったそうだ。その描写も寂しい。

65歳でこの世を去っている。

仕事人間で生涯独身だった。

 

 

関東平野の冬は晴天が続くのだが、今日はちょう雲が低く覆い、寒々としていた。

雷が鳴り、雨も降ってきた。

樺太の寒空を思わせる天気に、軒の低い間宮林蔵の生家はひっそりと数少ない訪問者を待っている。

 

ではまた、ぶらり。

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