うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

香取神宮:下總國一之宮 、檜皮葺の屋根がきれい

2021-02-27 12:00:00 | 神社仏閣

県境をこえてしまうが、利根川の対岸、香取神宮は鹿島神宮に近い。

成田方面への高速にのって佐原香取ICでおりてすぐ。

下の道でもすいていれば15分程度のようだ。

 

以前は特別な神社だけが「神宮」と呼ばれた。

それは伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮のたった3社しかなかった。

香取神宮も行くしかない。

参道は土産物屋がならび、どこも同じような観光地の雰囲気。

 

少し登って左に折れ、階段を上ると、社殿が。

檜皮葺がとても美しい。

 

古い神社で神武天皇18年に創基とある。

神武元年が西暦の紀元前660年とされているので、紀元前642年になる。

(この辺りの年代の議論は江戸時代から多事争論というwikipediaの記事)

正確な年はともかく、昔々からこの地にあったのだろう。

本殿や楼門などは元禄13年(西暦1700年)造営で国の重要文化財。

 

「ブラタモリ」では、鹿島、香取は北の蝦夷に睨みをきかせるために作られたと紹介されていた。

国家は最強パワーを置いたのだろう。

今でもパワースポットと呼ばれて人気がある。

 

お詣り後、駐車場へ向かう横の道を通ると、

天真正伝神道流始祖、飯篠長威斎(いいざさちょういさい)の墓への案内板があった。

将軍足利義政に使えたというので、1400年代後半ころの人。

道を左にそれて少し進むと、緑泥片岩の素朴な墓があった。

緑泥片岩は緑色をした広域変成岩で、庭石などに好まれる(三波石など)

(岩石を語るなど、ブラタモリのようになってきた)

この墓石の上部がばっさりと切ったようにかけている。

墓前には新しいヒサカキが供えられ、手入れは行き届いき、今も大事にされている。

 

 

ではまた,ぶらり。

 

香取神宮

35.886088, 140.528805

35.884820, 140.526633

 

 

 

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奈良公園のシカは茨城出身?

2021-02-20 14:00:00 | 神社仏閣

奈良の春日大社も、鹿島神宮と同じ「たけみかずちのおおかみ」が御祭神だそう。

そして、大社創設の際、「たけみかずちのおおかみ」は白鹿にのって鹿島神宮から春日大社に移った伝えられているそうだ。

なんと、奈良公園の鹿は茨城出身。

 

しかし、本家の茨城県では鹿が絶えてしまった。

神宮の名前の中にしか残っていない。

全国で鹿が増えて農作物の被害が深刻ですが、

茨城県に鹿はいないのです。

 

明治の頃には鹿が捕獲された記録があるらしいが、

神聖な鹿も気づいたらみんな食べられてしまい、茨城県から絶滅!したそうです。

最近になって、鹿が栃木県あたりから越境してきたらしいという話があり、森林管理署が調査したという記事が新聞にでていた。

 

鹿島神宮の一角には現在、網の中に鹿が飼われている。

奈良公園から実家に里帰りしたの?

柵の中なら農作物も食われまい。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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さざれ石:鹿島神宮

2021-02-13 08:00:00 | 神社仏閣

君が代に歌われる「さざれ石」が鹿島神宮にあった。

御影石の柵と国旗に囲まれて鎮座している。

比較的新しい。2006年奉納とか。

見えにくいが銘板には解説がある。

最後に君が代の歌詞

 

ネットで調べてみると、さざれ石は日本各地にあるらしい。

wikipediaによると有名なところで15カ所の神社に置かれている。

宮崎県大御神社が最も大きいという。

こぶし大の石が混じった岩石である。

地質学的には何かと調べると、堆積岩に属する「石灰質角礫岩」とあり、そう解説しているサイトが多い。

しかし、火山由来の「凝灰角礫岩」をさざれ石としている神社もある。

上記の大御神社は火山性だ。

角のある石が集まって、石の間が別の岩石でつながっているのをさざれ石と言うようだ。

石灰岩でつながっているか、凝灰岩でつながっているかの違い。

石灰岩派は長い年月をかけてつながったことを強調している場合が多い。

 

ところが、さざれ石は「細石」なので、ストーンショップなどでは水晶などのきれいな小石がセットで「さざれ石」として販売されている。

こちらはバラバラなので、さざれ石が巌とはなっていない。

若い人はそんなこと、ぜんぜん気にしないでしょう。

 

皆さん、各地のさざれ石に寄ってみてください。

コロナで疲れた体にはパワーストーンになるかもしれません。

 

ではまた、ぶらり

 

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鹿島神宮参道の突き当たり:御手洗池

2021-02-06 11:00:00 | 神社仏閣

遅ればせながら、3密をさけるためといいつつ、

茨城県の西部の鹿島神宮に初もうで。

「たけみかづちのおおかみ」がまつられているという。

日本書紀にも登場する神様らしい。

鹿島神宮は昔から「神宮」を名乗れた由緒正しき神社らしい。

明治までは伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3社のみが神宮と名乗れたそうだ。

 

鹿島神宮の境内の配置は少し変わっている。

ふつう参道をまっすぐ行った突き当たりが本殿だ。

鳥居をくぐり、スギが林立した参道をまっすぐ進む。

すると、坂を下って池に出てしまう。

 

地図を見ると、鳥居をくぐった参道の横にあったのが本殿だと知る。

 

池への坂を下る手前に小ぶりな社があり、奥の院だった。

これは徳川家康の奉納とか。

(茨城版のニュースによると、屋根などの修復のため、しばらく神様を移動してお休みになるそうです。)

 

鹿島神宮のwebには、突き当たりの御手洗池について

「1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。」との記述。

 

こちらが湧水口と思われる。

この量は40万リットルとは思われない。

底からも沸いているのだろうか。

 

昔はここで禊ぎしてから参拝したと言うことは、こちらが入り口だったのか?

 

帰ってからグーグルマップで調べると、

太平洋の鹿島灘に「鹿島神宮 明石浜鳥居(東の一之鳥居)」が海に向かってたっている。

鹿島灘から来て、この池で禊ぎをしたのだろう。

でも、西の一之鳥居というのが霞ケ浦にならぶ北浦の大船津(おおふなつ)というところにある。

これは現在の表参道と同じ道筋だ。

ブラタモリでは鹿島灘方面の船の参道を紹介していた。

いずれにしろ、昔、お詣りは船でやってきて、どちらかの鳥居をくぐって参拝したのでしょう。

歩くより、船が便利で速い時代の話です。

今のアウトレットが高速の出口に直結しているようなもの、と言っては失礼か。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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