吉村昭の小説「間宮林蔵」をよんだ。
読み応えのある本だった。
戦前戦中は立派な成人として教科書にもなったそうだが、ここに描かれているのは生身の人間だった。人間臭い林蔵が描かれている。
そして、間宮林蔵は茨城県出身。
生家と資料館がつくばみらい市にある。
比較的近くなので車で行ってみた。
もとの位置は50メートル位はなれた場所だったというが、わらぶきの民家が保存され、そのわきにコンクリートの資料館が併設されている。
入場料はなんと大人100円。
資料館の内部は写真不可である。
小さな資料館だが、林蔵が測量に使った道具や北海道、樺太の地図原図の複製画展示されている。
父母にあてた手紙、伊能忠敬からの推薦状(国宝)などが並ぶ。
地図には数mmの小さな字(カタカナ)で地名が書かれている。
北海道の地名は今でも確認できる地名が並ぶ。
彼は間宮海峡を確認した後、アイヌに同行してアムール川をさかのぼり、清国の出張所まで行って歓待をうけている。
まさに探検家である。
出身は普通の農家だったが、才能を認められ江戸に出て、伊能忠敬に測量の指導をうけている。
北海道の地図作りや間宮海峡の発見などの業績を評価され、幕府に雇われた。
晩年には水戸の徳川斉昭や藤田東湖とも懇意にしていた。
250mほど小貝川上流にすすむと間宮林蔵の墓がある。
間宮の業績をたたえる石碑の裏に、小さな林蔵本人の墓と父母の墓が並んでいた。
多くの人にたたえられた間宮林蔵の業績と生涯であったが、吉村昭の小説の読後感はそんなに明るくない。
父母がなくなった後に一度だけこの実家に帰ったそうだ。その描写も寂しい。
65歳でこの世を去っている。
仕事人間で生涯独身だった。
関東平野の冬は晴天が続くのだが、今日はちょう雲が低く覆い、寒々としていた。
雷が鳴り、雨も降ってきた。
樺太の寒空を思わせる天気に、軒の低い間宮林蔵の生家はひっそりと数少ない訪問者を待っている。
ではまた、ぶらり。