ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

健康が一番。

2012-09-09 08:51:30 | 日記
NO-229
みなさん、毎日更新出来なくてすいません。福島へ行き金曜日に松村と会って来ましたが、彼は相変わらずの忙しさで少ししか話が出来ませんでした。

先週の大雨で決壊したかも?と心配していたあの川の中に作られた柵は無事だった。重機で川の中を均し、先に瓦礫になるものを取り除いたからか?金曜日の川はいつもと同じ穏やかな顔をしていた。


水を飲みに行ったと思ったら、竹の根っこを噛んでいた。

牛たちものんびりゆったりと暮らしていて、何の心配もない状況のように感じました。いつも松村の柵は問題ないと思っている。その他の柵や牛小屋の牛たちの事で問題があるようだ。


あの大雨でほんの少しだけ元田んぼの柵に水が残っていた。

今度の土曜日と日曜日に、新しい柵の建設に入ると松村から聞いた。また大がかりな作業になるわけだが、僕は外された。色々な意味でへこんでいる。

先月に体調を崩し、いいことが無い。出るときには出るもので、胃で10日ほど苦しい思いをし復調したと思ったら、耳の後ろに大きなおできが出来、寝返りできない痛さで5日ほど苦しみ、金曜日には福島からの帰りに急患扱いで歯医者に直行。

情けないやら悲しいやらでホントにひどい状況だった。虫歯は一本もないのだが、歯覚過敏のひどいのが一本あって今まで薬を塗ってコーティングしていたのだが、猫だましのような処置であったのか?病院に行かないでいたら、3日前から少し痛み出していた。

おかげで前日の木曜日は痛みで一時間か二時間位しか寝られなかった。へこんで帰る僕にその歯が追い打ちをかけた。数か月前に「神経を抜かないと痛みからは逃げられません」と先生に言われていたが、それが嫌でしなかったけどあまりの痛みについに観念した。

3本の神経を抜いたのだが、3本目が悪さをしていて其処が炎症を起こし、ここは麻酔が効かなかったため痛みをこらえて抜いてもらった。この後土曜日も炎症していたところが痛み、土曜日は完全にバタンキュー。

そんなわけで今日、日曜日にブログを更新しています。みなさん、健康は宝です。痛みが無いのが一番です。今までほんと健康でいたから、先月の胃の痛みや耳の痛さや歯の痛みなど全く想像しませんでした。

今回の事で、全国のみなさんも元気で健康に暮らして欲しい!と本当に思った僕でした。









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山本宗補さんの本。

2012-09-05 08:53:25 | 日記
NO-228

ポニーのヤマも暑さから屋根の下へ。先週撮影

去年の3・11からもう一年半が過ぎていく。とても長い一年半に思えるが昨日、フォトジャーナリストの山元宗輔さんからメールをもらった。

山本宗補さんは、石松の誕生の時に立ち会ったジャーナリストさんで、石松の誕生の時の写真はかなりの反響があったそうです。強制避難区域で活動する松村の事をいつも色々と心配してくれる方です。

この一年半の山本さんの活動をまとめた本が発刊されると言う事で、紹介させて頂きます。その本の内容(山本様のメールそのままコピー)は

●悲しみと鎮魂の大地の圧倒的な写真群。家族を失った被災者三人の三様の心のヒダ。

●膨大な死者行方不明者の鎮魂と供養に取り組む僧侶三人の、仏教者としての感性と取
り組み。
(鎮魂1)小原宗鑑、岩手県盛岡市。(鎮魂2)佐々井秀嶺、岡山県出身インド在住。
(鎮魂3)高橋英悟、岩手県大槌町。

●立入禁止区域(警戒区域)30ページの写真群が大手メディアが伝えない原発事故の深
刻な実態を伝える。
●目に見えない放射線に抗い、東電や国に敢然と立ち向かう福島の6人の「個」の生き
様を伝える6本のフォトストーリー。

(抗う1)原発から14㌔の浪江町で生活しながら、牛の殺処分を拒否し300頭の牛を生
かし、生かす意味を問い続ける吉沢正己。

(抗う2)家も土地も失い避難生活を送りながら、脱原発を公約に大熊町長選を闘い、
中間貯蔵施設受け入れの署名活動を展開する木幡仁・ますみ夫妻。

(抗う3)原発から12㌔の富岡町の自宅に留まり、生き物に対する人一倍の愛情でペッ
トを助け、放れ牛を生かす松村直登。

(抗う4)全村避難となり、牛も農地も、村落共同体の絆も失った怒りと悲しみを、メ
ディア不信から自ら全国各地で訴える飯舘村の酪農家・長谷川健一。

(抗う5)国も県も取り組まない福島市の除染と汚染土の仮置き場を引き受け、ボラン
ティアを続ける住職の阿部光裕。

(抗う6)祖父の代から受け継ぐ酪農を廃止寸前に踏みとどまり、放射性セシウムを減
らすため、自家製のエサ作りに孤軍奮闘する南相馬市の酪農家・瀧澤昇司。

●「中通り」の子どもを持つ親たちの不安と抵抗。福島県民の広島入市被曝体験と長崎
入市被曝体験。「原爆写真家」と呼ばれた福島菊次郎の福島取材。原子力発電所導入の
きっかけとなったビキニ事件被爆者・大石又七の訴え。

●(抗う7)新宿で、福島で、官邸前で、代々木で、杉並で大きなうねりとなって広が
る「脱原発」を求める人びとの、主権在民の意思表示を10数ページで紹介。
(敬称略)

ここにアクセスして下さい。彩流社のホームページ(http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1818-0.html


浪江の吉沢さんや富岡町の松村直登以外の人たちの戦いもこの本で知る事が出来ると思います。是非みなさんにも読んで頂きたい。報道されていないことなどたくさん書かれていると思います。


最後までのんびり食事をする牛。

そんなわけで、今日はフォトジャーナリスト山本宗補さんの「鎮魂と抗い3・11後の人々」を紹介させて頂きました。

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あの川は?

2012-09-04 09:05:13 | 日記
NO-227
昨日も横浜は夜になって雷と雨で、熱帯夜から解放されて涼しい夜になった。強制避難区域の富岡町の雨はどのくらい降っただろうか?

あの川の氾濫はあったのだろうか?少し心配しているが、松村からの連絡がないので多分大丈夫だと思う。結構降ったはずだから心配するのは当然である。


先週の川の様子。牛たちは川に入り日陰で涼んでいた。


松村が重機を使い作り直した川の中の柵。


この6m鉄パイプの所にゴミやがれきが溜まると崩壊してしまう。

いつもは静かなおとなしい川なのだが、大雨になるとその様相を一変させる川で、いつも松村たちを翻弄してくれる。近いうちにまた見てこようと思う。

もっと知りたいのが、大雨洪水警報がでた9月2日の富岡町の雨で、あの枯れた井戸はどうなったかを聞いてみたい。多分、一回の雨じゃあ~だめだ!って言われそうだけど・・・


完全に枯れた問題の井戸。8月14日に空っぽになっていた。

被災地富岡で働く松村には、日々変化をしながら問題が起きる。その都度、変化に対応して解決していく彼には脱帽する。考える力があると言う事なのだが、平和ボケした日本人が多い中で彼は究極の暮らしをしていると思う。

今日のニュースで、放射能汚染物質をとちぎ県の矢板市にある広大な国有林に置くことを国が決めた。矢板市長は「寝耳に水で到底賛成出来ない」とのことだが、この国の政治は本当にこれでいいのだろうか?

国政が完全に壊れているようにしか思えない。候補地の首長と一緒に協議しないで「ここに決まりました。」なんてことを何故突然に言うのだろうか?理解できない。

僕は松村同様、原発反対である。爆発事故から1年6か月が経とうとしている今も故郷や自分の家に帰れない人がどれだけいるのか?みなさんに知って欲しい。

もしもまた、どこかの原発が爆発事故を起こしたら本当に日本が崩壊すると思っている。だから、僕は松村と共に、これからも原発反対を訴えていく。











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怒号と暴言と。

2012-09-03 08:23:05 | 日記
NO-226
昨日の夜、横浜に帰って来たが昨日は福島も午前中から時々、滝のような雨が降り横浜に帰って来た時も強烈な雷と強い雨で、乾ききった土もこれで少し潤うかも?

富岡町の松村の山からの湧水も涸れて、水受けの大きなバケツ(漬物用)2つが空だったのを思い出し、この雨で少しは以前の姿を取り戻してくれればと思った。ちなみに昨日の富岡は大雨洪水警報が出ていた。

3日ぶりの更新になるけど、今回はふるさと富岡町の住民説明会があり福島に帰ったが、大きな不満だけが風船のように膨らみ、どこにこれをぶつけたら良いのか?もういい加減にしてくれと言いたい。


9月1日会場になったいわき明星大学の構内にある児玉記念講堂を目指して歩く川崎からの住民。

今回の住民説明会は富岡町の区域見直し。帰還困難区域。居住制限区域。避難指示解除準備区域の3つに再編するとのことで会場に詰めかけた住民は、誰もがそれを知りたくて駆けつけたはずだ。

それなのに富岡町の遠藤町長は開会のあいさつで、「上下水道の復旧などのインフラ整備や除染などの問題を考えたら、とても6年は帰還宣言は出来ない!町会議員全員で決議したこの宣言どおり今後も戦って行きたい。」と・・・・・

これに対していわき選出の国会議員の吉田泉氏が、国の方針を説明しだし次に経済産業省から環境省へと長い説明が始まったが、この時点で住民は怒りを抑えられない人もいて、最後の質疑応答で彼らの怒りが爆発した。


国の機関の説明者。

「首長が帰せないって言っているのに国会議員のあんたは何を言ってるんだ!あんた同じ被災地の国会議員だろ!被災者の気持ちが分からねえのか?同じ仮設住宅に住んで住民の気持ちになってちゃんと仕事をしてみろ!」とか環境省のオフサイトセンターの担当者は、「オフサイトセンターの馬鹿野郎!お前ら言ってることがおかしくねえか?」とかTV取材のクルーが来ているのに大荒れの質疑応答になった。

僕は早々とこの会場を出た。この質疑応答を聞けば、この説明会が何の意味も持たない説明会であったことが分かるからだ。3つの区域に再編したい国と6年間帰還宣言をしないと決めた富岡町の遠藤町長との戦いがこれを決める。

だからこの先、どのようになるのか?全く分からない状況なのだ。今秋にも再編と言われていたが、当分は答えが出そうにないのではないだろうか?

僕の知人も神奈川県川崎市から福島のいわき市に、そして次の日の2日には東京の清瀬市から郡山の会場に向かった人たちも「何を信じていけばいいのか?全く分からない」とこれを嘆いていた。


体調を崩した僕に、義兄が取ってくれた宿。温泉につかってゆっくり休めと・・・これが一番嬉しかった。

こんな説明会もないよなあ~。こんな説明会ならやらねば良かったのに・・・本当にがっかりしたのは駆けつけた住民で、僕が出席したいわきの会場では1400人余りの住民ががっかりして帰ったと思う。これからこんな事でも書き続けて行こうと思います。













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