色んな話を聞いて。
ああ
信じて
愛して尽くして
あっさりと衰えれば捨て置かれる
それは大抵女性だと思ってたら
そんなこともないのだと実話を聞き
なんとも人の世の恐ろしさを肌寒く聞きました。
悲しかった。
当人は最後まで気づかず
幸せな感情に置かれるわけですが
その間幸せならばそれもまたいいのではというと
相手はうまい距離感取っているからと
友はそれを見て最後は後始末ばかりしなきゃならないらしいです。
悲しいなあ。
放置できずにそんな愛の後始末をさせられる友も大変だけど。
もしも私が同じ環境に置かれたら
私の性格ならきっと同じことするよと友から忠告されて。(笑)
そんなことするかなあ?
確かにお人好しというか見てられない母性みたいなものは隠れてるけど
そんな環境は今はないからいいでしょう。(笑)
けれどもどんな人にも
おるごーる聴いて
少しでも癒やされていただきたい。
よく昔亡くなった父に言われたものです
甘えられないがんばる私は
おそらく本気で愛されはしない女性としては損な性格だよと。(笑)
けれども想うのです。
それは違うなあって。
愛のカタチはそれぞれ。
大切に想われるカタチもそれぞれ。
年齢も環境もそれぞれ
愛の形も異なります。
親子の愛
友への愛
恋人への愛
いろいろそれぞれあっていい気がします。
なんだかみんな
ヘンテコなひな型をつくり
当てはまらなければ不幸だと想う癖があるようで
私も振り回された時期があったけど
結局は
穏やかに
大切に想うという丁寧な感情が
一番心地いい。
別に若い頃みたいな激しい熱い感情がなくても
子どもたちや周りのいろんな人たちの幸せを願えるような
穏やかな優しい時間こそ
愛の溢れる時間だと想います。
こんなことを考えたのは
夕べ珍しくあるオペラのあらすじを見ていたからで
滑稽で悲しいそんなあらすじを
歌で彩るオペラの世界は
本当に素晴らしいものだなあと感じておりました。
妙に教義的でもなく
笑い飛ばしたり哀れんだり
ほくそ笑んだり
短い上演時間の中で
人の人生の機微の様々な凝縮を見せる
そして魅せるということは
本当に大変なことなのだなと感じました。
人は結局
何千年歴史を刻んでも
根っこは同じで
平安時代の紫式部の想いとか
清少納言のつぶやきは
現代語訳すればもう目の前にいる女子だしなあ。(笑)
私はオペラのアリアとか
歌が好きです。
詳しくはなくても
涙が出るほど好きな歌もある。
そんな歌が歌われるオペラのあらすじをたまに確認して
その舞台を想像したりして
そんな舞台芸術みたいな世界も作ってみたくなったりする。
人生の縮図のようなオペラの世界とは少し違うけど
何らかのストーリーを持つ
幻想的なメルヘンの世界も作ってみたいなあと想います。
ああ
神戸から戻ってもすぐに作りたくなる私は
ある意味ビョーキなのかもしれません。(笑)
おるごーるを媒体とする創作への
大きな大きな片想いをしている私は
その表現に向かい
情熱注いで行きたいと想っているんです。
私のひとつの愛のカタチが
そこにあっても構わない気がします。