新工房の
あの場所があたたかい理由の一つを
あそこに住んでいたおばあちゃんのお孫さんの話を聞いて
すごくわかりました。
入ったところの横に小さな黒板がありました。
お孫さんたちがそこに落書きして遊んでたと。
ふと
自分の母方の祖母の住んでた家を思い出しました。
いとこたちと遊んだ路地。
ゴザを敷いておままごとした場所。
お地蔵さま。
たまにそこを通りますが
今はその場所はアーティストさん3人住んでおられます。
母の育った場所でもある。
そのうちの奥に機屋(はたや)があり
そこで祖母は毎日職人として手機を織ってました。
金襴の本願寺さんのお坊様の衣になるのを織ってました。
その横で私はよく座ってた。
一枚だけ祖母の機を織る写真があります。
この前その路地を通ったとき
うちの前まで行きました。
いとこたちとの思い出のある家。
今はアーティストさんたちのアトリエになってます。
昨年
テレビの京都知新という番組で紹介されていた。
懐かし路地
お地蔵さま。
タイル張りの「はしり」(台所)
懐かしい柱や座敷の作りはそのまんま。
3人のアーティストさんがアトリエにされていて
一階奥の祖母の機屋は金属アクセサリーのアーティストさんの加工場になってました。
懐かしかった。
調度品などはすっかり違うのだけれども
そこにある柱や梁には
そんな思い出が残ってた。
そのことを思い出しました。
今の私の工房も
昔父の織機が置いてあったところ。
1枚だけ写真が残る。
小さかった次男がちょこっと座ってる。
父が撮ったのか。(笑)
100年を超える織屋町家。
狭いがそこが今の私の工房になった。
今度の工房も
そんな子どもたちとおじいちゃんおばあちゃんの思い出の場所でした。
そうだったんだなあ。
だから
柱や壁や天井がその記憶を残していた。
だからあたたかかったのか。
お孫さんの話を聞いて
なんだか嬉しくなりました。
いい作品作れそうな気がしました。
祖父母のうちは
アーティストさんたちは
叔母や叔父が懐かしさで覗きに行ったとき
どうぞ入ってくださいと中を見せてくださったらしい。
私も玄関まで行った。
アトリエとして創作の場となってる玄関。
中に入る勇気なかったけど
今も創作の場となってることを想うと嬉しかった。
中身が変わったとしても
そこがまだ息づいていることが嬉しかった。
きっと同じ想いなのかな。
京都の伝統工芸や芸術家の紹介される
内部が紹介されたとき
私はついつい見入った。
教えると
伯父や叔父叔母、母やみんなが
懐かしがった。
いとこたちも。
お正月やお盆に集まった場所は
身体の中に染み込んでた。
きっとそうなのだろうな。
調度品などは住む人により変わるけれど
柱などは幸せを記憶しているのだ。
寂しがっていた家が
この前当地の皆さんが
色々手伝ってくれたとき
家が笑ったのだ。
また血が通うようなあの様子は
家が笑ったのだ。
そうだったのか。
あたたかい場所にしようと想いました。
家は笑い
そうして守ってくれます。
でも
家主の、お嬢さんであるその方は
風のあとりえの開設を楽しみにしてくれてます。
不思議なご縁で繋がった。
私はまるで引き寄せられたようにトントン拍子でした。
家に呼ばれた気がします。
今船を作ってますが
調子出てきました。
三部作で
今のは冒険の船
次のは海賊船
そして最後は
現代方舟。
段階を踏もうと想います。
注文の完成はまもなく旅立ちますが
これらの船の三部作は
海を感じるたび広がる。
育って行きますね