昔九州に初めて来た時に第一号のお客様となってくれたのがみそらママで
今では大切なお友達。
彼女は出会ってそれほどたたない時に
いつ来る?泊まる?と、言ってくれて
私が博多や福岡の各地に詳しいのは彼女が連れ回ってくれて街歩きもたくさんしたからです。
国東に初めて渡った時も
涛音寮の離れとか、後は初めてのMさんちとか泊めてもらい
とにかくすごく親切にしてもらい
九州ってすごいな~。と、ビックリしたことです。
京都では友人でもお泊まりなんて事はほとんどなく
私等は空気読めないので
遅くなったら泊まっていきよし〜。と、言われてその気になったら
ホンマに泊まらはるのん?となる。
たとえ一泊泊まったとしても
またねと言われても
えー?と想われるのは当たり前で。
京都にいた時私の実家で泊まったのは
長崎出身の人とか
大阪出身の人とか
海外育ちの人くらいで
京都の友人は決してお泊まりなんてしなかったです。
私はもちろん出張や旅などでは気楽なホテル暮らしが好きですけど
不思議な事に九州ではちょっと事情が違って
うちでどーぞと言われたら素直にありがとう❣とお泊りします。
不思議な感覚です。
母などは生粋の京都の人ですから
「信じられへんわ。言うてはっても、それ、本音なん?後で裏で、厚かましいわあ、また泊まらはって、って言われてるんと違うのん?あんた、アホやさかい気ぃつけよし」
と、言われる始末です。(笑)
京都で山科に一時期住んでた時も
博多出身の若い子達がビール下げてやってきてよくお泊りして帰ってた。
子どもたちも遊んでもらい楽しそうでしたね。
「おでんがそろそろ食べたくなった!」とかいろんなリクエストされましたけど
弟みたいで面白かったです。
そんな私は京都では変わりモンかもしれませんけど
気心知れた人ならいいじゃないかと思ってました。
誰も彼もじゃないから。
私は中学生くらいの頃から実は夢がありました。
いつか自分の基地のような所で
それこそおるごーるや絵画や絵本等を展示して
あたたかい空間で癒やされてもらう場所を作れたらいいなあと。
だから絵本をコツコツ集めたりもしましたし
東日本大震災の時に絵本を寄付したりしましたのでかなり減りましたが
それでもおるごーるや絵本等のあたたかい空間はいつか作りたいなあと思ってました。
ここの空間は第一歩。
私は基本たとえば責任持って見てくれる人たちがおられますから
安心して自分は作品作りして
来られた方は説明求められる以外は
自由に過ごされるのがとても嬉しいです。
穏やかな時間が流れる空間を作ることは私にとっては一生の夢でもあります。
もちろんこのあとどう展開させるかはわかりません。
ここは特別な場所なので国見の地ではまずはそういう場にしたいです。
後は少し交通の便のいい場所で小さな展示場できたらなぁと密かに想っております。
できるできないは別として私はいつも夢見る夢子ちゃんですね。
夢見るだけではいつまでもできないから
まあよっこらしょ〜!ってコツコツ動いておりますけど。(笑)
苦痛を伴うものではなく
楽しくて仕方ないなあと想えるように私は動きたいです。
昨日テレビのポツンと一軒家で
ある奥さんが
嫁いでから借金を返済するために凄まじい程の仕事を全国周りされたと、その大半を仕送りされたと話されてましたが
輝くような笑顔で。
そんな事もみんな楽しんでおられるし
年をとってもいろんなことに限定しないで明るく
大変でしょうねと言われたら本心で、楽しい、と、笑っておられました。
美しい笑顔だなあと感動しました。
人生いろんなことがあっても
ああ、こうして楽しんでおられる姿は素晴らしいなあと
見ている自分も嬉しくなりました。
いろんな事を愉しむという事は口で言うのは簡単ですし
言葉でまずはきっかけやモチベーションをと講習受けたりする人もたくさんおられますね。
私は講習とかは、無理で。(笑)
勉強とか講習は苦手なたちでして。
失敗しても頭打っても自分で失敗したことは身につく、と、信じていて
恥ずかしいかもしれない
カッコ悪いかもしれない
それでも獲得するのは掛け値なしの本物だ❢と、胸を張れると想うんです。
人に笑われることは一瞬。
それからまた学べばいいし
そこから軌道修正したらいいし。
離れる人は追わなくても別にいいし。
人に認められたいとか良く想われたいとか言うのは人なら仕方ないです。
それがない人なんて余程でない限り嘘だと想います。
よく、こんな身分にするから、等の提案されたりも昔から色々ありましたが
それに向き合うと失敗します(私は)
甘言はおやつ、って想ってます。人生のおやつ。
甘言にはその裏に裏打ちされた努力や経験が必要だし
その認識の上だけで成り立つもので
何もない所には存在できるわけがないからです。
何でも原因があって結果が生まれますね。
たとえばあなたを会社の要職に、と、サラリーマンの方がいきなり言われたとしても
それはどのような責任が生じどのような経営に対する理解があり
どう動かねばならなくなるか
それよりも会社の概要や状況はどうなのか、とか
本当に思い切り大変な事が待ってますね。
自分だけの事ではありませんから。
単純に喜べませんね。
すごくしんどい事です。
何でも自分の事とか利益だけを考えたら周りは縮小しますが
私は自分のスガタ
そのまんまの能力や包容力の小ささを知っているからこそ
毎日毎日コツコツするし
自分の心のスガタを一番知ってるのは自分なので。
友人が社長して従業員さんの生活も支えて
赤字をV字回復までにされたその努力やしんどさを見てました。
彼女の動きや努力はまさに社長という立場に値します。
簡単に真似できません。
人は自分のできることを精一杯していればいいかなあと想ってます。
それこそ若い日に教えてもらった
天が見ておられる
それを今頃になってジワジワと感じる日々です。
私は未熟なところだらけ。
知らないこともたくさんたくさん。
知る必要のあることは若い人にも頭を下げて教わりたいです。
身の丈を知ってコツコツです。
叱られて知ったことは
卑下もせず尊大にもならず。
そのまんま
そのまんま。
毎日自分に言い聞かせています。
失敗大魔王なので。(笑)