Tokkoちゃんの気まま日記

感じたままに~ 心のままに~ 好き放題書いてます

病気続き

2019-02-09 21:01:22 | 母便り
 原因不明の熱と体の痛みを訴えていた母は、づっと飲んでいた抗生物質の減薬中に
A型インフルエンザに罹患した
それもやっと熱が下がって来たと思ったら、またもや高熱が出たと知らせが有った
「肺炎の可能性が高いので、明日の午前中に大きな病院でレントゲンを撮りますが
肺炎の場合は、入院になりますのでご家族は直ぐに手続きに来て付き添って貰います」
そう言われた
その電話が有ったのは、これからパンを焼こうと言う直前

 正直、肺炎ならば命に関わると解っていた
今晩にも急変する可能性も有ると思うと、パンどころでは無くなった
夜8時、電話が鳴った
ドキッとして慌てて電話を取った
「私〇〇会社の〇〇と申します」
も~~ビックリするじゃない!
「大切な電話が有るかもしれませんので切りますね」
セールスの電話と解り、切らせて貰った

 次の朝も、何時連絡が来ても直ぐに病院に行けるように身支度した
朝から出掛ける主人に
「貴男が帰宅前に電話が有ったら、タクシーで行くからね」
と言って置いた

 ジッと時計と睨めっこ
電話が鳴らないなぁ~と思っていた11時半頃、電話が鳴った
慌てて受話器を取る
なんとテープで一方的に流れる自動音声
「〇〇ガスにするとお得です」
と電力会社からの勧誘メーッセジが流れる

 主人が心筋梗塞で入院中を思い出した
電話が鳴るたびに、急変したのではないかと動悸が激しくなった
病人を持つ家庭には、勧誘電話は酷だ

12時半に主人が帰宅
「まだ連絡が無いのか?」
と訊かれる
「可笑しいよね・・・もう診察時間も終わった筈なのに・・・」
取り合えず昼食を済ませ、施設に出向いた

 私の顔を見ると、連絡を下さった職員の方が
「すいません、付き添って行った職員から何も連絡が無くてこちらも心配しています」
と言う
「では私達も病院に行ってみます」
と言うと
「そうして頂けたら助かります」
との返答

 病院の受付で母の名前を言い、まだ診察中でしょうか?と尋ねた
「あ~その方なら点滴中です」
と答えが有って、部屋に案内された

 病院まで付き添って下さった施設の職員さんも居た
「母は肺炎では?」
と問うと
「すいません、それが同じA型でもタイプの違うインフルエンザに再度罹患されています」
そう言われて驚いた
確かにインフルエンザはA型でも種類の違うものに、再罹患するとは聞いていたが・・・

 インフルエンザとなると、迂闊には近づけ無い
少し離れた所から
「お母さん~しんどいね~大丈夫?」
と声掛けをした
最近の母は、おじさんの事を聴かなくなった
「〇〇さんは?」
と主人の事を聴く
「一緒に来てくれたよ」
と言うと
「〇〇さん、何時も迷惑かけてすいません」
と、か弱い声で言う
「お母さん、大丈夫ですか?」
主人の問いかけに
「早くベッドで寝たいわ、椅子のままはしんどい」
と答えた

 付き添って下さっていた施設の方に
「申し訳ありませんが、宜しくお願いします」
と言って、一足先に病院を出た

 去年の大晦日から、づっと熱に悩まされまともな食事も摂れていない
施設からの書面で、母の身長は148㎝と書いて有った
体重は大幅に減って、45kgくらいだそうだ
「お母さん、そんなに小さくなかったのにね」
と主人に言った
きっと圧迫骨折等で、小さくなってしまったのだろう

 大きな持病も無かった母は、きっと長生きするだろうと思っていたが
主人の父・私の父・母の姉・・・皆、90歳の壁が越えられ無かった
母は、この大きな壁を越えられるだろうか・・・・

A型インフルエンザ

2019-02-03 09:44:03 | 母便り
 私の留守中に、母がA型インフルエンザに罹患したと連絡が・・・
沢山の職員さんや面会人の方が出入りし、入居さんも病院通いをする
持ち込まれない方が不思議だ

 インフルエンザの潜伏期間は、早ければ24時間以内に発症
遅い場合は1週間後の可能性も有るそうだ
母も今年は88歳になる
インフルエンザでも軽くは考えられない

 来所されても面会は出来ないと言うので、看護師さんに電話した 
原因不明の炎症反応と発熱で、抗生物質を飲み続けていたが
丁度、減薬が始まって6錠が2錠になった所だった
2錠でも飲んでいたので、却って高熱が出ずインフルエンザを疑うのが遅れたようだ

 私も病院で、大声で
「俺、インフルエンザに罹ってな~酷い目におうたわぁ~」
と話す男性が近くに居た
そっと席を移った

 その後も高熱が出ている子供を連れて来院された方は
すぐさま奥に通された
所が、血圧を測りますと言われ処置室に入ると
なんと、その親子が傍のベッドに座っていた
お~~~い、勘弁してよ~~と思った

 息子が小さい頃、健診で訪れた小児科でおたふく風邪の子供さんとすれ違った
そして何とその直ぐ後が息子の順番
ご本人は居なくても おたふく風邪 は残っていた
息子が発病し、私も発病した
 
 おたふく風邪の予防注射をしていた息子は、軽い症状で収まった
ホッとした所に、私のほっぺが腫れ上がって来た
水を飲み込むのも痛みが走り
食事処では無かった

 母曰く、3人も子供が居れば
どの子が何の病気をして、何の病気はしていないかなんか覚えてない!
あんたは、おたふく風邪をしてなかったのね~
でもYちゃん(末の妹)で無くて良かったぁ~と宣った

 何でわたしやったら良いねん~~~と腹が立ったのを覚えている
母のインフルエンザで、また腹の立つことを思い出してしまった

一通の手紙

2019-01-23 22:54:20 | 母便り
 封筒は事務的なものだし、字も直筆では無い
しかし内容は、とても私的なものだった
貴女様 とかではなく 私的 な私の名前で呼び掛けてくる

 流石に 家族になる会社 なのだと思った
お逢いして、様々な事柄を処理していきたいと書いて有った

 日にちが差し迫っていて驚いた
丁度、胃カメラの日に当たるので検査後の体調に自信が無い
主人に相談したが、主人も立ち会ってくれることになった
体調が悪くても、主人が助けてくれると言う

 恐らく、おじさんとゆっくり話すのも最後になるだろう
おじさんには黙っていた事も有る
母が何故あんな早く、特養に入れたのか・・・・・・
私はおじさんに話さなかった

 母が施設に入ってしまう迄は、母がおじさんから責められてはいけないと思い
母が施設に入ってからは、もう今更言っても仕方ないと思ったから

 母がおじさんから言葉の暴力を受けていると、ディサービスで訴え
私にも聞き合わせが有った
ディサービスの送迎の方からも、証言が有り
母は、他の方が何年も待っていらっしゃるのをしり目に
申し込みから僅か3か月で入所した

 手紙には、おじさんが施設に入った後も
母の施設に逢いに行きたい希望が有るとも書いて有った
それなら何故母に酷い言葉の暴力を浴びせたのか・・・・・

 今日、ニュースで聴いた
72歳の夫が、7歳ほど年上の妻を絞殺
死体を遺棄
体調の悪い妻の世話を良くしていたのに、と近所では驚いた様子だった

 介護とは、思う以上に過酷な戦いなのでしょう
名古屋の叔母も言っていました
何度も「もう嫌だ!」と思ったと・・・・
叔母はそう言いながらも、遣り切りましたが
誰もがそう出来るものでは無いと言う事ですね

柔らかな手

2019-01-20 09:56:19 | 母便り
 母の熱や炎症反応の原因が解らないままになっている
施設の顧問を務める内科医は
「ご家族がこのままでは心配だから直ぐに総合病院等を受診したいと思うなら、そうして貰えば良いと思う」
そんな回答だったそうだ

 高齢者の場合、例えそうして原因を突き止めても結局は病院は何も出来ない場合が多い
つまり、母を病院に連れて行き、長時間待って様々な検査を受ける
それで原因を突き止めても、手術も出来ないだろうと言う事だ

 主治医の仰る意味は良く解る
父親がそうだったから・・・・・・
大腸に大きな癌が見つかって、熱や食欲不振の原因は突き止めた
しかし、手術には大量の麻酔薬を使う為に体力が持たないだろうと言われた
抗がん剤も90歳近い人には投与出来ないとも言われた
つまり、原因が解っても治療の道は無かった

 母も検査で疲れさせ、病院でインフルエンザでも貰えば逆効果になる
父を見守ってくれた妹は、点滴に連れて行ったらインフルエンザを貰って
父の死期を早めたのではないかと思ったと言う

 三人で昨夜話し合った
私は貴方達が、直ぐに病院に連れて行き検査を受けさせて欲しいと言えばそうすると言った
しかし妹達も、主治医の言わんとする事を理解できたようだ

 結論は
「今は見守ろう」 だった
主人の父・私の父も 享年89歳 だった
母も丁度、その命の山に差し掛かっている

 昨日、看護師さんと話し合った後 母の部屋に行った
「来てくれたん~」
そう言って差し伸べた母の手を握ると、とても柔らかかった
「お母さんの手、柔らかいね~羨ましいわぁ~」
と私が言うと
「なんもせんと寝てるだけやからやぁ~」
と笑う

 おじさんをもう許そうと決めた事で
母の事もとても素直に、愛おしく思えた
高齢になり、施設で暮らす寂しさを思い遣れた

 忙しい・疲れた を口実に余り訪ねて遣れなかった
この命の山を越えられるかどうかは解らないが
出来るだけ沢山、この柔らかな手を握って上げたい

母のアクセサリー

2019-01-17 20:30:58 | 母便り
 おじさんから、母の鏡台の引き出しに入っていた物が届いた
チェーン同士が絡まって、グチャグチャの状態だ
しかし本物の貴金属は全く無いのは解る


 色褪せて嵌めてあったガラス玉が外れて無くなっていたり
片方しか無いイヤリング 留め金の無いブローチ
ネチャネチャになって他の鎖とくっついているものまで有る

 家族になる会社の代表が来られて、話をさせて貰ったとき
私は2つ程お願いをした

 一つ目は、おじさんがもし施設に入られるなら荷物は何一つ残さないで欲しい 家電や家具も新しくても要らない
      ただし、妹から頼まれた事で「預けたお雛様と五月人形は処分から外して欲しい」
 
 二つ目は、母の洋服やアクセサリー・毛皮・着物も要らないが帯だけ欲しい(帯なら姪っ子が使えるから)
      もし母が以前買った スイングダイヤモンド の指輪が有れば姪っ子に遣って欲しい

  4年前に私達の父が亡くなった時、いわゆる 家財整理 をした
家具・家電・衣類・溜め込んだ返礼品の山・・・・・・
その処分に、十数万円を支払った経験が有るので
もしも 善意からで有っても物を残されると困ると解っていたから


 しかしそうお願いしたにも拘らず、グチャグチャのアクセサリーが届いてビックリ
「こんなものでも、勝手に捨てるなよ 妹達に見せてから処分を決めろ」
そう言う主人の言葉に頷く 
ご尤も様です

 母は良く言えば お洒落で着道楽 悪く言えば 浪費家
に見えていたが、アクセサリーは全てフェイク
冠婚葬祭に必要な 真珠 さえ持っていなかった事に驚いた

 私が スイングダイヤモンドの話をした時におじさんから言われた
「あんたは、サファイヤか何かの指輪を貰ったろう~」
「サファイヤのような高価な物は貰っていません、私が貰ったのは水晶です 紫水晶アメジスト
私の父が母に贈った物だったので預かっています」
私達の父が母に贈ったものが、行方知れずになるのが残念で母に頼みました

 ではスイングダイヤモンドはどうなったのか・・・・・
私の思い違い・・かもしれませんし
「渡す渡さないは、おじさんの自由だ」 と言う主人の言葉通りですので
無ければ無いで、それで何も差し障りは有りません

 身辺整理を始められたようなので、何処かの施設に決められたのか?
と思ったが、ただボチボチと片付けを始めている~と仰ったそうだ

葛藤

2019-01-15 10:46:40 | 母便り
 或る日、主人にこう言われた
「おじさんの事で、ケアマネから何か話が有るらしいぞ~」
日にちを指定されたが、仕事が有る
主人も唯一楽しみにしている日と重なって、留守
主人は、出勤前の早い時間ならと言っておいてくれた

 当日、ピンポンが鳴って出てみると其処には大柄な一人の男性
あれ?誰だろうこの人・・・・
てっきりおじさんのケアマネさんだと思っていたのでビックリ
名刺を出された
主人の思い違いで、話が有るのはこの男性だったようだ
それが 家族になる会社 の代表だった

 パンフレットを差し出された
おじさんと契約したので、挨拶に訪れたと言う
成る程~そんな会社が出来始めて契約をしたんだぁ~と驚いた

 おじさんが体調を崩したのを切っ掛けに、母への態度が一変し
目に余る態度を取り出したのは、2017年の夏頃からだった
母に大量の精神安定剤を飲ませたり
母がトイレへの付き添いを頼んでも知らん顔をするようになり
何度も転んだ母は、圧迫骨折で苦しみ始めた
そんな母に「一々トイレに連れて行けとか、しつこいんや
パンツに何回かしたら替えてやる言うてるのに」
等と暴言を吐くようになった

 その頃のおじさんは、私から見ても母を重荷に思っている事が顕著に成り始めていた
まず母を見る事 それ自体を嫌がり始めていた
自分が体調を崩したことで、一挙に母への嫌悪感が噴出したのだろう
人間として、そんな感情が湧き出る事は十分に理解できた

 しかし私は思った
普通の夫婦ならばその気持ちを理解し、同調して上げられる
でも おじさん達は違うでしょう! と~~
母とおじさんの自分勝手な行動で、周りの人達がどれだけ被害を受けたか・・・・
それが解っていたら、こんな態度は許されるものでは無い筈

 「おじさんも頑張って下さっている」
そう思っていた私の信頼感は一挙に崩れた
薬の大量投与も、わざとでは無かったと言う言葉が怪しくなった
単に煩いから薬で大人しくさせていただけなのではないか・・・
おじさんの人間としての感情は理解できても
それイクオール、仕方ない感情 と許す事が出来ない
どうしても 理不尽 だと怒りが湧く
自分達が遣った事の責任を取りなさいよ~~と

 嫌な奴だなぁ~とそんな自分に嫌悪を感じながらも
おじさんへの腹立たしさが収まらない
母とは離れて暮らす妹達との温度差を感じ始めたのもその頃からだ

 穏やかに 穏やかに 腹を立てず 優しい気持ちを持ちなさい
例えおじさんがどんな人であっても、酷い態度を取れば心苦しくなる
そう思うのに、ドンドンかけ離れていってしまう

 おじさんが 家族になる会社 と契約したのも
結局、私が自分からは一番言いたくなかった事を伝えたからだ
その心苦しさを妹に伝えると
「仕方ないよ、何時かは誰かが言わないといけない事だったし
今は何を思われても憎まれても我慢しないと~」
と言われた

 じゃあ~貴女が言いなさいよ~~とまたまた思ってしまった私でした 

新しい職業

2019-01-14 09:17:29 | 母便り
 会費を取って 家族 になる会社
そんな職種が出来たのは、高齢化社会 になり
家族の絆が希薄になり、頼れる人の居ない高齢者が増えた
今の日本ならではの職種だろう

 実は私もこんな会社が実在することを知らなかった
頼れる身内の無い人は 後見人 を家庭裁判所に任命して貰える と其処迄しか知らなかった
しかしこの 後見人 は、手術などの同意書も書けないと聴いていた
それでは高齢者が手術を受けるとなれば、誰が同意書を書くのだろうか?と疑問だった

 そんな不安を一掃するのがこの 家族 になる会社
一般社団法人で、会員を募る
会員の最大数は決まっている
入会には、百数十万円の可なり纏った金額が要求される(会社によって金額は違うと思う)
入会後も毎月の会費と年会費は生きている限り払い続けなければならない

 しかし、入院や施設に入居時も 身元引受人 になり
手術時は、病院に出向き同意書を書き手術の立ち合いもする
亡くなれば葬儀の手配から財産の分配まで、本人の希望に基づいて行われるそうだ
入会金はその手数料と葬儀などの預託金なのだ

 其処でちょっと不安なのは、その 家族 が途中で消滅しないか・・・だろう
施設を運営する会社が破産して、家を売り払ったお金で得た
「終の棲家」 を追い出された高齢者の実例も有る
この種の会社が、これから実際に力を発揮するのか
経営難に陥って、会員が路頭に迷う事になるのかはこれからだろう

 会員になって、実際に頼りたい事態になるのは数年後
いや数十年後なのかも知れないのだから~~
其の時に 家族 が消滅していたら事態は深刻になるだろう

 私がこの新しい職種の会社を何故知る事になったのか・・・・
それは私にとっては、やはり辛い選択に関わる事が有ったから

 今年になってブログを再開した時
「日記だと思えば良い
後になって読み返し、自分の心と向き合えるかもしれない」
私はそう書いた

 今日、2017年と2018年の母とおじさんに関するブログを読み返した
やはり書いていて良かったぁ~ と思った
其の時の事情や自分の感じた事
それが怒りで在ったり諦めで在ったりはしても
自分に言い聞かせるように
「後、少し頑張ろう~」と思っていた事を思い出せた
今書いているブログも、読み返す日が来たら
きっと後悔もあるだろうけれど、其の時の自分と向き合えると思う

今日も病院

2019-01-12 16:29:09 | 母便り
 年が明けて4日、以前にもお世話になった病院の整形外科に行った
でも予約が無いから一体何時になったら診てもらえるやら解らない状態
先にレントゲンだけは撮って貰った
施設の主治医からの紹介状で、転んだ事は伝わっていたようだ

 2時間が過ぎて、立っているのが辛くなったが座る場所が見つからない
空いた椅子が有っても、母のリクライニング式の車いすを横に停められる場所で無いと座れない
遂に腰が痛くなって、少し離れた救急受付の辺りの椅子に座った
主人には空いた椅子に座って貰っていたから、番号が呼ばれたら主人が知らせてくれるだろうと思う外はない

 暫くして、整形外科の待合の椅子にも空きが出始めてやっと移動
母は 「入院しないよね~入院しないよね~」 と繰り返し聞く
うん!入院しない なんてうっかり言うと後が怖い
「まだ診て貰ってもいないから何も解らないのよ」 と繰り返し答える

 やっと呼ばれたが、診察は5分
膝に水も溜まっていないし、腫れもさほど酷くは無い
レントゲンを診ても骨折も無い
「徐々に痛みも引いて行くでしょうし、痛み止め以外には処方は無い」 との事だった
それでも年末からの心配が解消したのだから一安心だと思った

 そして数日、仕事終わりに迎えに来てくれる主人から
「また電話が有ってなぁ~やっぱりもう一回病院に行って欲しいらしい」
またまたそのまま施設へ直行・・・・・・
その日、仕事で痛めた足が痛くて正直早く帰って休みたい・・・と思っていたので気分が凹んだ

 看護師さんの話だと、熱が高い時は38度を超えるらしい
血液検査でも、血小板や白血球の値が高いのでやっぱり炎症を起こしている筈だと
体を触ると、彼方此方が痛い痛いと訴えて動かすのも一苦労らしい
其処で施設の車の手配をお願いして、再度受診することにした

 それが今日
今回は事前に予約電話を入れたのが功を奏して、待つことなく受診できた
でもやっぱり5分で終わった
「前と同じです、膝には水も膿も溜まってはいません
炎症値が高いとしたら、それは何処か他に原因が有ると思います
膝や腰に拘っていると他の病気を見逃しますよ」
と忠告された

 施設に戻り、看護師さんに伝えた
施設の主治医へ宛てた手紙も渡した
はてさて、一体何処が悪くて熱が出て食事も受け付けないのだろうか・・・・
それは一先ず、主治医の判断に委ねる他は無い

 と、次は 目薬 も切れかけているから貰って来て下さいと言われる
整形外科が早く終わったので、12;30の受付に間に合うだろうと思い急ぎ眼科へ
眼科は異常なほどの混みようだった
月曜日が祭日だからか・・・と思いつつ受付を済ませた
薬だけなので、待っても15~20分 と思いきや1時間待たされた
実は病院のPCの故障で、皆さんが支払いが出来ずに待たされていたらしい

 私達の昼食はまたもや1時過ぎ
貴重な休みもこうして過ぎてしまう

 親の為なのに 文句言う? と思われるだろうか・・・・
でも 自分の為にだけしか生きて来なかった母に 親だから とは素直に思えない
育てて貰ってこそ 親
私には 産んで貰った恩 その一語だけが支えだ





 

帰りたい~

2018-05-13 21:24:55 | 母便り
  此処のケーキ  はとっても美味しい 

母は、突然
「お爺ちゃんが気になるので家に帰りたい!」
と言い始めるそうだ
 トイレも自分一人で行こうとして、突然立ち上がる
万が一にも、コケて貰ったら困るので
「誰かに声を掛けて、一緒にトイレに行って下さいね」
と注意を受けているようだ

 13日は仕事だったので、前日の12日にちょっとしたプレゼントと
ケーキを持って施設に行った
私達の顔を見ると
「お爺ちゃんは元気?」
と訊く
「元気だよ~」
と答えると
「ご飯、食べてるの?入院して無い?」
と立て続けに質問してくる
元気だし入院もしてないと答えると
「長い事顔を見てないから心配・・・」
なのだそうだ

 食事はお弁当を取っているし、車で好きなものを買いにも行ってるようだと伝えた
「そうなん~お弁当を食べてるの?そう言えば美味しくないと言ってた」
思い出したようにそう言う

 周りからは
「もう出て行って貰ったら~何か有ったら困るのは貴方達よ」
と口を揃えて言われる

 それは分かっているが、だからと言って出て行ってくれとは言い難い
言うは易く 行うは難し だ!
家は私達が買った家だし、母の為に住んで貰った
その母を施設に入れてしまったのだから、小父さんが此処に住む謂れは無くなった

 血の繋がりも無い、賃貸契約もしていない
母と不倫して、互いの家庭を壊した人だ
自分がどう言う立場かの自覚が有れば、居座りはしないだろうと思ったが出て行く気配が無い
私も主人も今は静観している
今年中には、何かしら決着を付けたいとは思うが・・・・

母の心の在処

2018-04-24 17:38:18 | 母便り
 施設に入っても病院には家族が連れて行く
母は、沢山の薬を飲んでいるし、緑内障もある
次々と薬が切れて、施設から次々と連絡が来る
身寄りが無くて入所した人や、家族から見捨てられたような人はどうするんだろう?と疑問に思う

 『施設に入れたからと言って、厄介払いしたなんて思わせませんよ』
正にそう言われている感じ
結構上から目線を感じる

 費用の高い 介護付き有料老人ホーム では利用者さんの方が強気だと聴く
つまり、利用者さんの方が上から目線で職員にあれこれと指図してくるのだとか~~

 今の母の状態は、少し不安定な感じだ
小父さんの事も
「あの人、死んだんでしょう~」 と平然と言ってみたり
「ねえ、あの人どうしてるの?今日はあの人に逢える?」 と逢いたそうにしたり
病院から施設に戻ると、施設に居る事を忘れたように
「もう家に着いた?小父さんもいる?」 と言ってみたり・・・

 もしかして、小父さんが何時か迎えに来てくれるかと期待しているのか・・・
最初の内、小父さんは施設に面会に行っている気配が有った
何かを届けるなら、自分が序に渡すからと言ってきた
今は・・・・・
私が施設側に訊いてみようか?と言うと
主人が反対する
行っていようがいまいが気にするな!と言われる

 主人は小父さんから
「最近、立ち上がるのもなかなかで時間が掛かる」
と言われたらしい
だからもう施設には行っていないと感じたそうだ

 母は、業が深いのだろう
今でも、自分が奪ったものを取り返されそうで怖いのかもしれない
小父さんが、身内から迄見放された事を知らない
自分は娘達に見放される事無く幸せなのに・・・・
事有る毎に
「あの人は帰れるとこが有るから私は捨てられる~」
と言う

 一番、帰る所も無いのは小父さんなのに・・・
小父さんも
「何処に帰る所が有るんや?」
と言うのだが
「ううん!貴方は帰れるとこが一杯ある」
と心配する

 母、86歳
まだ心に業火を抱えている