Tokkoちゃんの気まま日記

感じたままに~ 心のままに~ 好き放題書いてます

敬老の日

2019-09-23 08:54:47 | 母便り
 去年も 台風真っ只中 予定の 吹奏楽部は 警報で足止め
職員の方は、予定時間のイベントを自分達の隠し芸で凌ぎ四苦八苦だった
今年も、関西に刻々と台風は近づて来る
閉会迄、風雨が強まらない事を祈っています~と施設長の開会の挨拶

 母の施設は、割合に穏やかで親身な感じがする
職員にもそんな雰囲気が伝わるのか
勤続20年が二人、10年が4人、5年が一人(とても若い女性だった)
18年・19年等、中途半端な方は表彰されないから皆さん腰が落ち着いているようだ

 母は、88歳米寿の表彰を受けた
去年は自分が呼ばれない事に、相当不機嫌だったが~~(笑)
施設の最高齢は 101歳
日本で最高齢は、今や世界の最高齢 116歳
人間が116歳まで生きるなんて本当に驚き
食欲も有り、お元気らしい
食欲が有る事が、一番の長寿の秘密かもしれない

 母は盛んに 「夜になると寂しい・・・・」と繰り返す
そうだと思う
家族の気配を感じ、話し声もする
そんな環境で、最後まで過ごせたら何よりだと思う
それには、母の人生の過ごし方も関わって来る
母のように生きて、最後は家族に見守られたい~と願うのは無理が有る

 もっともそうして過ごして当然の方でも、一人で過ごす方は多い
母にはまだ 幸運 だったと思って欲しい
誰も敬老の日の催しに来られず、ひっそりと一人でケーキを召し上がる姿も有った
そんな方は、会場には来られず食堂におられた
まるで未来の自分が其処に座っている気がして、やるせなかった

 その時の私は、何を思い人生の何を後悔するのだろうか・・・・・




疥癬は怖い病

2019-06-26 09:07:37 | 母便り
 千葉の妹から、突然贈られてきた
??? な気分
「自宅の保証人にもなって貰ってるし~」
と言われたが、恐らく10年はやっているから 5回 は保証人になった筈~
今年は、息子からのプレゼントと言いこれと言い 嵐 が起きそうな事ばかり~~

 母の 疥癬 がやっと終息した
長かった・・・・・・・・
3月末からだから、丸3か月
その前の原因不明の発熱・体の痛み・2度に渡るインフルエンザ・・・・・
それを思うと、半年もベッドに縛り付けられた日々
施設側からも 「申し訳ありませんでした」 と言われた
何も施設側が悪い訳では無いと思っている
食欲を無くし、体重が落ちて抵抗力がすっかりお落ちてしまったようだ

 疥癬も一旦罹患すると、根治するのはなかなかに難しい
薬で殺せるのは 成虫
皮膚の下にトンネル状のものを掘り
そこに産みつけられた 卵 は薬が効かない
根気よく薬を顔以外の箇所に塗り広げ、洗い流す
これを繰り返し、成虫を殺して産卵を防ぐしかないらしい

 成虫が生き残ると、またもや産卵する
皮膚を削って顕微鏡で見て、卵が見つかれば治療のやり直し
何しろ 二回連続卵が発見できない 状態になって初めて完治と認められる
母は、1回は合格しても、2回目は卵が見つかる事が続いた
その間は、施設職員以外との面会や接触は禁止

 何が心配だったかと言うと
寝たきり と 意識レベルの極端な低下
寝たきりの方は、やはり座位が取れなくなったそうだ
意識レベルは、私と主人が入室すると
「Tちゃん来てくれたん~〇〇(主人の名前)さん何時もすいません」
とすぐさま名前を呼んだ
ホッとした~正直名前すら忘れていたら・・・・と心配していたから
千葉の妹の名前とその娘の名前も口にし
「元気してるんかな?」
と訊ねた
初めて、おじさんの事を一切聞かず娘や孫の消息を尋ねた

 疥癬は接触でうつる病気だから、づっと隔離の為に個室に一人
本来は 4人部屋
特養の4人部屋でも、毎月の費用は11万円以上掛かる
個室だと20万円以上
母はおじさんの年金額で費用が決定されるので
母の年金では、毎月毎月赤字続き
其の赤字分をおじさんから 「これは死ぬまでの費用だ 」
と渡されたお金で賄っている 
とても個室に入れる金額では無かった

 どこかしら、母を可哀そうに思っていたが
今はづっと個室に入っているが「一人だと寂しい・・・・」と言った
常に他人と同じ部屋に居る事を 苦痛 だと訴えていたが
一人なら一人で、それも寂しいのだろうなぁ~~

 娘達とは取り返しのつかない 確執 を抱えた母
認知症になって、その確執も何処まで認識しているのだろう・・・・・

 


母の近況

2019-05-10 08:03:15 | 母便り
 アイスバーグが沢山咲き始めた
やはり白い花は美しい

 母が 疥癬 に罹患してからもう1ヶ月以上、未だに全快していない
何回か治療し、ヒゼンダニの卵が居なくなったかを検査したがその度に卵が見つかった
治り難くなっているようだ

 施設に入居後、半年は順調に思えた
所が寒くなり始めると、ドンドン体調が悪化
原因不明の体の痛み・高熱・インフルエンザ・インフルエンザ・疥癬・・・・・・
体調が回復しないまま、オムツになり全く歩けなくなった
座位も取れなくなっている 

 私自身も、疥癬に罹患している可能性は消えていない
体を痒がる母の肌に何回か触れている
何時が最後だったかも覚えていない
うつってからも、潜伏期間は1~2ヶ月も有るそうだ

 今は、面会も自粛している
インフルエンザもそうだが、施設はうつる病気には家族の面会を制限する
どうしているのかな~?と気になるが仕方ない
施設に連絡して近況を訊くと、早くても5月下旬までは全快かどうか分からない状態だと

 入居後、僅か一年で母の状態は急速に悪くなった
こんなに悪くなるとは想像も出来なかった
口が重く、日がな一日 ゴルフ・競馬・野球 と自分な好きなテレビを観て過ごし
母とは殆ど会話もしなかったおじさん
施設で話し相手がいる方が良いかと思っていた

 母の食事の用意も億劫がり、「食べさせた」と嘘を付くおじさんが不安だった
それなら確実に食事が出る施設の方が安心できると思った
「もう面倒を看るのは無理だ」と言われた時も
そんなこんなで、入居に賛成した
しかし事態は、私の思わぬ方向に・・・・・・・

 そして何時もの様に
「これが私達を捨ててまで、母自らが選んだ道なのか・・・・・」
と思いは其処に辿り着く
なんとも寂しく遣る瀬無い
子供や家庭を大切にして過ごしていれば
母の現状は違ったのだろうか・・・・・
自分勝手に生きた母・・・・・・

 「生き様は死にざま」
友人のこの言葉の残酷さを改めて思い起こす



3人の話し合い

2019-04-18 09:21:42 | 母便り
       レンギョウ
        遠目には コトブキ に似た花色
 

 昨日の 口紅シラン は一鉢はお嫁入りに成功
やはり大株の方を持っていかれた
後、一鉢貰って下さる方は居るかしら?

 末の妹から母の容態を訊ねるメールが来た
珍しい事だ
序に次女にも同じ内容のメールを送信した

 原因不明の熱は続いている事
新たに 疥癬 に感染した事
体重が激減して、食事も余り摂らない事
私としては、手を尽くして診断を仰いだ積りだと説明した

 年齢からしても、致し方無いのかもしれないと口を揃えて言う
母も今年で88歳
目に力を失い、ボンヤリと天井を見ている

 母の金銭管理をしている私は、領収書をキチンと整理しエクセルで記録している
母が亡くなった時、妹達とお金で揉めたくは無い
親の死を契機に、兄弟姉妹と縁を切った人は多い
母自身がそうだった
兄弟姉妹は、敵味方のように真っ二つになった

 原因は 祖母のお葬式費用の分担額
祖母と暮らしていた次男の伯父は、お香典をお断りしたまま葬儀を終えた
葬儀費用は全額、兄弟姉妹に残った
「喪主として良いかっこした人が払いなさい」 派と
「自分達の母親の葬儀費用なんだから、頭割りは当然」 派

 長男長女は、お香典を取らなかった次男に猛反発した
三女の母と四女の叔母は、次男の肩を持った
次女の叔母は、どっちにしても自分は寡婦で支払うお金は無いと言い張った

 結局、長女の叔母は払ったものの、お金を投げつけて
「もうあんた達とは縁を切る」
と宣言し、今も消息不明のままだ

 祖母の葬儀費用は、長女・次男・三女(母)・四女で支払った
伯父や叔母の話し合いを階下で見守っていた私達は、伯父叔母の剣幕に驚いたのを忘れない

 その経験からも揉めるのは絶対に嫌だと思っている
だから今回は、かなり突っ込んで妹達と話し合った
このまま母がドンドン弱って、急な事になる前に
妹達の考えを訊いた

 或る程度、3人の意見は纏まったが
それでもお金の管理は気が重い

母の施設生活一年

2019-04-14 07:50:05 | 母便り
    ボケの花
      名前とは違い、花はとても美しい 


 母の施設入居が決まったのは、2018年2月
3月には入れるだろうから、準備を~と言われたのを思い出す
全てに名前を書き、足りない物を買い足すなどなかなか手間と時間を要した
その間も、おじさんは傍観者を決め込んでいた

 施設に入れば、面会や費用分の記録などは私がしなければならないが
食事の心配も無くなるだろうから、少しは楽になる! と決め込んでいた

 でも実態は全くの逆
施設に入居後、一番の仕事は
それまでおじさんが怠っていた 本人の診察 と言う課題が山積
何処の病院も
「長い間ご本人を診察していません、先ずはご本人をお連れ下さい」
そう言われた
施設からも、家族が付き添って診察をしてからお薬を~~」
だった

 それが一段落すると、代わる代わるに お薬 が切れる
保険証なども全て施設が保管しているので、
施設➡病院➡施設 と行ったり来たりしなければお薬も貰えない
保険証とお薬手帳も保管者が違う
1階で保険証を申請し、2階でお薬手帳
借りてから返すまでに、足掛け二日だと 預かり証 も書く

 そしてこの一年で、インフルエンザ2回・原因不明の痛み・原因不明の熱・肺炎の疑い・この度は疥癬だと連絡が有った
その度に病院に連れて行き、車椅子を迷惑がる開業医がいれば
次の病院を探し、紹介状をお願いし、施設に車の手配を頼み家族が付き添う

 大晦日に発熱した時は、元旦から毎日家族の訪問を要請された
4日は、長蛇の列に並び診察を受けた
施設はなるべく公立の大病院への受診を望む
要望に応えると、病院は一日仕事

 今回の 疥癬 は、私にもうつっている可能性大だ
痒がる母の体を触ってしまった
痩せて免疫が下がっているので、うつっていれば大変な事だ
解るのは、一か月の潜伏期間後との事だ

 主人も、母の手を握ってくれたり下着をズボンに入れてくれたりと母を触っていた
主人が体を痒がるのは、乾燥肌だからだと思っていたが診察が必要かもしれない

 こんな風に振り返ると、もう何年も施設にいるような気がする
これがたった一年だったとはとても思えない
小さな子供が、集団生活になったように
母は、次々と病気を貰う
痩せて小さくなり、目に光も力もない
ボンヤリとして、意識が鮮明ではない感じ
此れほど弱るとは・・・・予想外だった

生き様は 死に様

2019-04-07 17:37:31 | 母便り
             桜の古木 
             貫録タップリな姿 

 職場の人から 名古屋土産 を貰った
名古屋に住むお姉さんが、膵臓癌で11時間にも及ぶ手術を受けられ
兄弟姉妹が駆け付け、手術を見守られたらしい

 実は先日、一緒に桜見物に行った友人がこう言った
「介護の仕事をするようになって、その人の生き様が死に様だとつくづく思うようになったのよ」
最後の最後になって、兄弟姉妹からも見捨てられたおじさんの事を指してそう言ったのだ
「だから貴女がこれ以上、気に病むことは無いのよ」
私を気遣う言葉だと受け取った

 そして今日、手術に兄弟姉妹が駆け付けた話を聴き
それはその人が、そう生きて来たからなのだとつくづく実感した


後悔しないように・・・・

2019-03-20 10:32:18 | 母便り
 お母さんの介護を遣り通された方のブログを読んだ
しかし自分の母親とは、人としての在り方に大きな隔たりを感じる
88歳になった現在でも執着しているのは 不倫相手で有り再婚相手で有る男性

 私以外の子供達や孫達についても、一度も尋ねてくれることは無い
口から出る言葉は
「あの人は何処に居るの?病院?逢いに来てくれない・・・・又、来てくれるよね?」

 初めの内は
「何処って・・・家に居らっしゃるでしょう~~入院なんてしてないし・・・」
と答えていた
それが何時の間にか、主人の方が
「そうですね、病院に居るから来られないんでしょうね」
と答えるようになった

 病院に居るから自分を迎えに来られない
入院しているから逢いに来られない
そう思いたいのだと、私達も気が付いた
看護師さんやヘルパーさんからも、繰り返し繰り返し同じ質問をされると訊いた

 だから母親を看ていると言う気がしない
一体私は 誰 を看ているのだろうか・・・・・・・
母親を看ているのだと思えば耐えられる事も、この疑問が頭を擡げると急に嫌気が差す
空しく感じる

 ブログの方はこう書かれていた
「楽しいお土産話も沢山持って行って欲しかったから」
だから頑張れたと~~

 私が頑張って、母は 何を 誰に 土産話を持っていくのだろうか・・・・・・
現実に母を看る事の無い妹達にとって、段々と母は遠い存在になっている
病状を知らせても、メールに返事の来ない事さえ有る
私も知らせなくなった
危篤にでもならない限り、知らせは不要なのでは?とさえ思う

 遠い身内より、近くの友人の方が心配してくれる
私の体重が減って行く事も、私の抱える空しさも訊いてくれる優しさを見せてくれる
自分でも、本当に痩せたと感じる
主人の寄り添ってくれる優しさが無かったら、きっと放棄したくなるだろう
他人である筈の主人が母に見せる優しさに、私の方がハッとする
見倣わなくては・・・・・と気持ちを切り替える

 私が看ているのは、母親 では無いかもしれない
姉妹の中でも母からは一番遠い存在だった筈の私に課せられた 宿題 のようなもの・・・・
遣り切れるか問われている気がする

 

先生は名医でした

2019-03-16 08:23:26 | 母便り
 大きな病院の整形外科でのセカンドオピニオンを終えてみて感じたのは
 私の骨折を治して下さった先生は名医だった 事
周りからは 「寒いと痛むでしょう~? 雨の時は痛むでしょう~?」
そんな風によく尋ねられるが、手術痕が痛むことは無い

 その先生が、母の不調の原因は膝に水や膿が溜まっているせいでは無いと断言されていた
しかし施設側は先生の言葉を疑い、他の病院でのセカンドピニオンを望んだ
 でもその病院の担当医が一番に口にしたのは
「〇〇病院の先生と僕は同意見です。膝には水も膿も溜まってはいません
〇〇先生の仰る通り 偽痛風 が尤も疑わしいですね。熱や体の痛みもそれで説明が付きます」

 偽痛風は、何時症状が現れるかもしれない
始まれば 熱や体の痛みに襲われる
原因は 老化によって関節に石灰分が付く
痛みの誘発は ストレス が原因になる事も有る

 私は密かに感じていた
母の熱や食欲不振は、ストレスでは無いかと・・・・・・

施設に居たくない
家に戻りたい
きっとおじさんが何時か迎えに来てくれる

 そんな風に思って、ストレスを募らせているのだろうかと・・・・

 流石に施設側も、セカンドオピニオン で同じ見立てを訊いて納得した
と言いたい所だが、やはり首を傾げて不信顔だった
やっと熱が引いたかと思うと、高熱を発するので困っていると言われていた

 しかし 偽痛風 は今日は何とも無くても
明日、いや数時間後は痛みだす事も有るのだと言われた
対処としては、熱さまし 痛み止め でその都度対処して行くしか無いと~~

 いくら 不振顔 をされても、整形外科医の意見が一致し
内科医のCT検査の結果でも、他に原因が無いのだから~~

 すると次は 眼科 の検診を望まれた
大きな病院が良いと言う
大学病院にも匹敵する、紹介状を必要とする所の名前を上げられる

 主人とも話したが、どの入所者さんの家族にも
こんな風に、次々と一日が潰れるような病院への付き添いをさせるのだろうか?と・・・・
私達が言い成りなのを良い事に、丸投げにされているだけなのか?
もっと自分達の意見を言っても良いのだろうか?と・・・・

 施設に入っても、何かとしないといけない事が有るとは理解していた
しかし此れほど頻繁に家族の付き添いが必要だとは思っていなかった
病院に行くと、最近は車椅子の方をよく見かける
しかし殆どは、ヘルパーさんらしき方が付き添って来ている
介護保険のサービスギリギリ一杯までを使っている筈なのに、と疑問も湧く

 正直、ほかのご家族はどう対処されているのか聴いてみたいと思った

母の再検査

2019-02-25 07:27:17 | 母便り
              暗みに浮かぶ 永源寺の 燈篭
                     幻想的で、美しかった

何か月かぶりの日曜日の休み
主人が退職してからは、日曜も祭日も、特に予定が無ければ シフト希望日 にしない
すると、日曜・祭日に休みが入る事はまず無い

 つい最近だが、日曜・祭日に 時給割増 が付いた
「きっとお前に給料を沢山くれるつもりなんだろう~~」
と主人は笑う

 昨日、主人とテレビを観ていて
「日曜日には、こんな番組が有るんだね」
な~んて思ったくらい久しぶりの日曜日休み

 丁度、昼食の支度をしている所に
母がお世話に成っている施設の看護師さんから電話
金曜日の 血液検査 の結果報告をして下さった
やはり、白血球が多くて 炎症 が有るようだ
熱も、38度少し手前くらいが続いている

 と言う事で、やはりCTなどの為に大きな病院に行く必要が有りそうだとの連絡
連絡を下さった看護師さんは、とても気さくな人柄
私が痩せた事も気が付いて、心配して下さった

 連絡を頂いた事にお礼を言って、電話を切った
主人にも、3月に入ったら病院までの付き添いを頼んだ

 しかしだ・・・・・・
CTで詳しい病名が解っても、結局は周りが納得するにすぎない気もする
何故ならば、父の時がそうだった
父も熱が下がらず、食欲も無かった
暑気当たりだろうと言われたが、一向に熱が引かない
妹は父を連れて、セカンドオピニオンを受けた

 其処での病名は 胆のう炎
余り痛みを訴えないので、最初の病院は気が付かなかったのだろう~と
紹介状と共に受診した大きな病院では
胆のう炎も有るが、最大の不調の原因は 大腸癌
胆のうを映すと、その後ろに隠れていた大きな癌が見つかった

 妹も私も、原因が分かって納得したが
88歳だった父に、病院は
「何もする事は無い」
と言った
手術も大量の麻酔で、途中で亡くなる危険の方が大きい
放射線も抗がん剤も、高齢者には使わないと・・・・・

 父は最後まで
「まだもう少し生きて、お前達娘や孫達と過ごしたい」
と希望していた

 高齢者の病は、きっと同じ扱いだろう
癌の進行と薬や手術の副作用を比べれば
何もせずにいる事が、一番長生きする

 しかしこのまま、原因も分からずに過ごす事は難しい
治療には繋がらないかもしれないが、やはり病名を知る為の検査は必要かと思う


正しかったと信じよう

2019-02-12 10:03:15 | 母便り
 最近のおじさんは、私が出勤した日に主人と話しに来る
初めは、私の 被害妄想 かも~って思っていたが
何事も冷静に分析する主人さえ、留守を狙う説 に異議を唱えない
完全に動きを読んで遣って来る
多分5分とは狂わずに出勤する私を観察していれば解るんだろう~と主人は言う

 つまり、おじさんの憎しみは私に集中している
人として、決して良い気分で無い
でも、誰かを恨まなくては堪えられない部分も有るだろう

 一年半前、私が強引に受診させなけば命を落としていた事は忘れたようだ
正月2日から、救急病院に付き添った事も
有休を取って入院させ、入院準備も全て遣った
退院の迎え・医師との話し合い・退院後の点滴の付き添い
して貰った事は全て忘れた
覚えているのは、私の口から
「そろそろ、今後のご自分の身の振り方を考えて下さい」
この言葉だけになっている

 そうなって身内に電話してみると、電話に表示される番号や名前で
受話器を取る事さえして貰えなかったそうだ
何をするのも身元保証人が必要になる
誰にも頼む当てが無くなった
(それも私の所為なの?)

 お金で契約して身元保証人になってくれる会社が見つかった
私も主人も、何時何時までに出て欲しいと決して期限は切っていない
恐らくは、義理の娘に追い出されかけているが当てが無いと言う事にしたのだろう
順番待ちを飛ばして、権利1位 にして貰ったそうだ

 今日、施設に持っていける範囲の道具が運び出される
そしてバレンタインの 14日 ご本人も入居先に行かれる
残った道具は、処分では無く 売ってしまった
10年使ったクーラーも
「俺が取り付けたから売って行く」
と言い放った
そしてこっそりと主人に
「風呂の給湯器もまだ使えるから買い取ってくれ」
と言ったそうだ
流石にそれは身元保証会社の人から
「〇〇さん、最初の給湯器を使われて故障したのですから替えた物迄売り付けるのは非常識です」
と窘められた
正式に契約して、然るべき補償金や敷金を預かり相場の家賃を頂いてはいなかった
固定資産税と火災保険代が賄える程度の家賃だけだった

 それでも、とても惨いことをしたようで、心が痛んだ
しかし、このまま我が家所有の家で 認知症・脳梗塞 等の病気になられ
自分の判断で終の棲家を決められなくなったら・・・・・・
其の時になって、身内の方から拒否されたら・・・・・
誰が終の棲家を決められるだろう
惨い様でも、判断力の残っている今
自分の判断で決めた所で、新しい生活を始められるのは正しい選択だと思う

 その選択をして貰う為に、母が入所した半年後に
「母も施設に入りました、おじさんもそろそろご自分の終の棲家を考えて下さい
母の様になったら、自分で決められなくなります」

 私がそう言った日から、私に憎しみを持ったのだろう
それが辛くて、大きなストレスになった
「例え今は憎まれても、誰かが言わなくてはいけない事だったのよ」
そう言う妹に
「だったら貴女が言って憎まれれば良かったのに・・・」
とも思った(苦笑)

あと数日になって思うのは
「これで良かったのだ、自分で自分の事が決められたし、電話も取ってくれない身内より
お金は掛かるけれど、身元保証会社も見つかった
私の判断は、酷い事のようで絶対に必要な決断だったのだ
私は心が狭いかもしれないが、母と不倫で駆け落ちした人の 「下の世話」 までは出来ないのだ
出来もしない事は、「引き受けられない」 と早くに意思表示したのは正しい判断だと信じよう

 人間には生きて来た道が有る
選んだ道で、決まってしまう事は有る
おじさんと母も、選んだ道に従って最後まで歩いて行くしか無い
そう思って、私も進んで行こう
後悔や自戒に囚われないで・・・・・・