Tokkoちゃんの気まま日記

感じたままに~ 心のままに~ 好き放題書いてます

みどりのコンサート

2018-04-30 09:06:44 | 日記
 久し振りにボランティアの友人とランチをした
それから市の職員とボランティア仲間が所属するコーラスグループで構成された
混声合唱団の歌声を聴いた

 ゲストには、女優の 若村麻由美 さんが登場し 金子みすゞ の詩を朗読された
太鼓の演奏なども有って、友人と楽しい時間が過ごせた

 最後に、合唱団と客席で 「ふるさと」 を歌った
「如何にいます父母・・・」
其処で涙ぐんでしまった
如何に・・・・
父は亡くなり、母は施設で暮らす
「何時の日か帰らん~」
帰らん・・・家は無く、待つ親も無い
そう言う年齢に達したんだなぁ~とつくづく思った

夫婦の極意

2018-04-28 19:30:49 | 日記
 最近、主人に大きな変化を感じる
それは何か?
 
 私の小言を聞き流す
私が頼んでいた事が出来ていない
「あ!頼んだのに・・・・・」 と不機嫌な声で私が言う
「あ~忘れた」 と主人が答える
「あのね~頼んだ事はちゃんと遣ってよ!」
「・・・・・・・・」
「ちゃんと頼んだよ!もう~~~~~」
「・・・・・・・・」

 とこんな具合
馬耳東風
糠に釘
蛙の面に小便

 しかしこうなると私もそれ以上は言えず、黙ってしまう
つまり喧嘩に至らないのだ
極意を掴んだ如きに、絶妙に矛先を変えてしまう

 不機嫌そうでもなく、ただ聞き流すのだ
言うだけ言えば通り過ぎる、にわか雨の如き対応
最初は、怒って無言なのかと思ったがそうでは無い
「もう言うだけ言いましたか~」 と柳に風と飄々としている

 それを感じてからは
「う~~ん、またか」
となって、早々に私も言葉を控えてしまう

 確かに、穏やかに楽しい話題で時間を過ごす方が良い
職場の愚痴も程々に、今作っているビーズの事を話し
主人が始めた ボーリング の結果を尋ねる
主人もあれこれと、進歩しないボーリングのスコアーを話す
毎週、前回の結果で順位が張り出される
300人近い中で、14位なんて好成績だったのが
100位以下に落ちたと話してくれる

 今日は二人でアイスクリームを食べた
昨日は、あの大きなイチゴを真っ二つにして
「せ~の」 で口に入れた
もし、物凄く酸っぱくても恨みっこ無しにね


大きいよ♬

2018-04-27 09:40:28 | 日記
 キューリ 3本くらい?
ミニトマト 皮が固くて・・・・ オクラ 花が一番綺麗だった
それが私のお野菜の成果

 数回チャレンジしてみたが、どれもこれも成功した試しが無い
唯一、ブルーベリーだけは毎年それなりの実を収穫する

 イチゴも育て始めて多分・・・・4年は経つ
買った年は、買った時に付いていた実を収穫した
それ以後は、育て方が解らぬままだったので小さな実が幾らかは付くが決して甘くも無かった

 或る時、イチゴは毎年苗を作って更新しなければ実は付かないと知った
去年、ランナーが孫株位まで伸びたら活着させ10株程作った
10月にはやや大き目な鉢に植え替え、冬越しをさせた
しかし残念な事に4株は枯れてしまった
残った6株中、一際大きな苗に育った鉢から大きな花が咲いた
株が大きいと花も大きい物が咲く
春先に追肥し、ナメクジが来ないように手摺りに掛けた鉢置きに乗せている

 昨日、仕事に行くとき
何気に見ると、実が赤くなっているのに気付いた
主人に伝えると
「食べ頃になったら、先に鳥が食べてくれるわ!」
と意地悪を言われた

 そこで、ネットでも掛けようかと思いテラスへ~~
何気なく自分の方に鉢を向けて驚いた
大きい!!
凄く大きな実が、昨日よりももっと赤くなっている
直ぐに主人に自慢したくなった

 丁度階段を下りて来た主人に、鉢を見せた
「ねえ~~!こんなに大きくて赤くなってる!!」
嬉しくて堪らない

 昔の私は、生きているものにも咲いている花にも興味が無かった
そんな私が子供を授かり、ワンコだけど キャビン という子を13年間育てそして看取った
そんな事が母との関わり合いの中で、人として少し歪んでいた私を矯正してくれたのかもしれない
命の有る物を可愛いと感じたり、手を掛けたものの収穫を素直に喜べるようになった

4月の新作ビーズ②エメラルド色のチョーカー

2018-04-26 21:54:06 | ビーズ手芸
 今月作り始めた チョーカー タイプのネックレスが完成
自分で作る事で一番良いのは、自分自身の首にピッタリの長さに出来る事
先生が 標準の長さ からパーツをどれ位少なくすれば良いかをアドバイスして下さる
奇数で減らしても差しさわりの無い物も有れば
やはり偶数でないと駄目なものもあるので貴重なアドバイスになる

 今回は左右3目づつ、計6目減らした
すると、私の首に綺麗に沿ってエメラルド色のビーズとブロンズっぽいビーズが、アンティークな味を醸して
私好みに仕上がった

 先生は結構 天然 な所が有る人で、先月は月謝を計算しないで請求された
家に帰ってから気が付いて、問い合わせると
「えへ~そうなんです、後で気が付いたの・・・」
「次回は、二回分取って下さいね」
と言っておいた
「今日はちゃんと2回分入れて請求するよ」
と言って笑わせて下さった

母の心の在処

2018-04-24 17:38:18 | 母便り
 施設に入っても病院には家族が連れて行く
母は、沢山の薬を飲んでいるし、緑内障もある
次々と薬が切れて、施設から次々と連絡が来る
身寄りが無くて入所した人や、家族から見捨てられたような人はどうするんだろう?と疑問に思う

 『施設に入れたからと言って、厄介払いしたなんて思わせませんよ』
正にそう言われている感じ
結構上から目線を感じる

 費用の高い 介護付き有料老人ホーム では利用者さんの方が強気だと聴く
つまり、利用者さんの方が上から目線で職員にあれこれと指図してくるのだとか~~

 今の母の状態は、少し不安定な感じだ
小父さんの事も
「あの人、死んだんでしょう~」 と平然と言ってみたり
「ねえ、あの人どうしてるの?今日はあの人に逢える?」 と逢いたそうにしたり
病院から施設に戻ると、施設に居る事を忘れたように
「もう家に着いた?小父さんもいる?」 と言ってみたり・・・

 もしかして、小父さんが何時か迎えに来てくれるかと期待しているのか・・・
最初の内、小父さんは施設に面会に行っている気配が有った
何かを届けるなら、自分が序に渡すからと言ってきた
今は・・・・・
私が施設側に訊いてみようか?と言うと
主人が反対する
行っていようがいまいが気にするな!と言われる

 主人は小父さんから
「最近、立ち上がるのもなかなかで時間が掛かる」
と言われたらしい
だからもう施設には行っていないと感じたそうだ

 母は、業が深いのだろう
今でも、自分が奪ったものを取り返されそうで怖いのかもしれない
小父さんが、身内から迄見放された事を知らない
自分は娘達に見放される事無く幸せなのに・・・・
事有る毎に
「あの人は帰れるとこが有るから私は捨てられる~」
と言う

 一番、帰る所も無いのは小父さんなのに・・・
小父さんも
「何処に帰る所が有るんや?」
と言うのだが
「ううん!貴方は帰れるとこが一杯ある」
と心配する

 母、86歳
まだ心に業火を抱えている

4月の新作ビーズ①

2018-04-23 07:48:24 | ビーズ手芸

 ビーズ手芸に通い始めて数か月
そのお教室を選んだ一番の理由は、月謝制 では無かった事
いつ何時、母の事で通えない事が起こるかもしれない
普通のカルチャースクールだと、三か月分が前納になる
行かなければ、全てが無駄になる

 或るホームセンターが主催している
そのホームセンターのお教室は、フラワーアレンジメントも月謝は無料
使うお花代だけが実費として徴収され、連絡さえすれば休むのも自由だ

 最初は お試しレッスン で、教材費のみ
まだお若い先生は、明るくて気さくな感じ
とにかく褒めて下さる
初心者の私に
「まぁ~とてもお上手!!才能有りますよ♬」 と~~笑
以前はテグスを使う物が主流だったけれど、今は様々な糸を使うようだ

 写真の物は、熱コーティングされた糸で編んだ
編み図が有って、その指示通りに編むのだが
初心者の私は、その 編み図 が珍ぷんかんぷん
「いずれ読めるようになります」
と先生は仰る

 長く通っている方は、可なり複雑な作品にチャレンジされている
でも生徒さんにも個性が有って
「何時も勝手に編み進んで、可笑しな事になるんだけれど最後は何故か辻褄が有ってしまうのよ」と言う方
「間違ったら、トコトン編みなおすのが私のもっとうよ」と言う方

 写真のネックレスは コットンパール を使った軽い物
殆どは、真ん中から編み始め行きつ戻りつしながら完成させる
2時間があっという間に経ってしまう

 作品が仕上がると、次回の教材を選ぶ
次回は私の選んだ作品のキットを用意して来て下さる
作品によってキットのお値段が違うので、教材費+1000円をお支払いする
行かない時は、その1000円も不要

 絶対に儲かってはいないよね~~と思う
でも熱心に指導して下さる事と、気さくさにホッとする
古い生徒さんやお気に入りの生徒さんとだけ妙に親しげにする人が居るが
そんなタイプの人では無さそうだ

 先日、妹が母の施設が見たいと言って神戸に遣って来た
お教室で仕上げた Y字ネックレス+ブレスレット を着けて行った
帰宅したときは、両方とも私の体から消えていた

 Y字ラリエットは妹が
ブレスレットは妹の長男のお嫁さんが
其々に気に入って お持ち帰り 

妹は逢った時から、Y字ラリエットが気になっていたと言う
「上げようか?」と言って首から外し、妹の胸元へ~
なかなか良く似合う(^^♪
甥っ子の奥さんには、改めて何かプレゼントするね~と言うと
「そのブレスレット、使い勝手が良さそうなので・・・・」
と言うので、私の手首から彼女の手首へ
そのまま持ち帰った

 これが息子のお嫁さんなら、もっと嬉しいんだけどね・・・・


心の闇

2018-04-22 10:19:39 | 日記
 つい先日
報道番組に一人の少年が起こした事件が取り上げられた

 少年は、兵庫県多可町の出身
母と暮らしていたが、その母から酷い虐待を受けていた
成績が悪いと言っては、言葉の暴力と体への虐待を加えた

 その母親が病気で亡くなった時
少年は、本当に嬉しかったと言う
『これで母親から酷い目に会わずに済む』
そう思ってホッとしたのだ

 その一方で、生きて行く事の意義が見つからず徘徊していた時
「職務質問」を掛けて来た警察官に切りつけ重傷を負わせた
結果、少年院送致
20歳直前になり、少年院を出るにあたり保証人が必要になった

 ボランティアとして、そう言う人の為に動いている男性に引き取られた
少年院では、全く矯正されなかった自分の心が
この男性のお陰で、生きる意味を見出し前進を始めた

 男性と共に多可町に有る母親の墓に詣で、香華を手向けた
青年は振り返る
「母が死んだ時、嬉しかった。これでもう暴力を受けずに済むと思うと本当に嬉しかった」
天涯孤独になった事よりも、母親が死んでくれて嬉しかった・・・・・
少年の心の闇

 私も嬉しかった
母が出て行って
「これでもう母から酷い目に合う事は無い、怯える事が無くなった」
そう思った
私達の洋服から箸・茶碗までを畳に投げ出し
幼い妹の為にテレビを遺す思いやりの欠片も無かった母に対する腹立ちと憤り

 一方それとは全く違う次元で、私も嬉しくてホッとした
勿論、父にもそんな事は話さなかった
私の心の闇

 この青年の言葉に
「親が死んで嬉しかったの?」
と思った人も多かったかもしれない
でも私の様に、心密かに頷いた人も在った筈

 実名と顔を晒し、取材に応じたと言う事は
これからを生きて行く事に自信が産まれたからだろう
良い人に出会えて良かった

 私には父が居た
その父をシッカリと看取れて良かった
母を看取った時、私自身の心の闇も吹き払えたら嬉しい

根性、座ってます

2018-04-21 08:49:54 | ペット
 我が家のお姫様 まりな、7歳
一日を朝食後から と 夕食後に分けて暮らしてます
先ず、朝8時 食事を貰うと主人の膝に~~
そのまま夕飯までは、主人の傍を動きません

 午後8時、夕食を食べ終わるとさっさと私の膝にお乗り換え~~そのまま翌朝までは私の傍を離れません
こんな風に暮らしてます

 まりなの凄い所は、余程の事が無い限り 声 を出しません
ワンちゃん禁止のマンションでも、気付かれる事は無いかも~~



 一度 「待て!」 と言えば 「よし!」 と言うまで決しておやつも食べない
お馬鹿な けん太 が待ち切れずに食べてしまっても
叱られる けん太 を横目に、ジッと我慢を続ける
なかなか根性の座った 娘

 時々こう思う
人間だったら良かった
本当の娘だったら良かった

 いやいや・・・・・
人間の娘なら、この子は私に何を言うやら解らない
痛烈に批判と嫌味を言うに違いない
「お父さん好き!お母さん嫌い!」

 やっぱりワンコで良かったのかも・・・・と

 

母と私の縁

2018-04-20 19:57:06 | 日記
2年間、溜まりに溜まったストレスと
本当は言ってしまいたかった言葉を吐き出した

 母が亡くなるまでは、施設側から要求される 家族 としての役割を果てしていくことになるが
そこに小父さんが介在しなければ、もう大きなストレスを抱える事はないだろう
母が食事をしたかと心配する事も無くなった

 このブログも、毎日の自分の生活や出来事を書いて行こう
最近始めた ビーズ手芸 
満16歳を過ぎ、すっかりお爺ちゃん犬になった けん太
今年の夏で8歳になる我が家のお姫様 まりな
この2人と2頭の平凡な暮らしを書いて行こう

 主人の両親も亡くなり、父も亡くなり
最後の一人の母を最後まで見送ろう
私が先か主人が先か、それとも順番通り母が先かは解らないけれど
私が先なら、妹が引き継いでくれるだろう
私達は私達の暮らしを紡いでいこう

 或る知人が、私の母を庇って下さるようなメールを下さった
子供達を置き去りにするのに、家財道具一切合切を持ち出したのは
相手の小父さんが悪かったからでしょう~~と

 いいえ!違います
それが私の母なんです
と答えました
 
 私に酷い事をしたのも、鬱病状態 だったのでしょう~~と
いいえ違います
思い通りにならないと、カッとなって見境が無くなる
それが私の母なんです 
と答えました

 私は、母を美化して考えません
在りのままの姿を知っています
それでも最後まで看取ると決めました
これは或る意味、自分との戦いです

 今日も施設から電話が有りました
仕事中で電話を取れませんでしたので、折り返し電話をしました
こうして母が亡くなる日まで、母に関する事は私に電話が掛かり続けるでしょう

 母を送ったら、どんな思いが過ぎるでしょうか・・・・
少しづつ、母は持っている力が弱り
出来る事が減って行きます

 子供の頃、母とは縁を切った生活をしたいと願っていました
関わりたくないと・・・・
母も何が有っても、私にだけはお世話に成らないと思っていたでしょうね
不思議な縁です
互いに関わりたくなかった筈なのに
私達の縁は、一番繋がってしまいましたね~お母さん


これで終わったのかなぁ~

2018-04-17 21:15:30 | 母便り
 約2年前、母が突然 パニック障害 を起こした日からの長い話が終わった
パニック障害を起こしたことで、初めて精神安定剤が処方され
精神安定剤が処方された事で、小父さんは母に大量の薬を飲ませるようになった
飲ませれば飲ませるほど、薬への依存が強くなり益々手が掛かるようになった
そして手が掛かれば掛かるほど疎ましさも増し、小父さんは母に対してイライラを募らせた
私と主人は、小父さんに薬の投与を止めさせる為に悪戦苦闘した2年でも有った


 小父さんは、身内から 「縁は切った」 と言われショックだったようだが
全て身から出た錆
本来ならば、双方の身内や子供達からも孤立して生きる道を二人は選んだ
自ら選んだ道なのに、今になって周りの態度を 「理不尽」 と感じるのだろうか?
自分たちが身勝手な行動を取った時、双方の子供達がどれ程の打撃を受けたか考えた事が有るのだろうか・・・・

 小父さんの子供さんは、縁は切ったと思っている
そう割り切れるならそれも良いだろう
誰も小父さんの息子さんを責める人は居ない
ただ私達姉妹は、人間として出来る事を遣ろうと思っただけだ
後味の悪い思いをしたくなかったからだ
父を送った時、あんな人でも母もちゃんと送って上げようと思った
もし惨めなまま送ったら、その時は溜飲が下がっても
後から後悔するような気がしたから

 名古屋の叔母が言うように、私も自分が同じことをしたら母のように子供に甘える道は選ばない
あの時、母と小父さんはそういう道を選んだのだと思う
自分の選んだ道の付けを払う時が遣って来たのだ
母にとっては、小父さんから施設に入れられた事で有り
小父さんにとっては、これから残りの人生
施設に入っても、入院しても
そして、もし亡くなっても誰も傍に居てくれない・・・
そんな事になるかもしれない

 申し訳ないが、私達姉妹の 「人間として」 は母限定だ
小父さんに対して 「人間として」 とは到底思えない

 母が家を出た日、母と小父さんは我が家から持ち出したテレビを付けて
我が家から持ち出した炊飯器で暖かいご飯を炊き、食べた事だろう

 私達三姉妹はテレビも家具も無い部屋で、父の帰りを待ち
残っていた鍋で、父が作ってくれた すいとん を食べた
父はその後も一人で、私達を育ててくれた

 父が病を得た時、看病するのは当然の事だった
何の迷いもなく、精一杯看病した
人の歩く道はそうして別れて行くのか?
そんな気がする