八ヶ岳田舎暮し 移住のススメ MORISH COUNTRY

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熊本の街

2012年01月16日 20時32分27秒 | 生活情報
熊本の街は上通りと下通という大きなアーケード街があって、その脇にいくつか繁華街がある。
なので、歩いて色々なお店に行けるので便利です。
法事が終わって、ランチを食べに行った所は、シャワー通りと言うところ。
なぜ、シャワー通りかというと、このエリアだけアーケードが無いのです。
だから、雨が降るのでシャワー通り。

この蓮のMarkは、僕がカフェの為にデザインしました。

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故郷のお寺初公開

2012年01月16日 11時30分23秒 | 生活情報
故郷には、すでに実家も無くも両親もいない。
お寺にお墓があるのと、兄が住んでいる、そして同級生がいるだけだ。
法事で帰ったので、熊本空港から直行でお寺に行った。
ウチの先祖は平家の時代からの歴史が分かっている家系。
お寺も由緒あるお寺で、熊本城と同じ時期に建造されている。
この界隈は寺町で、細川家の墓陵があり、その廻りに家臣のお寺がある。
実家の寺もその一つだ。長国寺という。
先祖は加藤清正公に使えていたそうだ。その昔は京都祇園神社に使えていたそうだ。
本家は能の喜多流で友枝昭世氏で人間国宝だ。
我が先祖は、旅館と両替商を営んでいた。屋号は油屋という。
当時は、熊本の三大豪商の一つだったらしいが、先々代くらいに身代を潰したらしい。
資料の殆どが戦災で焼失し、語り部となるはずの父も早くに他界し、僕らの代に何も伝えなかった。
父の名前も翁太郎というので、話を聞けたら先祖のことが分かっておもしろかったと思う。
我が家の家紋も、扇子がモチーフになっている。
我が家にゆかりのある方として伝え聞く名前が友枝三郎氏。

その旅館と両替商があった場所には消防署とマンションが建っている。合わせて5千坪ほどの敷地だ。
今、実家が続いていたら、僕の人生はどうなっていたのだろうか?
そういうことを、その場所に立ち想像してみると面白い。
だって、本家の方は人間国宝になられていらっしゃるわけですからね。

幼少の頃、立派なお寺と立派な墓が不思議に思えた。小さいながらも参道があった。
最近興味を抱き、市役所の古文書を保管してあるところで調べたら、凄く沢山資料が出てきた。
その全ての原書は、細川家の永青文庫に保管してあると言うことだ。
東京の目白にあるので、今度原書を見に行ってみたいと思っている。

故郷に帰ると、こうしたルーツをたどる事も面白い。
そして、加藤清正公の時代に思いをはせて当時を想像すると、
この立っている場所を、ご先祖様が通ったんだろうなあと感じる。

titleの写真は入口の門で、屋根は葺き替えているが、建物自体は1600年代建設当時だそうだ。
その門の彫刻も素晴らしい龍が彫ってある。子供の頃はこれが怖かった。


本堂は、二度目の立て替えで、ちょっと現代風になった。


今回特別に住職にお願いして本堂の中を撮影させて頂いた。


仏壇の欄間の彫刻と天井絵は建設当時のモノを使ってある。鳥に人の顔が、子供の頃怖かった。
横山大観が書いた絵もあったのだが、今は無い。


古い過去帳である。我が家の先祖の名前も書いてある。これをたどっていけばルーツが分かるそうだ。
今度行ったときには見せて頂こうと思っている。


我が家は檀家である。なのでこうした場所に名前がある。



本堂の真横にお墓がある。本堂に近いお墓が檀家でも位が高いらしい。(今は違うけど(笑
昔は門柱にちゃんと鉄の扉が付いていたそうだ。
参道の奥に友枝家累代の墓石がある。
右側には江戸時代の墓石が六つ、左側には明治~大正の墓石が六つ並んでいる。
子供の頃、母に連れられお墓の草むしりが大変だったのを覚えている。
その母も今はここに眠る。今回は母の三回忌。安らかに!


2年ぶりの帰郷は、このお墓から始まった。


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1月15日(日)のつぶやき→「1月8日羽田~熊本」

2012年01月16日 01時54分03秒 | Weblog
21:43 from gooBlog production
1月8日羽田~熊本 blog.goo.ne.jp/tomodesmo/e/cd…

by tomotaizen on Twitter

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