昨日、暑い暑い甲子園が、決勝再試合で、その幕を閉じた。
駒大苫小牧(南北海道)の3連覇の夢を早実(西東京)が打ち砕いて、初優勝を決めた。
それにしても、「すさまじい」という言葉が引用できるくらいの投手戦だった。
準決勝までのほとんどの試合が打撃戦であったのに対し、決勝はちがっていた。
そして、今日、文教消防委員会があった。
教育委員会関連は、当課の案件だけだった。
また一方、議会の委員会は、課長が答弁をすることとなっている。
私は、課長になってから委員会においては、後ろにいる部下の手を煩わすことを嫌い、できるかぎり後ろを振り向かないように努めた。(委員会中、後ろを向くという行為が失礼にだと思うとともに、自分の能力のなさを露呈するような気がしたからである。)
そのためには、かなり下調べをして望まなければならない。
後ろを振り向かないということが、部下の信頼を得られると(穿った)思い込みをしていた。
そして、今日、想定していない質問をされた。
自然に後ろを振り返る自分がいた。
担当の松本リーダーから、スーと欲しい資料が出てきた。(前の部署でもそういうことがないわけではない)
なぜか、うれしかった。
すなおに、うれしかったのである。
委員会後、「いやあ、助かったよ。ありがとう。」
自分でも不思議なくらい、自然体の自分がいた。
そして、中途半端な私を支えてくれる部下がいることがうれしかった。
私よりも勉強をしてくれている部下がいることがうれしかった。
以前の私は、ひょっとして、ピッチャーマウンドの投手に例えるならば、完投だけを目指すピッチャーではなかったか。
チームのために、勝つためにと言いながら、自分だけがヒーローになろうとしていなかったか。
8人のチームメート(実際には、ベンチにいるチームメートを入れるともっといるのだが)がいながら、一人で野球をしていなかったか。
たくさんの味方に見守られているにも関わらず、自分で勝手に「孤独なピッチャー」を決め込んでいなかったか。
仕事はさまざまな人たちに支えられながら、達成できるものである。
私はわかっていたようで、そのことをわかっていなかったような気がした。
深く反省。
私には、自慢できる部下がたくさんいる。
彼等を信じ、自然体に生きようと思った一日であった。
駒大苫小牧(南北海道)の3連覇の夢を早実(西東京)が打ち砕いて、初優勝を決めた。
それにしても、「すさまじい」という言葉が引用できるくらいの投手戦だった。
準決勝までのほとんどの試合が打撃戦であったのに対し、決勝はちがっていた。
そして、今日、文教消防委員会があった。
教育委員会関連は、当課の案件だけだった。
また一方、議会の委員会は、課長が答弁をすることとなっている。
私は、課長になってから委員会においては、後ろにいる部下の手を煩わすことを嫌い、できるかぎり後ろを振り向かないように努めた。(委員会中、後ろを向くという行為が失礼にだと思うとともに、自分の能力のなさを露呈するような気がしたからである。)
そのためには、かなり下調べをして望まなければならない。
後ろを振り向かないということが、部下の信頼を得られると(穿った)思い込みをしていた。
そして、今日、想定していない質問をされた。
自然に後ろを振り返る自分がいた。
担当の松本リーダーから、スーと欲しい資料が出てきた。(前の部署でもそういうことがないわけではない)
なぜか、うれしかった。
すなおに、うれしかったのである。
委員会後、「いやあ、助かったよ。ありがとう。」
自分でも不思議なくらい、自然体の自分がいた。
そして、中途半端な私を支えてくれる部下がいることがうれしかった。
私よりも勉強をしてくれている部下がいることがうれしかった。
以前の私は、ひょっとして、ピッチャーマウンドの投手に例えるならば、完投だけを目指すピッチャーではなかったか。
チームのために、勝つためにと言いながら、自分だけがヒーローになろうとしていなかったか。
8人のチームメート(実際には、ベンチにいるチームメートを入れるともっといるのだが)がいながら、一人で野球をしていなかったか。
たくさんの味方に見守られているにも関わらず、自分で勝手に「孤独なピッチャー」を決め込んでいなかったか。
仕事はさまざまな人たちに支えられながら、達成できるものである。
私はわかっていたようで、そのことをわかっていなかったような気がした。
深く反省。
私には、自慢できる部下がたくさんいる。
彼等を信じ、自然体に生きようと思った一日であった。