走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

「当たり前」について

2008年04月21日 23時53分40秒 | その他
 子どものしつけが難しい理由

 日経Kids+(PLUS)6月号を読んでいて、家庭教育力の低下の本質に迫る記事が載っていたので紹介します。

 今の社会は、当たり前が身に付きにくくなっているというのであります。
その背景には、「当たり前」がはっきりしない世の中になっているとのこと。
もう少し時代考証をしていくと、高度成長期以前は、みんなが支えあって生きていく必要があった時代には、人とうまくやっていくための流儀や、「これくらいのことはできて当たり前」といった基準が明確にあり、「どんな子に育てるか」を親が考える必要がなかったというのであります。

 そして、高度成長期以降、共同体が崩壊していき、みんなで支えあうための流儀を必要としなくなってきました。
さらに消費社会を迎え、「価値観はそれぞれが決めていい」ということが個性化の名の下に善しとされ、「何が当たり前なのか」があいまいになってきました。

 さらに、今の子どもは、当たり前があいまいになり始めた時代に育った親に育てられているのだから、当然、「常識がない」という子どもでいっぱいになり始めたというのであります。

 なるほどであります。
 そして、今の子どもの難しい理由が4つあると続きます。

 ①“一人前”になるために必要な育て合いが消滅
 ②親以外に子どもをしつける人がいない
 ③親も子どももわがままが利く
 ④子ども同士でルールを学ぶ場がない

 どうですか、心当たりがいっぱいあるでしょう?
学校教育が悪い、家庭教育が悪いとか議論している場合ではないと思いませんか。
実は、地域の共同体があった頃、子どもはいろいろな人たちから「しつけ」られていたのです。
つまり、私たち地域も子どもたちの「しつけ」の大事さを改めて認識しようではありませんか。

 私たちは、もう一度、子どもを育てるのは「親」だという既成概念から脱却する時期にきていると思うのです。