日経新聞の最終頁にある「交遊抄」を見ていて、兼松エンジニアリング会長の山本吾一さんの話が紹介されていました。
内容は、山本さんが大学のときの軟式テニス部の創設50周年に出席し、その流れで友人宅に雑魚寝したときのお話です。
当時、山本さんは転職を重ねた末、高知の中小企業に勤めていた時期だそうです。
山本さんは、したたかよっていたせいか薄給を愚痴ったそうです。
これに痛烈な一撃を浴びせたのが日本ビクター関連会社の製造部長だった小松さんです。
「それはお前が悪い。社長が喜んでたくさん給料を出せるよう、もうかるようにするのが君の役目ではないのか!」
山本さんは、その一撃をしっかりと受けとめ、奥様から「生きざまが変わった」と言われるくらい、がむしゃらに働いたという。
そして、地方の中小企業を株式公開にまで持っていかれた。
今時代は大不況の中で、私たち公務員の給料が市民に受け入れられるものか考えていただきたい。
私たちは市民の皆様から、「もっと給料を払いたい」と思うくらい必死で働いているだろうか。
私は、退職時に振り返って「よう働いた」と思えるようにしたい。
そして、できうるならば市民の人たちから「あいつに支払った生涯賃金は安かった」と言っていただけるようがんばりたい。
内容は、山本さんが大学のときの軟式テニス部の創設50周年に出席し、その流れで友人宅に雑魚寝したときのお話です。
当時、山本さんは転職を重ねた末、高知の中小企業に勤めていた時期だそうです。
山本さんは、したたかよっていたせいか薄給を愚痴ったそうです。
これに痛烈な一撃を浴びせたのが日本ビクター関連会社の製造部長だった小松さんです。
「それはお前が悪い。社長が喜んでたくさん給料を出せるよう、もうかるようにするのが君の役目ではないのか!」
山本さんは、その一撃をしっかりと受けとめ、奥様から「生きざまが変わった」と言われるくらい、がむしゃらに働いたという。
そして、地方の中小企業を株式公開にまで持っていかれた。
今時代は大不況の中で、私たち公務員の給料が市民に受け入れられるものか考えていただきたい。
私たちは市民の皆様から、「もっと給料を払いたい」と思うくらい必死で働いているだろうか。
私は、退職時に振り返って「よう働いた」と思えるようにしたい。
そして、できうるならば市民の人たちから「あいつに支払った生涯賃金は安かった」と言っていただけるようがんばりたい。