今夜の「夢の扉プラス」は、日本大学教授 工学博士青木義男 さんのお話だった。(番組ホームページから引用)
先生は、NASAがスペースシャトル後の宇宙開発のひとつとして取り上げている「宇宙エレベーター」の開発者のひとり。
2011年7月、「アトランティス」の打ち上げが、最後のスペースシャトル 飛行となった。
今、宇宙開発は、新たな時代を迎えようとしている。
その中の一つが「宇宙エレベーター」。
なんと宇宙から地球上までケーブルを下ろし、それをクライマーと呼ばれる乗り物が登っていく。
「安全」「大量輸送」「低コスト」…ロケットに代わる究極の宇宙輸送システム。
全長10万キロ、実現すれば、人類史上最大の構造物となる。
この壮大なる構想の開発に挑む一人が、日本大学理工学部教授、青木義男。
「エレベーター」の権威である。
青木は、3年前に「宇宙エレベーター」に出会った。
「今、街中にあるエレベーターの技術を高めるのだって難しいのに、宇宙なんて出来っこない」
しかし、ひやかし半分で行った宇宙エレベーターのイベントで、その魅力に惹かれた。
少年時代、アポロ月面着陸で宇宙を夢見ていた青木少年の好奇心が、よみがえってきた。
かつて、小説で描かれた宇宙エレベーターは空想の物でしかなかった。
しかし1990年代に、軽くて強い新素材カーボンナノチューブが発見され、ケーブルの役割を担えるのではと、「宇宙エレベーター」実現の可能性が一歩近づいた。
今、夢のような技術が、少しずつ動き出している。
2011年8月初旬、青木は研究生らと共に、富士山の麓で行われた宇宙エレベーター技術競技会で600mの高さを目指しクライマーの開発を手がけた。
さらに8月中旬、ドイツ・ミュンヘンで行われる宇宙エレベーター世界大会に挑み、見事準優勝に輝く。
そんな青木先生も高校時代は不良少年で頻繁に家出を繰り返していたという。
そして、今の彼へと導いたのには中村先生という恩師の力がある。
中村先生は、彼が人生に迷っているときに粘り強く彼に接したという。
そして、彼は一念発起して大学教育者の道へと進むのである。
高校時代の青木先生は手のつけれない生徒であったに違いない。
中村先生は、「生きる」とは、「夢」をもつとは、「一生懸命」になるとは等々、人間として大事なことを彼に伝えたのではないかと思う。
このことが結果的に人類にとって素晴らしい貢献をする人材を育てたことになる。
そして、中村先生が彼に向けたメッセージの中に、「例え、この夢を君が実現できなくとも、君の意思を継ぎ、それを実現してくれる人材を育てることが大事です」と。
人生の中で何人かの自分の先生がいる。
時に、それは学校の先生以外の場合もある。
振り返れば自分のことよりも相手のことを必死に考えて、指導をしてくれた人たちと出会っている。
そんな自分は幸せである。
そして、そんな人に自分もならなければならないと考えている...
先生は、NASAがスペースシャトル後の宇宙開発のひとつとして取り上げている「宇宙エレベーター」の開発者のひとり。
2011年7月、「アトランティス」の打ち上げが、最後のスペースシャトル 飛行となった。
今、宇宙開発は、新たな時代を迎えようとしている。
その中の一つが「宇宙エレベーター」。
なんと宇宙から地球上までケーブルを下ろし、それをクライマーと呼ばれる乗り物が登っていく。
「安全」「大量輸送」「低コスト」…ロケットに代わる究極の宇宙輸送システム。
全長10万キロ、実現すれば、人類史上最大の構造物となる。
この壮大なる構想の開発に挑む一人が、日本大学理工学部教授、青木義男。
「エレベーター」の権威である。
青木は、3年前に「宇宙エレベーター」に出会った。
「今、街中にあるエレベーターの技術を高めるのだって難しいのに、宇宙なんて出来っこない」
しかし、ひやかし半分で行った宇宙エレベーターのイベントで、その魅力に惹かれた。
少年時代、アポロ月面着陸で宇宙を夢見ていた青木少年の好奇心が、よみがえってきた。
かつて、小説で描かれた宇宙エレベーターは空想の物でしかなかった。
しかし1990年代に、軽くて強い新素材カーボンナノチューブが発見され、ケーブルの役割を担えるのではと、「宇宙エレベーター」実現の可能性が一歩近づいた。
今、夢のような技術が、少しずつ動き出している。
2011年8月初旬、青木は研究生らと共に、富士山の麓で行われた宇宙エレベーター技術競技会で600mの高さを目指しクライマーの開発を手がけた。
さらに8月中旬、ドイツ・ミュンヘンで行われる宇宙エレベーター世界大会に挑み、見事準優勝に輝く。
そんな青木先生も高校時代は不良少年で頻繁に家出を繰り返していたという。
そして、今の彼へと導いたのには中村先生という恩師の力がある。
中村先生は、彼が人生に迷っているときに粘り強く彼に接したという。
そして、彼は一念発起して大学教育者の道へと進むのである。
高校時代の青木先生は手のつけれない生徒であったに違いない。
中村先生は、「生きる」とは、「夢」をもつとは、「一生懸命」になるとは等々、人間として大事なことを彼に伝えたのではないかと思う。
このことが結果的に人類にとって素晴らしい貢献をする人材を育てたことになる。
そして、中村先生が彼に向けたメッセージの中に、「例え、この夢を君が実現できなくとも、君の意思を継ぎ、それを実現してくれる人材を育てることが大事です」と。
人生の中で何人かの自分の先生がいる。
時に、それは学校の先生以外の場合もある。
振り返れば自分のことよりも相手のことを必死に考えて、指導をしてくれた人たちと出会っている。
そんな自分は幸せである。
そして、そんな人に自分もならなければならないと考えている...