甘えの構造が組織に蔓延していたときに、行政改革を担当したことがある。
当時の組織のリーダー的立場にあった部長さんたちと話していたときに、セクト主義ややる気のなさを感じた。
腹が立つ機会が多かった。
そんなとき、スクラップ・アンド・ビルドが現実的にはビルド・アンド・ビルドだと気づく。
世の中は、地方分権推進法が制定され、地方自治のメカニズムが180度転換しようとした時期だった。
このことを利用した。
地方の自立は、健全な財政基盤と効率的な都市経営であるということを前面に押し出し、スクラップ・アンド・スクラップに舵を切った。
その根底には、自分なりのポリシー(理念、哲学)があった。
スクラップ・アンド・スクラップと言いながら、単に人員削減をしたわけではない。
贅肉を落としても筋肉まで落とす気はなかった。
では何が贅肉で、なにが筋肉か。
全庁の全業務の洗い出しを行い、年間の繁閑やその必要性について検証した。
おかげで、どの部署で今、何の仕事をしているかが、わかるようになった。
そして、各部署に時間があるときは出かけていき、それが現実かどうか自分の中で照らし合わせていた。
最終的に、必要か必要ではないかについては、担当者に意地悪な質問を投げかけた。
「この仕事て、何の役にたつん?」と
相手はムキになって、説明する。
そのやり取りから、残すかどうか決めていた。
そして課の定数を決めるとき、あえて少し少なめに配置することを心がけた。
不思議なもので、そういう環境のほうがやりくり上手になることが見えてきた。
こんなことをしていたから、内輪から嫌われていく...
しかし、自分の中に「市民のため」という理念と真摯な気持ちがあった。
理由は簡単。私たちの給料は市民の皆さんから持っているからである。
その「意識」を常に持つことである。
これは、究極的(童門冬二/どうもん・ふゆじさん風)にいえば、ヒューマニズム(人間愛)を持つことでもある。
ヒューマニズムを根底に抱きつつ、再建作業をしていくことでしだいに方向性が見えてくる。
行き着く先はもちろん「市民のために」である。
市民のために私たちは健全な経営に邁進し、社会的責任を果たしていくべきである。
当時の組織のリーダー的立場にあった部長さんたちと話していたときに、セクト主義ややる気のなさを感じた。
腹が立つ機会が多かった。
そんなとき、スクラップ・アンド・ビルドが現実的にはビルド・アンド・ビルドだと気づく。
世の中は、地方分権推進法が制定され、地方自治のメカニズムが180度転換しようとした時期だった。
このことを利用した。
地方の自立は、健全な財政基盤と効率的な都市経営であるということを前面に押し出し、スクラップ・アンド・スクラップに舵を切った。
その根底には、自分なりのポリシー(理念、哲学)があった。
スクラップ・アンド・スクラップと言いながら、単に人員削減をしたわけではない。
贅肉を落としても筋肉まで落とす気はなかった。
では何が贅肉で、なにが筋肉か。
全庁の全業務の洗い出しを行い、年間の繁閑やその必要性について検証した。
おかげで、どの部署で今、何の仕事をしているかが、わかるようになった。
そして、各部署に時間があるときは出かけていき、それが現実かどうか自分の中で照らし合わせていた。
最終的に、必要か必要ではないかについては、担当者に意地悪な質問を投げかけた。
「この仕事て、何の役にたつん?」と
相手はムキになって、説明する。
そのやり取りから、残すかどうか決めていた。
そして課の定数を決めるとき、あえて少し少なめに配置することを心がけた。
不思議なもので、そういう環境のほうがやりくり上手になることが見えてきた。
こんなことをしていたから、内輪から嫌われていく...
しかし、自分の中に「市民のため」という理念と真摯な気持ちがあった。
理由は簡単。私たちの給料は市民の皆さんから持っているからである。
その「意識」を常に持つことである。
これは、究極的(童門冬二/どうもん・ふゆじさん風)にいえば、ヒューマニズム(人間愛)を持つことでもある。
ヒューマニズムを根底に抱きつつ、再建作業をしていくことでしだいに方向性が見えてくる。
行き着く先はもちろん「市民のために」である。
市民のために私たちは健全な経営に邁進し、社会的責任を果たしていくべきである。