トーネードの無職生活

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近衛秀麿に関する番組を見る

2016-06-22 10:08:58 | 日記
 半年ほど前に録画しておいた近衛秀麿に関する番組を見ました。秀麿は戦前の昭和史で欠かせない近衛文麿の弟で、指揮者という音楽家だった方です。ドイツに留学し指揮を学び、日本でまだオーケストラというものがない時代にあたらしくオーケストラをつくって演奏活動をしていたとの事です。

 その後またドイツに渡り、第二次世界大戦中もドイツにとどまり音楽活動を続けたとのことです。ドイツ国内だけでなくドイツの占領地でも演奏活動をしていたとのこと。そして秀麿の行動の中で一番重要なのが、ユダヤ人音楽家のドイツからの亡命に力を尽くしていたことです。特にドイツから国外へ亡命しようとすると財産をほとんど持ちだせないそうなのですが、秀麿が力をつくして海外に送金していたそうです。

 またドイツ人の反ナチスの活動家の友人がゲシュタポに捕らえられ拷問を受け多とのことなのですが、ある時期からピタリと拷問がやんだとのこと。収容所に送られはしましたが、拷問が止まったのは秀麿がなんらかの影響力を及ぼしたためと考えているとのことでした。

 当時のドイツと日本は同盟国とはいえ、ユダヤ人の亡命に力を貸すという行為は日本人だったら命はとられないでしょうが、かなりリスクの高い行動です。そのような環境の中で反ナチスに力を尽くしたことは非常に勇気が必要だったと思います。特に日本の首相の弟なのですから。

 兄の文麿は政界にデビューすると青年貴族として当時の日本人からしたら非常にスマートで国民からも軍からも期待されたようですが、結局のところ貴族のぼんぼんというわけで、難局を乗り切るだけの実行力や粘り腰というものはなく、蒋介石に対して相手にせずと宣言するなど、政治家としては無能であったといえます。ちなみに当時天皇と合うことのできる人はごく限られていましたし、会えてもほとんど会話なんぞできないほどかしこまっているわけですが、文麿は天皇と椅子に座って足を組んで会話をしていたという話があります。

 兄の文麿と比べると弟の秀麿の方が自分の意志を貫くことができる人物だったといえると思います。近衛家といえば公家の中でも筆頭ですから指揮者になるなんてことができたのもお金に不自由しない家に生まれたからとも言えますが、日本人としてオーケストラを指揮するということは並大抵の努力ではできなかったと思いますから、かなり意志も強い人物だったようです。

 ということで、この番組を見るまで文麿に弟がいたことは知らなかったのですが、戦前の日本人にもすばらしい人物がいたのだなと思ったのでした。