今夜は結局,ミナミで飲もうとしていたところを津に呼び出され,20:25から津にいた.
でも呼び出した人が大門で飲んでいたので,駅から遠いから結局断りを入れて,懐かしい津駅近辺を探検していた.
「虎と桜」.
この店の名前はなかなか思い出せなかった.
この11月にオープンした店で,鈴鹿でよく知った人が働いているところだ.
津駅の西も東も歩き回って,結局のところ店がどこなのか思い出せなくて,鈴鹿の元の店に104まで使って聞いた.
でも満席.
「ごめんなさい!」と言う某従業員.
「ええの,ええの」と時間があるので気にすることなく立ち去る私.
次に向かったのは「とり新」.
実はオープンした時に飲みに行っている.
あの時,おかみさんに「オープンの時だけやなしに,普段も是非来てや」と言われた義理をようやく果たせた.
11年目の義理だった.
なんとこの11月にオープン10周年を迎えたのだそうな.
10年か.私が23歳の時だ.
もうそうなるのか.信じられない.
でもそういうことを言っているのは年をとった証拠だ.
信じれなくても認めざるを得ない客観的証拠が揃っているのが辛い.
あの頃からもう10年も経つのか...
親父さんとは古い野球の話で盛り上がっていた.
親父さんは法政大学野球部OB.
江川卓よりも10年先輩だという.
店に中日ドラゴンズのコーチ時代の高代のサインがあった.
実に渋い.そして私好みである.
私が彼は元南海ホークスだと言う.
すると親父は元日本ハムだと主張する.
でも野村克也が南海を追い出されたときに,彼も出たのだと言うと,論争が収まった.
親父は江本が2年下だと言う.
私は昭和48年生まれで,その時は南海ホークスがパ・リーグ優勝で,巨人が4勝1敗でシリーズ制覇だったが,江本がその1勝を挙げたはずだというと,野球年鑑を持ち出して調べだした.
私はシリーズの勝敗までわかるのかと驚いた.
でも勝敗だけで,勝利投手が誰かはわからなかった.
でも巨人の4勝1敗というのは正しかったので,親父は私の話をやや信じた.
昭和63年が私にとっては最悪の年だと話した.
なぜなら大相撲では南海竜が夏に突然ホームシックになって廃業してしまうし,秋には南海ホークスが身売りしてしまうし,門田博光が40歳にして44HR,125打点で超異常な2冠王を取って華々しく終わったが,それでも「南海」という言葉が霞んでしまった年なのだった.
しかも南海と激戦を繰り広げていた阪急まで身売りしてしまうし.
当時中学生の私は常に良き敵だった阪急ファンとふたりでしんみりしたものだった.
しかし,野球年鑑というのはなかなか良いものだ.
真の野球ファンである「とり新」の親父と話し合えて,その価値を知った.
来年からは御教訓カレンダーと共に毎年買うことになりそうだ.
さてもう空席もできているはずだ.再度「虎と桜」の黄色い看板に向かって進んでいった.
でも満席.
私の直前に入った3人でカウンターが埋まってしまった.
泣きそうな顔で「ごめんなさい」という某従業員.
「ええの.ええの.またくるわぁ~.」
軽やかに立ち去る私.
次に向かったのが知る人と知るべきでない人がいる「Hatch's Bar」.
ハッチさんが「久しぶりやなぁ」と迎えてくれる.
多分6-7年ぶりだ.
この店は何も変わった感じがしないと思った.
いつものように同じ酒を頼む.
「あぁ,そやったなぁ」とハッチさん.
「ハッチさん,何も変わってないですね」と私.
「お腹が出てきた」とハッチさん.
「そんなことないですよ」と私.
私にとってはむしろやせて見えた.
以前にも同じ経験がある.
というか逆の経験.
えらく太ったと思ったやつが「やせてる」と主張するのだ.
私は奴としばらく会っていなかった.
最後にあったときは120Kgくらいのはずだったが,130Kgくらいになってたのだ.
でもしつこく「やせたんだ」と主張される.
よくよく聞いてみると,私とあっていない間に135Kgくらいまで行ったそうだ.
それを知らんからやせたといわれても太ったとしか思えない.
同じというか真逆のことがハッチさんに言える.
絶対,昔はもっと大きかった.
きっとすごくダイエットした時があったのだろう.
男の色気を大切にするハッチさんのこと.それはありえる.
ちょっとハッチさんのことをいいように言いすぎだが,そういう意味ではない.
しかし,ハッチさんが自ら言うように変わったことを気づかされた.
なんということか,あのハッチさんが客に向かって敬語を使うのだ.
異変に動揺する私はすぐに尋ねた.
「ハッチさん,『です』って言ってますやん!」
「言うよ」とハッチさん.
困惑した私はあたりを見回すと,更に困惑する事態があった.
柱に「おでん」とあるのだ.
「ハッチさん,Hatch's Barに『おでん』ってなんです!?」
「おかあはんが作っとるんや」とハッチさん.
「ください」と私.
なんでやろ?というくらい待たされておでんが一式出てきた.
味噌も芥子も出てきた.
本当にHatch's Barでおでんだ.
「どうや?」と訊ねるハッチさん.
「カラシつけすぎました」と苦しむ私.
しかし私は気づいていた.
おでんとワイルドターキーのストレートは結構合うことを.
悔しいがうまい.
おでんが食べれて,ワイルドターキーを飲ませる外人が多いバーなんて,なかなかないと思う.
月日は人を変えるもの.
毎日会っているとわからないが,久しぶりに会ったもの同士だとその違いが楽しい.
私の周りでハッチさんを知るものは少なくない.
「みんなにハッチさんが丸くなったって言っときますよ」と私.
「何も変わってへんよ」とハッチさん.
お互い言ってることが最初と逆だ.
これだけは言える.ハッチさんの天邪鬼なところは何も変わっていない.
さてもう「虎と桜」は空いているだろうか?
残念.満席.
再三の入店不可能状態に某従業員が本当に泣きそう.
「本当にごめんなさい!!!」
「はやっとることはええことやん」と私.
とりあえず今夜は場所がどこなのかわかったことが成果だ.
終電まで時間があるのでJo's Barに寄った.
ここもほぼ満員でばたばたしている.
カウンターが空いていないので,普通の席に座った.
瞑想をするかのごとく,リラックスして喧騒を楽しんだ.
頼んだのはギムレット.つづりがわからないのが悔しい.
作るのに急ぎすぎてるんじゃないか?と思った.
終電が近いので,比較的すぐに出た.
おつりを待ってたら,足りないという.
入店だけでチャージがつくのだった.なんということだ.
次来るときは,もっと粘れる時に来よう.
Let's Noteは本当に良い.
移動中に三重県への報告書もほとんど仕上げたし,blogもリアルタイムに出せる.
このメッセージも電車の中で半分以上を書いた.
価値のポータビリティーを高めること.
酔っ払いながらも私が目指すモノが再確認できた.
|