夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

今日聴いた音楽~Beethoven:Sonaten fur Klavier Nr.30-32

2005-05-11 | music

 ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタは、これらだけでも他の楽器から「ピアノはいいよな」と羨ましがられるような曲だと思います。秋のやわらかい光の中で落ち葉が舞うような出だしの30番ホ長調(1820)、シューベルトのような曲想で生涯を慈しむように振り返る31番変イ長調(1822)、そして自由奔放なjazzyにさえ聞えるフレージングを含み、ピアノとの別れを惜しむかのように戯れる32番ハ短調(1822)!
 ベートーヴェンはピアノ・ソナタに革命をもたらし、完成し、この3曲でその枠組みの向こうに行ってしまったように感じます。およそ30年かけて作曲されたピアノ・ソナタを順を追って聴いていくと、チェンバロやハープシコードから全く異なるダイナミックスと繊細なタッチを持つ楽器に変貌していったのと軌を一にしていて、彼の曲がピアノを進化させたとすら思えるほどです。
 でも、そうしたことはもう29番変ロ長調、いわゆる「ハンマークラヴィア」までで成され、終わっています。その後の3曲では歴史的意味も、ピアノという楽器の存在すら時に忘れてしまいそうなほど、何の余分な知識も必要とせずに、この音楽は心のいちばん奥にすっと入ってきて、我々の魂と語らい、踊ってくれるのです。
 私は時にベートーヴェンの音楽に感心するとともに、辟易することがあります。中期のピアノ・ソナタがそうですし、シンフォニーの第5ハ短調や第9ニ短調の終楽章コラール(合唱という訳はあまり適切と思えません)などもそうです。そんなに力まなくてもいいじゃないですかと。
 この3曲が第9シンフォニー(1824)や最後の弦楽四重奏曲(1826)よりも前の作品なのに、その拘りのなさ、自由闊達さから後の作品のように感じられます。一つの可能性としては彼が何よりピアノの名手だったからではないかと思います。私はヴァイオリン・ソナタを順に聴いていて、ヴァイオリン・パート以上にピアノ・パートが深い音楽を奏でていて、難易度が高い(モーツァルトほどピアノが優越しているというわけではありませんが)ことがわかって、この人は本当にピアノの名手だったんだなと思いました。だからこそ、ピアノ・ソナタには自分の気持ちを素直に、ありのままに表現することが可能だったのだと思います。
 
 32番の最後、深い海の表面で波が煌き、やがて静かに潜っていくと深沈とした想いが伝わってくる……いつまでも終わってほしくない音楽の一つです。


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