
私が観たDVDは、北京の紫禁城で行われた歴史的演奏のライヴ・レコーディングで、メータの指揮、チャン・イーモウの演出によるとても豪華な舞台です。紫禁城という作品の舞台そのものの壮麗さ、装置の絢爛さもさることながら、華麗な衣装や北京舞踏学院の京劇ふうの踊りも申し分ありません。30分のメイキングまでついて3千円というのは安いでしょう。
しかし、これはある意味不思議なイヴェントです。この作品は、プッチーニ(1858-1924)が最期まで完成に執念を燃やしながら、第3幕の途中までで世を去り、初演の際トスカニーニが「ここでマエストロはペンを擱いたのです」と言って演奏を止めたという伝説があり、ハロルド・ショーンバーグによれば常時演奏され、今も愛されている最後のオペラであるわけですが、それまでの彼自身のオペラのスタイルをなぞったものであり、エキゾチズムでくるまれたメロドラマなのです。簡単に言えば別に中国でなくても、インドでも、トルコでも、インカ帝国でもよさそうなものです。だいいちトゥーランドットなんて全然中国ふうでなく、アラビアン・ナイトあたりの名前でしょう。いつのお話なのかもわかんないし。
それを堂々と紫禁城内の労働人民文化宮殿前で、多くの中国人を前に清朝ふうの格好をした紅毛碧眼wの西洋人がイタリア語で歌うというのは、たぶん我々が前作の「蝶々夫人」について感じる以上に違和感があるものでしょう。プッチーニはそれなりに日本や中国の音楽を勉強していたらしいのですが、文化的な違いというのはそう簡単に乗り越えられるものではないのでしょう。我々だって、「韃靼人の踊り」なんて呼び方をしていますから批判できたものではないんですが。
このオペラで最も心に訴えかけるのはおそらく可憐なリュウの自己犠牲でしょうし、私がいちばん好きな音楽は、コメディ・デアルテのスタイルで、ピン、パン、ポン(これもずいぶんな名前ですが)の3人の大臣が故郷の自然を懐かしむ場面です。しかし、他の作曲家はこうしたものを陳腐な時代遅れのものとみなすようになって、要はオペラそのものを信じることができなくなってしまったのだろうと思います。
その根本的原因は、やや性急に言ってしまえばたぶんオペラを支えた市民階級(ブルジョワ)の創造的精神の衰退なのでしょう。そして、プッチーニの精神はミュージカルに受け継がれ、それは階級的意識を持つことを含めて、固定的な定義(つまりカラフのように名前を知られること)を拒否する現代の大衆によって支えられているのだろうと思います。それが真に創造的かどうかはまだ答えは出ていないとしても。
蝶々さんの行動も日本的ではないですか。……じゃあ、トゥーランドットの行動は全く中国的ではないではないでしょうねw。
オペラに興味をもったのは、「誰も寝てはならぬ」を初めて聴いた時。パバロッティーが歌うこのアリアに鳥肌して感動、琴線に触れました。今でも大好きなアリアの1つです。
オペラってだいたい全員死亡したり殺されたり自殺したりと最後が悲劇で終わるものが多い中、「トゥーランドット」は途中リュウが死んでしまいますが、カラフと姫はハッピーエンド、オペラの中では貴重~な明るい作品だと思います。それに、美貌につられて来た3つのナゾも解けないアホ男なんぞ‥といった高飛車な姫もいいじゃあないですか(笑)。
これ欲しい!
「誰も寝てはならぬ」もそれまでのプッチーニの世界から持ち込まれたアリアのように思っています。もちろん名曲ですけど。