夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(8)

2005-06-21 | tale

 それから、宇八は甥のところへ時々暇つぶしのようにやって来るようになった。
「伯父さんは、ビートルズとか聴くの?」
 伯父が”Eight Days a Week”を口笛で吹きながら、階段を登って(エレヴェータなどないのだ)帰って来ることがあるので、そう訊いてみた。
「聴くよ。おれは雑食だからな」
「そうなんだ。……ぼくもジャンルとか関係なくて、S&Gみたいなきれいなのも、T.レックスみたいな激しいのも……」
「雑食で、悪食でいいんだ」
 童はその言葉にやや反発を覚えてぶつぶつ言いながらも、この堂々たる居候の伯父に訊いてみたいことがあった。
「でさ、ビートルズで何がいちばん好きなの? ”A Day in the Life”かな?」
「それはおまえのいちばんだろ? おれはそんなにのめり込んじゃいない」
「じゃあ”Blackbird”?……それとも」
 宇八は、その熱を帯びた言い方に笑い出してしまった。
「わかった、わかった。いつか教えてやるよ、おれのいちばん好きなビートルズを。でもな、ロックをやりたいんなら形から入んないと。ロックは不良のやるもんだろ? 髪はもっと伸ばして、タバコ吸って、教科書破いて、友だちんち泊まり歩いて、オンナ作んなきゃ。……伯父さんとお行儀良く音楽評論やっててどうするんだよ」
 そう言って話を打ち切ってしまった。

 さて、我々としてはこの機会に彼の一人娘の輪子について、もう少し触れておかなければならないのかもしれない。こうやって宇八と甥との親交を書き連ねているのだから。しかし、実際のところ彼は小さい頃にはかわいがったりもしたが、それも彼女が小学校に上がる頃にはおもちゃに飽きたようになってしまったのだった。
 この点については、我々としても弁明できないような気分であるが、彼としては男の子が生まれるものと信じ込んでいたのだった。息子が生まれれば自分のできなかったこと、最近になって(つまり手遅れになって)ようやくわかってきたことを教えてやりたいと。
 栄子が妊娠している間、まだ見ぬ息子に彼はしばしば語りかけていた。……クリアにものを考えられるように数学を勉強しろ。心の運動法則を知るためにギャグに習熟しろ。しかし、決して数学者やお笑い芸人になってはいけない。それは死屍累々たる恐ろしい職業なのだから。無限の深淵に理性の錘を垂らしたり、めまぐるしく動き回るほんの毛穴ほどの笑いのツボを突くなんてことを日々の糧としてはいけない。
 そうだ、おまえの仕事にはコックはどうだ? きちんと手間を掛ければきちんと結果が出る。什器や食材の仕入れ、選択。肉や魚や野菜の切り方、下ごしらえ。煮る、焼く、揚げる、蒸す……。味付け、盛り付け。準備に時間を掛け、手順を整理し、一気に仕上げる。結果はお客の舌の上で直ちに現れ、そして胃袋へと消えていく。な?さっぱりとしたまともな仕事だろ?……
 だが、それほど自分のかなわなかった夢を託した子どもだったにもかかわらず、生まれたのは女の子だった。サルというか、人間への進化の途上といった、そのしわだらけの赤黒い新生児は見事に彼の期待を裏切って、か細い声で、しかし執拗にふぎゃふぎゃとわめいていた。彼は、初めて見せるようなしわくちゃの表情でベッドに横たわった妻を見遣った。……


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。