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通常のミサでは、キリエに続いてグローリアが歌われますが、レクイエムでは省略され、司祭が「集禱文」を唱えた後、グラドゥアーレが歌われます。
このgradualeはgradus(階段)から派生した言葉で、祭壇に登る階段のところで歌われたのに由来するようです。こうした典礼の式次第と強く結びついているためか、レクイエムが教会の外に出て、コンサートで演奏されることが多くなり、いわばレクイエムの”世俗化”が進行するのに伴って、次のトラクトゥスとともに作曲されなくなっていきます。
私の聴いた範囲内で言うと、グラドゥアーレを作曲した作曲家は、オケゲム(ca.1490)、モラーレス(1544)、ヴィクトリア(1605)、コーロワ(1606)、カルドーソ(1625)、ロボ(1639)、セルローレス(ca.1651)、ジル(ca.1700)、カンプラ(ca.1722)、ケルビーニ(1816,1836の2曲)、ドヴォルザーク(1890)、スタンフォード(1896)です。17世紀くらいまでのレクイエムで作曲されていないのは、グレゴリオ聖歌が歌われることを前提にしているのでしょうが、その後の作品について、”世俗化”の分水嶺をモーツァルト(1791)辺りとするとドヴォルザークの例が目を引きます(スタンフォードは……おいときますw)。
ドヴォルザークのレクイエムはあまり知られていないのかも知れませんが、私は彼の最高傑作の一つだと思います。彼の音楽はシンフォニーなどを聴いても、ブラームスの言うようにとてもメローディアスで、構成や書法も後期のものは危なげないものですが、そのためかえって食い足りないというか、(芸術ではしばしばそうであるように)人の良さ、誠実さが災いしてチャイコフスキーやブラームスのようなアクがないというか、本当の意味での魅力がないように感じます。しかし、レクイエムにおいては、時代遅れのグラドゥアーレを作曲するところにも見られるような、深い信仰心と宗教的情熱が感じられ、何より死を見つめる厳しい視線が全体を引き締めていて、優れた作品になっています。率直に言って、私はベルリオーズやヴェルディのそれよりも19世紀を代表するレクイエムだと思っています。
物語に掲げた詩句は、16世紀半ばのトリエント公会議を経て、1570年に定められた「ローマ・ミサ典礼書」によるもので、古い形では次のようになっています。
Si ambulem in medio umbrae mortis, non timebo mala:
quoniam tu mecum es, Domine
Virga tua, et baculus tuus, ipsa me consolata sunt.
死の暗き谷間をさまようことになろうとも私は恐れないでしょう、
いかなる所にても、あなたは私と一緒にいるのですから、主よ。
あなたの杖と支えは、私を鼓舞します。
これは有名な詩篇23章に拠るもので、この方がグラドゥアーレとしての独自性があっていいように思いますし、何より「死の暗き谷間をさまよう」という印象的な言い回しが魅力的です。まあ、トリエント公会議はルターの宗教改革にカトリック側が対抗するために開かれたものですから、文学性は二の次なのでしょう。
この古い方の詩句に基づいて作曲されたのは、上に掲げた作曲家の中では、オケゲム、コーロワの2人です。コーロワはモラーレスの間違いじゃないかと思われるでしょう? 時系列的にはそうなんですが、まず、モラーレスのCDがなぜ新しい歌詞を採用しているのか、理由はわかりません。
コーロワが逆に古い歌詞なのは、ちゃんとした理由があります。フランス国家教会主義(ガリカニスム)を掲げるパリ高等法院と宮廷が、教皇庁の決定に従わないことにしたという背景事情があるからです。しかもこのコーロワのレクイエムは18世紀までフランス国王の葬儀で正式に使われるものとなったのです。
このガリカニスムは、ずっと後のベルリオーズやフォーレ、更にはメシアンらのフランスの宗教音楽を聴く上で極めて重要な点です。
いろいろな作曲家のレクイエムがあるのは多少存じていましたが、こんなに沢山あるとは知りませんでした。死者への曲というイメージから、なかなか聴き比べする気が起きませんでした
ヴェルディ-よりもドヴォルザーク!!歌詞の内容までは理解しておりませんでした。なんだか世界が開けたような感覚です。大変勉強になりました。
またいろいろなことを教えて下さい!なんか、音楽って楽しいかも。
こういうのもあるんですよってことが伝えられたら、幸いです。これから、「怒りの日」も順次登場してきますので、よろしくお願いします。
第三回公会議が1545-1563年となっていますから、この時に制定された事になるようです。想像するに、作曲年1589年としての演奏・制作企画のようですが、如何なんでしょう
勿論モラレスの場合も聖歌と歌詞と音楽形式の関係の解釈への見識となるのでしょう。
ついでに申し上げると、アナクロニズムというきつい表現を使うのであれば歌詞の変更がいつ実施されたかを確認すべきであったと反省しています。記事では「ローマ・ミサ典礼書」の制定と同時にすべてがいっぺんに変わったという(暗黙の)前提をしていますが、ご指摘のようにトリエント公会議の議論の結果、変更されたのですから、1570年よりもう少し遡る可能性はありますし、逆に(フランスは別としても)すべての国の教会のミサの内容がその年以降に変わったものなのか疑問なしとしません。いずれにしても歌詞の変更時期については幅をもって考えてよいという立場はあると思いますが、この問題について、これ以上の考察ができるような材料を私は持っていません。
ラッススの4声の方のレクイエムは未聴ですが、1578年の成立であるにもかかわらず、ミュンヘンにいたせいなのかどうなのか、古いほうの歌詞で作曲されているそうです(井上太郎氏の著書による)。自分の疎漏を棚に上げるつもりはないのですが、モラーレスを含め、この頃のレクイエムのCDのライナーノーツでは、歌詞(テクスト)の問題に言及してほしいという気はします。
以上のことから、記事を訂正させていただきます。今後ともよろしくお願いします。