夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(52)

2005-11-25 | tale

 新幹線に乗って東京に向かった。東京が目的地というわけではなかったが、10年前の放浪、栄子からすれば行方不明の出発点が東京だったので、そこからまた始めてみようと思ったのだった。輪子や月子に連絡する気はなかった。根津のビジネス・ホテルに一泊して、上野から中距離電車を乗り継いで行く。東北新幹線は大宮から開業していたが、上越新幹線はまだできていなかったので、新潟の方へ向かう列車のダイヤにあまり変化はないようだった。列車が群馬県に入って、やがて終点に着いた。駅の裏に出ると、周りは古い建物が小さなビルに変わったりしていたが、眠たげな雰囲気は同じだった。レンタカー店に入り、いちばん小さな車を借りた。

 久しぶりの運転に慣れるのに田舎道は都合が良かった。北に向かってしばらく走ると山並みが左右に迫ってくる。不思議とあの時でたらめに行った道を憶えていた。山の奥の方へ入って行く。あの時は、遊び半分でどこまで行くのか、どうなるのか、試すような気分だった。だが、そうすることで、かなりのっぴきならないようなことになってしまった。今度はどうか。あの時も後から考えると危機の時期だったものの、余裕もどこかにあったのに、今はもっと切羽詰まった不安の中に、いやほとんど恐怖に飲み込まれそうになっている。生きていくことが苦しみでしかないとすれば……こんな命題の立て方じゃあ、何十年も前となんの進歩もしていないなと苦笑してしまう。

 我々としても運転しながら彼が考えていたことをもう少しわかりやすく、客観的に説明しておきたい衝動を覚えるが、やはりそれは後にした方がいいだろう。この時点でそうした解説を加えることは、すべてがそこに還元されてしまうように思えるからである。彼は別に四六時中、不安や恐怖を感じていたわけではない。単純に以前と同じく、占いでもするような気分で、一連の行動を取っていたとも言えるのだから。

 山あいのカーブの多い道を相当行くと、だだっ広い広場に出る。公園のつもりなのか、キャンプサイトのつもりなのか、なんとも中途半端なところである。あの時は植えたばかりのイチョウの若木がかなり太く、高くなっている。樹々の葉の落とす影も濃いように思う。10年前の天候はよく憶えていないが、まあ、今日と同じ晴れ時々曇りといったところだろう。そう、なんの特徴もない秋の一日だと思ったのだ。はっきりとしない動機で、事故死だか、自殺だかはっきりしない形で死ぬには、いいのかもしれないと。あの時に考えていたことが鮮明に蘇る。

 あの時はいったん街の方へ戻って、夜を待ってまたここへ来た。……そこまで繰り返さなくてもいいだろう。そんなに時間があるわけでもない。同じくねくねした道を自分でもおかしいくらい慎重な運転で戻り、駅でレンタカーを返し、また列車に乗った。上越本線ではなく、信越本線の長野経由で直江津を目指す。碓氷峠の機関車の増設を見ているうちに暗くなってきた。上田に着く前に晩飯時を過ぎたが、駅弁を買うのも億劫だった。そう言えば昼飯も食っていないようだ。朝、ホテルの近くの喫茶店でモーニングを食べたきりだ。闇の中を走る列車の窓の明かりが線路を照らしていくのを見ていると、別れてきた人びとの面影が浮かんでくるように思える。友人も欽二以外にはいないし、近所付き合い、親戚付き合いも好きではなかった。だが、多くの人と、好むと好まざるとにかかわらず、付き合ってきた。そうした糸は全部切ってきたつもりだ。蝶ヶ島の顔が浮かぶ。どうしてだろう。今、いちばん会いたくない、しかしこの旅行が終われば、ああいう連中に会わざるを得ないからか。……

 直江津に着いた。いつの間にかうとうとしていたようだ。ガタンと停車した時のショックで目が覚めた。列車の中には人影はほとんどない。あわてて降りる。風が冷たく感じる。海に近いはずだが、山の中のような匂いがする。古びた改札口を出ると、佐渡島へのフェリーのダイヤが大きく掲示されている。駅前に昔で言う商人宿がある。石畳の玄関の上がり框には必要以上に多いスリッパが並べてある。……何もかもあの時と同じで、苦笑いがこみ上げてくる。

 目のきつい女将だか、従業員だかわからないような中年女が出て来る。
「一人ですが、一泊できますか?」
 彼が言いにくそうに言うのに、不審そうな目付きで応じ、料金や風呂の時間を口の中で言って、招じ入れる。目に『おや』という色が浮かんでいる。そう、10年前に一度だけ来た客も憶えているような人だと思っていたよ。部屋は違うようだが、あまり上客と思っていないらしいことは変わらない。当然だな。すぐに外に出て、居酒屋で夕食代わりにつまみを二、三品注文し、ビールを飲む。ここはあまりかまわれないのがいい。田舎の飲み屋によくあるような人なつこさに耐えられるような状態ではない。ビールを飲み終わると宿に帰って寝た。

 こうした我々の主人公の一人旅をだらだらと紹介するのは、これぐらいでいいだろう。翌日、彼が前回の旅でここが目的地だったと感じた、新潟と富山の県境の親不知子不知をやはり同じように駅から一時間ほどかけて汗を流しながら登って、厳しい姿の海岸線を見下ろしたことだけ触れておこう。切り立った崖、と言うよりは北アルプスそのものがここで突然終わって、海に呑み込まれている。それ以外は何もなく、本来、人が足を置くような場所は用意されていないのだ。穏やかな天候だったが、それでもはるか下の海岸には、太平洋側ではなかなか見られないような大きな波が次々と山を押しやろうとぶつかっている。……


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