引き続きセレンディピティにはまっています。一つのことに一時期熱中して、やがて冷めてしまう繰り返しなんで仕方ないでしょう。長くこつこつなんてのは私の性には合いません。学校を卒業してから曲りなりにも仕事を続けてるだけで大したものです。これ以上のことを望んではいけませんw。
そういう意味では「当初の目的外のものを偶然に発見する・手に入れる能力」というセレンディピティは私にうってつけのような気がします。……誰ですか、当初の目的はあったのか?なんて言う人は。いいんです。思いもかけないようなものを見つけた気になるってことが大事なんですから。たぶん。おそらく。きっと。
serendipityは「セレンディップの3人の王子様」というお話からできた言葉で、このserendipは今のスリランカのことで、かつてサファイヤやルビーの輸出で栄えたそうです。「偶然からモノを見つけだす能力」(澤泉重一著)という本を読んでいたら、Japanityという言葉が出てきました。要はセレンディピティの反対で「誰でもやっていることを追いかけて当たり前の・必然的なものを発見する能力」のことで、日本人の独創性のなさをからかった言葉だそうです。著者はこの言葉に大いに不満に思っているようですが、私は全くそのとおりだと思いました。
身の回りの工業製品、携帯電話やパソコンや車、なんでもいいんですが、日本製は使い勝手が良くて故障しにくいですが、同じようなものばかりです。美術館でも商業デザインでも建築物でも一つの新しいものが出るとその模倣が大量に出回ります。テレビ番組や映画やマンガもしかり。コンビニの商品も何か新商品がヒットすればあっという間に真似をする。……成功の方程式という言葉がありますが、定式化(方程式という言葉遣いは間違っています)されたものにわくわくするような創造性はありません。少しでも新しいものを産み出そうとする人たちの意欲を殺ぐだけです。
ジョークで沈没しようとする船から飛び込ませるには日本人には「隣の人も飛び込みましたよ」って言うのがいいっていうのがありますが、本当のことでしょう。職場やそれ以外の場所の会議でも、ネットでのブログや掲示板でもどこかで聞いたことのあるような意見ばかりです。笑われてもいいから人と違うことを言ったらどうかって思うんですが、まず聞かないですね。流行に弱い(これは事実で流行遅れのものには厳しい、つまり「強い」ことから明らかです)ということ以上に、「世間」とか「空気」に弱いんでしょう。これも昔から言われていることですが。
なぜそうなのかはこれまたいろんな理由が言われていますが、まあそんなのを並べ立てるのはそれこそセレンディピティのない、ジャパニティまみれなのをさらけ出すだけなんで言いません。だって、日本の学界ではいろんな学説をいっぱい並べてきれいに整理して、それにちょっとだけ新しく思えるような自分の説を挙げるのがいちばんなんですから。
こんなに激しいことを言うと反論があるかもしれませんが、ではなぜセレンディピティが「能力」なんでしょうか?ピンと来なかった人もいるんじゃないでしょうか?……フレミングの細菌の培養器にたまたま青カビが混入していたから抗生物質の発見に結びついた。強力な接着剤を作るつもりが弱い接着力しかできなくてそれをポストイットとして使ってみた。そういうのは棚からぼた餅、ただの幸運だって思いがちですね。でも、パストゥールはこう言っています。「観察の分野においては、チャンスは備えのいい心だけに微笑む」備えのいい心、幸運を呼び込む心を持つこと自体が能力であり、他のいろんな能力と同様にとても大事なものだと思えないとしたら、それを持っていないことを立証しているだけだと思います。そして、それはもちろん科学だけの問題ではないはずです。
そういう意味では「当初の目的外のものを偶然に発見する・手に入れる能力」というセレンディピティは私にうってつけのような気がします。……誰ですか、当初の目的はあったのか?なんて言う人は。いいんです。思いもかけないようなものを見つけた気になるってことが大事なんですから。たぶん。おそらく。きっと。
serendipityは「セレンディップの3人の王子様」というお話からできた言葉で、このserendipは今のスリランカのことで、かつてサファイヤやルビーの輸出で栄えたそうです。「偶然からモノを見つけだす能力」(澤泉重一著)という本を読んでいたら、Japanityという言葉が出てきました。要はセレンディピティの反対で「誰でもやっていることを追いかけて当たり前の・必然的なものを発見する能力」のことで、日本人の独創性のなさをからかった言葉だそうです。著者はこの言葉に大いに不満に思っているようですが、私は全くそのとおりだと思いました。
身の回りの工業製品、携帯電話やパソコンや車、なんでもいいんですが、日本製は使い勝手が良くて故障しにくいですが、同じようなものばかりです。美術館でも商業デザインでも建築物でも一つの新しいものが出るとその模倣が大量に出回ります。テレビ番組や映画やマンガもしかり。コンビニの商品も何か新商品がヒットすればあっという間に真似をする。……成功の方程式という言葉がありますが、定式化(方程式という言葉遣いは間違っています)されたものにわくわくするような創造性はありません。少しでも新しいものを産み出そうとする人たちの意欲を殺ぐだけです。
ジョークで沈没しようとする船から飛び込ませるには日本人には「隣の人も飛び込みましたよ」って言うのがいいっていうのがありますが、本当のことでしょう。職場やそれ以外の場所の会議でも、ネットでのブログや掲示板でもどこかで聞いたことのあるような意見ばかりです。笑われてもいいから人と違うことを言ったらどうかって思うんですが、まず聞かないですね。流行に弱い(これは事実で流行遅れのものには厳しい、つまり「強い」ことから明らかです)ということ以上に、「世間」とか「空気」に弱いんでしょう。これも昔から言われていることですが。
なぜそうなのかはこれまたいろんな理由が言われていますが、まあそんなのを並べ立てるのはそれこそセレンディピティのない、ジャパニティまみれなのをさらけ出すだけなんで言いません。だって、日本の学界ではいろんな学説をいっぱい並べてきれいに整理して、それにちょっとだけ新しく思えるような自分の説を挙げるのがいちばんなんですから。
こんなに激しいことを言うと反論があるかもしれませんが、ではなぜセレンディピティが「能力」なんでしょうか?ピンと来なかった人もいるんじゃないでしょうか?……フレミングの細菌の培養器にたまたま青カビが混入していたから抗生物質の発見に結びついた。強力な接着剤を作るつもりが弱い接着力しかできなくてそれをポストイットとして使ってみた。そういうのは棚からぼた餅、ただの幸運だって思いがちですね。でも、パストゥールはこう言っています。「観察の分野においては、チャンスは備えのいい心だけに微笑む」備えのいい心、幸運を呼び込む心を持つこと自体が能力であり、他のいろんな能力と同様にとても大事なものだと思えないとしたら、それを持っていないことを立証しているだけだと思います。そして、それはもちろん科学だけの問題ではないはずです。
「備えのいい心」…いいことばですね、常に心は開いて風通しよくしておかないと、ですね。
パストゥールの言葉は英語のWikipediaのSerendipityで見つけたんですが、"in the field of observation, chance favors only the prepared mind."
をこう訳してみました。
おお、夢さんの訳語ですか、getしちゃお、使わせてね。
まあ、セレンディピティって正面から捕まえようとするとつまらなくなるところがあるんで、さかさまから考えてみました。
見てのとおりの拙劣な訳ですが、どうぞどうぞ。
また、毎日コツコツ努力した積み重ねが今につながっているとも言っています。
つまり、セレンディピティのように偶然何かを発見する能力というものは、ただ漫然と毎日を送っているだけでは身につくものではなく、日頃の努力、準備によって身につくものであるのだと思います。
イチローは天才と称されますが、そんな彼でさえ毎日の努力の積み重ねが新たな記録を作る源になっているのだと感じました。
努力、努力って言うと息苦しくなるし、コツコツやりさえすればいいみたいになっちゃいますが、自分の活かせるものを見逃さない好奇心が大事なのかなって思います。
好奇心とか、何かがものすごく好きであるとか、すごく興味があるとか、そういうことがセレンディピティの根底にあるのではないかと思います。
好きなことだと他人から見ると努力しているように見えるかもしれませんが、本人にしてみたら楽しんでいるだけかもしれませんものね。
自分にとって何がいちばん好きか。。それはあんまりわからなかったすることもあるんですが