「ピアノの森」を12巻まで読みました。例によってマンガ喫茶で一気に。なかなかおもしろいなって思いました。「のだめ」と比較するのはあまりいいことじゃないような気がしますが、音楽的には「のだめ」の方がよく勉強もし、取材もしているだろうと思います。例えば主人公の一ノ瀬海やその先生の阿字野壮介がどんなふうなピアノを弾いているのかほとんどわかりません。「誰も聴いたことがない感動的な演奏」と言うしかないでしょう。ライヴァルの雨宮修平やその父の雨宮洋一郎のピアノの方がもうちょっと具体的に描写されているのは皮肉ですが、ある意味当然なんでしょう。前者はわかる人だけわかる天才であり、後者は良かれ悪しかれ万人向けの優等生ですから。2世代にわたる勝負!という構図でもあるわけです。
演奏内容(?)だけでなく、選曲も、CDまで出てる「のだめ」に比べると魅力に欠けます。読んでない人やクラシックになじみがない人には不親切な言い方になりますが、「そこで『ラ・カンパネラ』かいっ!」とか「M響wとラフマニノフ~~??」と突っ込んでしまいました。……いえ、そういうのがダメっていうんじゃなくて、曲名を出すだけならもっとパンチ力がないとねってことです。そういう意味ではモーツァルトがうじゃうじゃ出てくるのとストリップの伴奏にイギリス組曲が使われてるのがおもしろかったですね。
マンガとしてどうなのかって言うと、構成が甘いと思います。母親の怜子や恋人の冴ちゃんの出し入れなんかを見るとご都合主義的だと言われても仕方ないでしょう。しかし、そうした後先をあまり考えない作者の描き方は今の時代の趣味に合っているのかもしれません。つまり論理性をあまり気にせずに印象的な場面を次々とつなげていく韓流ドラマふうのストーリー展開は、エンターテイメントとしてだけでなく、ある種の自由さを与えているようにも思えます。でもこういうのは計算ではなく、作者の資質によるところが大きいのかもしれません。例えば丸山誉子が腱鞘炎になって一日だけ子どもたちの相手をするエピソードなんかはそのままにする(12巻まででは)のがもったいないようなものです。そう考えると最初に登場した時の感動的な便所姫の話もあんなに長いものにするつもりだったのかどうか。ウェンディ~w。……
考えてみればこの作品の主題であるピアノの森と主人公の住む森の端はリアリティなど始めから放棄しているわけで、象徴的な神話の舞台だと思った方がいいでしょう。ピアニストとしてやっていこうと一ノ瀬海が思った時にお約束のようにピアノに雷が落ちますが、それは神話がお約束(=宿命)に満ちているのと同じでしょう。インバイの子こそが聖なるものとしてのクラシック音楽の本質に近づけるという言わば宗教的意識がドラマを支えているわけです。
登場人物はとても魅力的です。才能が大してない、しかし音楽を愛してやまない人間、司馬や佐賀のような脇役もていねいに描かれています。「のだめ」もそうなのですが、報われることの少ない人生(ほとんどすべての人間にとってそうですが)を描くのに音楽は最適だとさえ思えます。……でも、いちばんきれいで魅力的なのは凡人を嘲笑う『マリア』なんだよなぁw。
演奏内容(?)だけでなく、選曲も、CDまで出てる「のだめ」に比べると魅力に欠けます。読んでない人やクラシックになじみがない人には不親切な言い方になりますが、「そこで『ラ・カンパネラ』かいっ!」とか「M響wとラフマニノフ~~??」と突っ込んでしまいました。……いえ、そういうのがダメっていうんじゃなくて、曲名を出すだけならもっとパンチ力がないとねってことです。そういう意味ではモーツァルトがうじゃうじゃ出てくるのとストリップの伴奏にイギリス組曲が使われてるのがおもしろかったですね。
マンガとしてどうなのかって言うと、構成が甘いと思います。母親の怜子や恋人の冴ちゃんの出し入れなんかを見るとご都合主義的だと言われても仕方ないでしょう。しかし、そうした後先をあまり考えない作者の描き方は今の時代の趣味に合っているのかもしれません。つまり論理性をあまり気にせずに印象的な場面を次々とつなげていく韓流ドラマふうのストーリー展開は、エンターテイメントとしてだけでなく、ある種の自由さを与えているようにも思えます。でもこういうのは計算ではなく、作者の資質によるところが大きいのかもしれません。例えば丸山誉子が腱鞘炎になって一日だけ子どもたちの相手をするエピソードなんかはそのままにする(12巻まででは)のがもったいないようなものです。そう考えると最初に登場した時の感動的な便所姫の話もあんなに長いものにするつもりだったのかどうか。ウェンディ~w。……
考えてみればこの作品の主題であるピアノの森と主人公の住む森の端はリアリティなど始めから放棄しているわけで、象徴的な神話の舞台だと思った方がいいでしょう。ピアニストとしてやっていこうと一ノ瀬海が思った時にお約束のようにピアノに雷が落ちますが、それは神話がお約束(=宿命)に満ちているのと同じでしょう。インバイの子こそが聖なるものとしてのクラシック音楽の本質に近づけるという言わば宗教的意識がドラマを支えているわけです。
登場人物はとても魅力的です。才能が大してない、しかし音楽を愛してやまない人間、司馬や佐賀のような脇役もていねいに描かれています。「のだめ」もそうなのですが、報われることの少ない人生(ほとんどすべての人間にとってそうですが)を描くのに音楽は最適だとさえ思えます。……でも、いちばんきれいで魅力的なのは凡人を嘲笑う『マリア』なんだよなぁw。
うっすらの印象ってありますね。なんか話をしてて、「あ、それ読んだことある!」って言ってから「しまったぁ」みたいな。それをそのまま書けるところがいちごさんのいいとこじゃないでしょか。。ってことでケーキにw
グールドがレコードの世界に閉じこもったのも、ミケランジェリがキャンセル魔になったのも、アルゲリッチが合わせ物に走ったのも、もしかするとあがり性だったから
そしてジンクスでもおまじないでも、イメージトレーニングでも何でも頼って、誉子のように何かのきっかけでウェンディーが現れないかと祈ってるわけです。
だから、ステージ上の誉子の中にウェンディーが出てきたとき、思わず自分に置き換えて涙ぐんでしまうわけです。
うっ思い出しただけで泣いちゃう…
そういえばある先輩が本番前の舞台袖で、「何でこんなにのどカラカラになるのかしら、もう、お便所の水だって飲めちゃう!」と言ってました。
とても美しい人だったので忘れられましぇん。
……それにしてもぽけっとさんも便所姫だったとは
細かい突っ込みところはいっぱいあるけど、いいの、泣けるから。
私は誉子の最初のコンクールの話が好きです、一番好きなくらい。
身につまされて一緒に泣けます。
でも確かにあのカンパネラは最初は私も、他に曲なかったんか?と思いましたよ。
でも読んでいるうちに、あの空間にあの音はさぞかし美しいだろうと耳に響いてきました。
だからいいの、あの場面では曲の内容ではなくて、音なの。
ということで、いいの、ばっかりでしたね。