この網野善彦の有名な、我が国の中世史学において既に名著としての地位を確立したとも思える書を読んで多くの不満と疑問を持ちました。いつものこととは言え、素人のくせにそんなことを言うなんて、いい根性をしていると我ながら思いますが、別にわざわざ異論を唱えようと思ったわけでもなく、ごくふつうに通勤電車の中で読んでいたらそう感じたのだから仕方ありません。引っ掛かった個所は例えば次のようところです。
中世都市の「自治」、その「自由」と「平和」を支えたのは、「無縁」「公界」の原理であり、「公界者」の精神であった……「無縁」「公界」の原理は、恐らく、人類史のすべてに貫通している。(p.91)
「女性の世界史的敗北」…そのものの中に、女性の性そのものの非権力的な特質、「自由」と「平和」との深い結びつきがかくされているのであり、その過程の徹底的な認識のみが、解放への確固としてゆるぎない立脚点になるのではないだろうか。(p198)
「無縁」の原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿ることによって、これまでいわれてきた「世界史の基本法則」とは、異なる次元で、人類史・世界史の基本法則をとらえることが可能となる。(p.242)
こうした調子の高い主張は網野史学の次のような一般的な理解とはズレがあります。
中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に大きな影響を与えた。また、中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者達が、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったことを実証したことでも知られている。(ウィキの網野善彦の項目)
そのズレとは一言で言えばイデオロギッシュだということです。彼の史学は単に歴史を客観的に観察しようとしたものではなく、マルクス主義に基づく唯物史観と同様に人類解放の原理を歴史的に基礎づけようとした主体的なものなんでしょう。こういう記述もあります。
「原無縁」から「無縁」の原理の自覚にいたる道筋は、日本・西欧のみならず、人類史の基本的な道筋の一つを示しているのではなかろうか。この「法則」は、これまで「世界史の基本法則」と考えられてきた、奴隷制-農奴制-資本制の発展段階と決して矛盾するものではない。(p.248)
こうした大上段からの主張について、この手の「アジール」(この言葉もマンション業界とかでも使われていますからかなり手垢がついてしまっています)が頻出する歴史学のファンがどう思うのかは知りませんが、私はマルクス主義ほどの実践性があるのかなって思いました。歴史の変化を生産力の発展に求める唯物史観と「無縁」の原理に求める彼の主張を簡単に対比してみましょう。
唯物史観 網野史学
注目する場 稲作を中心とする耕作地 都市、寺、河原など
場の意味 武家権力による被支配地 支配・被支配から無縁な場
歴史の担い手 農民(領民) 芸能民、職人、女性、被差別民など
こんな感じでしょうけど、何より重要なのは何が歴史を動かしてきたのか、それを誰が担ってきたのかです。歴史の原動力をヘーゲルまでの歴史哲学のように神の意志や支配者・権力者の欲望だと見ていては革命はありえないとマルクスは考えたんだろうと思います。それで生産力の発展を歴史の原動力と見て、それと生産手段に着目して歴史の発展段階を説明したわけです。そして、生産手段から資本主義社会においては歴史の担い手すなわち革命の担い手はプロレタリアートということになるでしょう。マルクスがイメージしていたプロレタリアートは主に工場労働者でしょうけど、現代においては剰余価値が多く産み出されている(それだけ搾取されているということにもなる)のはサービス産業ですからその労働者すなわちサラリーマンでもいいのかもしれません。問題はそうした労働者が収入も意識も多様になっていて、団結してくれそうもないことですが。……ところが網野においてはこの原動力が何なのか明らかではありません。上に引用した個所でも伺えるようにそういうものを唯物史観とは別に立てることをあえて放棄しているのかもしれません。そうすると次のような対比ができそうです。
唯物史観 網野史学
歴史の原動力 生産力 あえて唱えず
革命の担い手 プロレタリアート 支配・被支配から無縁な人たち?
(工場労働者、サラリーマン) (アーティスト、ミュージシャン、フリーター?)
網野史学の方は半分冗談で書きました。彼は歴史の原動力を言いませんから、革命の担い手みたいなものを考えようとしても手掛かりがなく、皮相的な類似に頼らざるをえません。ひょっとすると皮相的どころか現代の自由民が革命の担い手となって人民を解放すると思ってる人もいるかもしれませんが、それは(例えば日本の代表的なミュージカルの主宰者と権力との関係を見ればわかるように)おめでたいと言わざるをえません。網野史学のような構造主義(かどうか知りません、要はポスト唯物史観ってことです)的なアプローチは「歴史の原動力」のようなセントラル・ドグマを持たないことを大きな特徴としていて、それが叙述をイデオロギー一色に染めないおもしろさにつながっているんだろうと思いますが、それだけに実践性、あえて言えば人を無謀でもなんでも革命に駆り立てるような「宗教性」が希薄です。……そう、ドグマって元々はカトリックの教義のことです。
でも、私がこの本を読んで抱いた最大の疑問はその先にあって、一体この無縁で公界に生き、楽を満喫していた人たちはどんな人たちだったのかということです。彼ら自身が作り出した工芸や絵画や芸能の作品はどれなのか、いやもっと直接的に彼らが書いた文書があるのか、ないのか著者は何も答えません。芸能民のような「道々の輩」は最近では大河ドラマにも登場したりしますが、そのイメージは絵巻物などにわずかに描かれたものにヨーロッパの中世の芸能民のイメージを重ね、現代のアーティストのセリフを与えたような感じで、貧弱だと思います。
彼らがどんな考えを持っていたのかが結局わからないので、現代にどうつながるのかがわからないのです。例えば堺や博多や長崎も「公界」「無縁」の原理による自由で平和な都市だそうですから、そこで生まれた文化は全部そうだと言うのかもしれませんが、それじゃあわざわざ「無縁・公界・楽」などといったことを言う必要もないでしょう。富士山が頂上があるから富士山に見えるのと同じように、ミケランジェロがいるからルネッサンス美術があるし、バッハがいるからバロック音楽があると思っていますから、卓越した個人=天才を描けない歴史には私は満足できないのです。
中世都市の「自治」、その「自由」と「平和」を支えたのは、「無縁」「公界」の原理であり、「公界者」の精神であった……「無縁」「公界」の原理は、恐らく、人類史のすべてに貫通している。(p.91)
「女性の世界史的敗北」…そのものの中に、女性の性そのものの非権力的な特質、「自由」と「平和」との深い結びつきがかくされているのであり、その過程の徹底的な認識のみが、解放への確固としてゆるぎない立脚点になるのではないだろうか。(p198)
「無縁」の原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿ることによって、これまでいわれてきた「世界史の基本法則」とは、異なる次元で、人類史・世界史の基本法則をとらえることが可能となる。(p.242)
こうした調子の高い主張は網野史学の次のような一般的な理解とはズレがあります。
中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に大きな影響を与えた。また、中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者達が、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったことを実証したことでも知られている。(ウィキの網野善彦の項目)
そのズレとは一言で言えばイデオロギッシュだということです。彼の史学は単に歴史を客観的に観察しようとしたものではなく、マルクス主義に基づく唯物史観と同様に人類解放の原理を歴史的に基礎づけようとした主体的なものなんでしょう。こういう記述もあります。
「原無縁」から「無縁」の原理の自覚にいたる道筋は、日本・西欧のみならず、人類史の基本的な道筋の一つを示しているのではなかろうか。この「法則」は、これまで「世界史の基本法則」と考えられてきた、奴隷制-農奴制-資本制の発展段階と決して矛盾するものではない。(p.248)
こうした大上段からの主張について、この手の「アジール」(この言葉もマンション業界とかでも使われていますからかなり手垢がついてしまっています)が頻出する歴史学のファンがどう思うのかは知りませんが、私はマルクス主義ほどの実践性があるのかなって思いました。歴史の変化を生産力の発展に求める唯物史観と「無縁」の原理に求める彼の主張を簡単に対比してみましょう。
唯物史観 網野史学
注目する場 稲作を中心とする耕作地 都市、寺、河原など
場の意味 武家権力による被支配地 支配・被支配から無縁な場
歴史の担い手 農民(領民) 芸能民、職人、女性、被差別民など
こんな感じでしょうけど、何より重要なのは何が歴史を動かしてきたのか、それを誰が担ってきたのかです。歴史の原動力をヘーゲルまでの歴史哲学のように神の意志や支配者・権力者の欲望だと見ていては革命はありえないとマルクスは考えたんだろうと思います。それで生産力の発展を歴史の原動力と見て、それと生産手段に着目して歴史の発展段階を説明したわけです。そして、生産手段から資本主義社会においては歴史の担い手すなわち革命の担い手はプロレタリアートということになるでしょう。マルクスがイメージしていたプロレタリアートは主に工場労働者でしょうけど、現代においては剰余価値が多く産み出されている(それだけ搾取されているということにもなる)のはサービス産業ですからその労働者すなわちサラリーマンでもいいのかもしれません。問題はそうした労働者が収入も意識も多様になっていて、団結してくれそうもないことですが。……ところが網野においてはこの原動力が何なのか明らかではありません。上に引用した個所でも伺えるようにそういうものを唯物史観とは別に立てることをあえて放棄しているのかもしれません。そうすると次のような対比ができそうです。
唯物史観 網野史学
歴史の原動力 生産力 あえて唱えず
革命の担い手 プロレタリアート 支配・被支配から無縁な人たち?
(工場労働者、サラリーマン) (アーティスト、ミュージシャン、フリーター?)
網野史学の方は半分冗談で書きました。彼は歴史の原動力を言いませんから、革命の担い手みたいなものを考えようとしても手掛かりがなく、皮相的な類似に頼らざるをえません。ひょっとすると皮相的どころか現代の自由民が革命の担い手となって人民を解放すると思ってる人もいるかもしれませんが、それは(例えば日本の代表的なミュージカルの主宰者と権力との関係を見ればわかるように)おめでたいと言わざるをえません。網野史学のような構造主義(かどうか知りません、要はポスト唯物史観ってことです)的なアプローチは「歴史の原動力」のようなセントラル・ドグマを持たないことを大きな特徴としていて、それが叙述をイデオロギー一色に染めないおもしろさにつながっているんだろうと思いますが、それだけに実践性、あえて言えば人を無謀でもなんでも革命に駆り立てるような「宗教性」が希薄です。……そう、ドグマって元々はカトリックの教義のことです。
でも、私がこの本を読んで抱いた最大の疑問はその先にあって、一体この無縁で公界に生き、楽を満喫していた人たちはどんな人たちだったのかということです。彼ら自身が作り出した工芸や絵画や芸能の作品はどれなのか、いやもっと直接的に彼らが書いた文書があるのか、ないのか著者は何も答えません。芸能民のような「道々の輩」は最近では大河ドラマにも登場したりしますが、そのイメージは絵巻物などにわずかに描かれたものにヨーロッパの中世の芸能民のイメージを重ね、現代のアーティストのセリフを与えたような感じで、貧弱だと思います。
彼らがどんな考えを持っていたのかが結局わからないので、現代にどうつながるのかがわからないのです。例えば堺や博多や長崎も「公界」「無縁」の原理による自由で平和な都市だそうですから、そこで生まれた文化は全部そうだと言うのかもしれませんが、それじゃあわざわざ「無縁・公界・楽」などといったことを言う必要もないでしょう。富士山が頂上があるから富士山に見えるのと同じように、ミケランジェロがいるからルネッサンス美術があるし、バッハがいるからバロック音楽があると思っていますから、卓越した個人=天才を描けない歴史には私は満足できないのです。
視点を変えて見たおもしろさ、どころじゃなく書かれているというわけですね。実際に読んでみないとなんとも…でもなんだか難しそうだなあw