宮古には1時間半ほどで着いた。高速道を使ったから早かった。この先の旅程が長いのに海岸を走ると疲れないようにと思ったこともある。吉里吉里や浪板海岸も興味があったが、車は明日の11時までに返さないといけない。何より盛岡への山越えはアイスバーンが怖いから、明るいうちに済ませたい。昨日、釜石から遠野に向かう道で車をUターンさせようとした時、冬タイヤは見事に滑った。
駅の方から市役所に向かう道になつかしさを覚える。3年前に訪れた3つの被災地の最後だ。列車で来るのは大変だったが、車窓からの眺めはとても好きだった。気仙沼、釜石、宮古を車で再訪したいとずっとぼんやり思っていた。
市役所近くの海岸に出る。
海岸通りの向かい側は更地になったままだ。さてどうしようかと思うけど、3年前にどっちに向かって歩いたかも思い出せない。
浄土ヶ浜に行くのがいちばんいいと思い、ナビを設定した。
浄土ヶ浜第3駐車場は仮設住宅になっていた。しんとして人影も見えない。こんな高台で風も強いだろうし、生活するのは大変だろう。
あの橋から浜を見る。曇っているが、絶景だ。歩道のない方に行く。
海岸でどこをどう行けばいいのかわからなかったはずだ。
崖沿いの道が壊れたままになっている。
新しい墓が多い。ほとんどの墓石に霊塔と刻んである。この辺りの風習かもしれないが、震災を思うとふさわしいような気もする。
前は昭和っぽかった第1駐車場はきれいに改装されていた。三陸復興国立公園と書かれているが、年末休みの10時過ぎなのにほとんど車は停まっていない。
展望台まで140メートルと書いてあったが、3年前はここまで歩いて来た。昨日からよく登っている。
塔の上まで登ってもちょっと木が邪魔だ。
埠頭まで行く。「シートピアなあど」という物産センターにジオラマがあって、子どもたちが作ったのか、一軒ずつ名字が書かれた札が立っている。3年前のがれきもこの人たちの家だったことを改めて感じさせてくれた。
魚市場はかなり地盤沈下したままで使われていた。
三陸の静かで穏やかな海もしばらく見納めだ。
いたるところ工事現場のようなものだから、どこがどうなっているのかがわかりにくい。気仙沼とも陸前高田とも釜石とも違う。
グリーンのネットがあちこちに張り巡らされている。
復興の仕方は街それぞれなんだろうけど、釜石がいちばん進んでいるような印象がある。
古い壊れ方建物には見覚えがあって親しみを感じる。
車を駅の方に向けてお昼にしようと思った。
駅前の細い道に入って食べるところを探すが開いてそうな店がない。ようやく大阪王将を見つけ、不本意だったが、ちゃんぽんと餃子を食べた。
前から行ってみたかった龍泉洞に行くことにする。釜石の飲み屋でいっしょだったおじさんも「いいから行け、小本ってところから入るんだ」と何回も言っていた。
低くやさしく流れる川に見惚れながらゆっくり走ると小さな橋があって駐車スペースもある。小舟が両岸につながれている。水墨画のようなとはこのことだろう。
低い堰とやわらかい里山の味わいも格別だ。
ゆるやかな流れは大きな瞳のように林を映している。
龍泉洞に着いた。渓流の趣きだ。
ここは「恋人たちの聖地」だそうで、若いカップルが写真を撮ろうとデジカメを立てるのに苦労していた。微笑ましいと思って、声を掛けて撮ってあげた。
湧き水は9度あるそうだが、十分冷たい。
レトロというか垢抜けないというか遠足に行ったような気分だ。
深いところに水が見える。澄んで深い。
いろんなものに見立てた札が付いているが、これはよく似ている。
外より10度くらいあたたかい。
地底湖がいくつもあって、いちばん深いものは98メートルもあるそうだ。
地底湖を探査している。ここから30メートルほど登る。また登りかと思うが、好奇心には勝てない。
通ってきたイルミネーションに囲まれた通路が見える。ライティングが青と赤に変化する。
この向うにコウモリが住んでいるらしい。
外に出ると団体客がやってきた。新洞もあるらしいが、切り上げて車に戻る。
標高が上がって行くと川が凍っている。また駐車スペースを見つけて写真を撮る。
この辺りは薪を焚いている家が多い。家の軒にいっぱい薪を積み上げて、煙突から煙を上げている。囲炉裏からストーブに変わっても裏山から木を間引いて、割って燃料にしてるのだろう。高齢者ばかりだろうにいつまで続けられるのか、自然にやさしい生活は手間も労力もかかる。
道の駅三田貝分校から早坂高原に向かうと道がアイスバーンになる。ブレーキもアクセルも最小限に抑える。カーブに差し掛かるたびにひやひやで、60キロ出すのがやっとだ。岩洞湖も真っ白に凍っている。日も暮れて盛岡市街が見えるようになってやっと道が光らなくなった。
そのまま東北自動車道に乗って仙台を目指す。花巻近くの紫波SAのイルミネーションがきれいだった。
駅の方から市役所に向かう道になつかしさを覚える。3年前に訪れた3つの被災地の最後だ。列車で来るのは大変だったが、車窓からの眺めはとても好きだった。気仙沼、釜石、宮古を車で再訪したいとずっとぼんやり思っていた。
市役所近くの海岸に出る。
海岸通りの向かい側は更地になったままだ。さてどうしようかと思うけど、3年前にどっちに向かって歩いたかも思い出せない。
浄土ヶ浜に行くのがいちばんいいと思い、ナビを設定した。
浄土ヶ浜第3駐車場は仮設住宅になっていた。しんとして人影も見えない。こんな高台で風も強いだろうし、生活するのは大変だろう。
あの橋から浜を見る。曇っているが、絶景だ。歩道のない方に行く。
海岸でどこをどう行けばいいのかわからなかったはずだ。
崖沿いの道が壊れたままになっている。
新しい墓が多い。ほとんどの墓石に霊塔と刻んである。この辺りの風習かもしれないが、震災を思うとふさわしいような気もする。
前は昭和っぽかった第1駐車場はきれいに改装されていた。三陸復興国立公園と書かれているが、年末休みの10時過ぎなのにほとんど車は停まっていない。
展望台まで140メートルと書いてあったが、3年前はここまで歩いて来た。昨日からよく登っている。
塔の上まで登ってもちょっと木が邪魔だ。
埠頭まで行く。「シートピアなあど」という物産センターにジオラマがあって、子どもたちが作ったのか、一軒ずつ名字が書かれた札が立っている。3年前のがれきもこの人たちの家だったことを改めて感じさせてくれた。
魚市場はかなり地盤沈下したままで使われていた。
三陸の静かで穏やかな海もしばらく見納めだ。
いたるところ工事現場のようなものだから、どこがどうなっているのかがわかりにくい。気仙沼とも陸前高田とも釜石とも違う。
グリーンのネットがあちこちに張り巡らされている。
復興の仕方は街それぞれなんだろうけど、釜石がいちばん進んでいるような印象がある。
古い壊れ方建物には見覚えがあって親しみを感じる。
車を駅の方に向けてお昼にしようと思った。
駅前の細い道に入って食べるところを探すが開いてそうな店がない。ようやく大阪王将を見つけ、不本意だったが、ちゃんぽんと餃子を食べた。
前から行ってみたかった龍泉洞に行くことにする。釜石の飲み屋でいっしょだったおじさんも「いいから行け、小本ってところから入るんだ」と何回も言っていた。
低くやさしく流れる川に見惚れながらゆっくり走ると小さな橋があって駐車スペースもある。小舟が両岸につながれている。水墨画のようなとはこのことだろう。
低い堰とやわらかい里山の味わいも格別だ。
ゆるやかな流れは大きな瞳のように林を映している。
龍泉洞に着いた。渓流の趣きだ。
ここは「恋人たちの聖地」だそうで、若いカップルが写真を撮ろうとデジカメを立てるのに苦労していた。微笑ましいと思って、声を掛けて撮ってあげた。
湧き水は9度あるそうだが、十分冷たい。
レトロというか垢抜けないというか遠足に行ったような気分だ。
深いところに水が見える。澄んで深い。
いろんなものに見立てた札が付いているが、これはよく似ている。
外より10度くらいあたたかい。
地底湖がいくつもあって、いちばん深いものは98メートルもあるそうだ。
地底湖を探査している。ここから30メートルほど登る。また登りかと思うが、好奇心には勝てない。
通ってきたイルミネーションに囲まれた通路が見える。ライティングが青と赤に変化する。
この向うにコウモリが住んでいるらしい。
外に出ると団体客がやってきた。新洞もあるらしいが、切り上げて車に戻る。
標高が上がって行くと川が凍っている。また駐車スペースを見つけて写真を撮る。
この辺りは薪を焚いている家が多い。家の軒にいっぱい薪を積み上げて、煙突から煙を上げている。囲炉裏からストーブに変わっても裏山から木を間引いて、割って燃料にしてるのだろう。高齢者ばかりだろうにいつまで続けられるのか、自然にやさしい生活は手間も労力もかかる。
道の駅三田貝分校から早坂高原に向かうと道がアイスバーンになる。ブレーキもアクセルも最小限に抑える。カーブに差し掛かるたびにひやひやで、60キロ出すのがやっとだ。岩洞湖も真っ白に凍っている。日も暮れて盛岡市街が見えるようになってやっと道が光らなくなった。
そのまま東北自動車道に乗って仙台を目指す。花巻近くの紫波SAのイルミネーションがきれいだった。