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1月24日の土曜日の午後についにパウンドケーキを作った。型にする耐熱ガラスを買ってからだと1か月以上、越年しての宿願のようなものである。ヒマがなかったわけでもないが、お菓子作りは始めてだから気合のようなものが必要だったのかもしれない。
で、「よし。やるぞ」と声に出して、作業を開始した。ウィキの「パウンドケーキ」の項にレシピが載っているから、それに従ってやる。ところが無塩バターは室温にしておかなければならなかったようだ。仕方ないからレンジの解凍モードを使ってやわらかくしていく。砂糖は例のザラメしかない。ふつうの粉砂糖があったはずだけど、シンク下を片付けたときになくなったのかもしれない。もうこの辺から自分の要領の悪さに腹を立て始めている。
最近は料理の記事も載せてるし、絵を描いていた話もしてるから勘違いしている人もいるかもしれないけど、ぼくは情けなくなるほど手先が不器用で、段取りが悪い。例えば朝、出勤するときにコートを着て、カバンを肩に掛けて、マフラーを巻いて、ヘッドフォンを耳に入れてという手順がすんなりできたことがない。字に書けばわかるのに体は思うどおりの順番に動いてくれない。つい最近まで林檎やじゃがいもの皮も剥けなかった。だいいちヘッドフォンのコードがからまるのをほどくのにすごく時間が掛かる。
一体にひもとかコードとは相性が悪い。靴ひもだってそう簡単に結べないし、細いコードが絡まっているのをほどこうと悪戦苦闘しているとまるで毛糸と取っ組んでいる猫のようで、思わずふぎゃとか言ったりして、やっぱり前世はメス猫だったのかと痛感する。よくよくのことでなければぼくの手を借りるのはやめた方がいい。
他のことも同じで、パソコンで文章を書くのも無駄に時間を費やしている。実はこの記事は29日に書き始めたのだが、何度も消えたり、加筆訂正した文章が反映されてなかったり、もちろんミスタッチだらけで、要は何をしても手間が掛かって仕方がない。子どもの頃、親戚の家に遊びに行くと時計を隠された。好奇心と探究心という今の子どもに不足していると言われるものをいっぱい持っていたのに、時計がバラバラになって元に戻せないという些細な理由から近視眼的な大人たちはその芽を摘むわけだ。…
何か月もかけて「仁義なき戦い」シリーズを見ているけれど、菅原文太を始めとしたヤクザたちが無意味というか、社会的には有害無益なことに命をかけて、要は不器用に生きて、結局無駄に死んでいくのがいい。ぼくは自分が男ならヤクザ、女なら娼婦だとどこかで自覚している人が好きだ。自分が役立たずでも、くずでもないとえらそうに思っている、でも実はヤクザや娼婦よりつまらない人間が多すぎる。そういう人間に限って倫理観もないし、行儀が悪くてやたらうるさいし、人にわからなければ何をするか知れたものではない、と顔に書いてある。
バターはまだ硬くてシャカシャカ(攪拌器っていうのかな)の間に入ってばかりいる。だから、超ひも理論や教育論やあろうことか人生訓までぐだぐだ考えている。そのためにやってるようなところがあるけど、いつまでも進展がないのは思考の遅滞を招き、苛々してくる。このばねを束ねたみたいな道具は、どうも邪悪な意図を持っていると思って、しゃもじで混ぜることにした。まだいくらかいいようで、ねちょねちょしてきた。やっぱり子どもの泥遊びみたいだ。バターが跳ねて指について粘つく。やだな。
ザラメを入れて混ぜる。溶けるわけがない。前途に暗雲が立ち込める。遊びなら水か牛乳を入れるところだけど、入れてはパウンドケーキではない。「バターと砂糖を白っぽくなるまで力一杯混ぜ合わせる」ふん、もう力三杯くらい混ぜているよ。卵を入れてもまだまだじゃりじゃりいう。福砂屋のカステラのはじっこを思い出し、自分を納得させる。
「小麦粉をふるっておく」と書いてあったけど、まさか袋のまま振るわけでも、古くなるまでおいた小麦粉を指定しているわけでもなく、ましてや何かの応募でもないだろうなどとぶつぶつ言いながら金属製のザルを探す。面倒くさいことを言われると言葉尻に絡むのは癖なんだ。
腕もいい加減疲れたんで、えいやっと全部を混ぜる。粉もんならこちとら大阪生まれでぇ、お好み焼き、タコ焼き、イカ焼きなんでもござれだ、てやんで。怒りのあまりソースを入れたくなってしまうけど、そういうブランド名のソースは東京ではめったに見ないのは幸いだ。ここでオレンジ果汁と(ご飯を作るときに景気付けに飲んでる)マデラ酒とレーズンを入れる。折角オレンジを1個買って、これまたほぼ1か月冷蔵庫に入れておいたのに殊勝にも中はみずみずしいのに喜んで、半分手で絞って入れたのが陥穽だった。
150度で50分間、サイトの更新や物語の構想や、要はパソコンに向かってブログを書きながらちょくちょく見に行くが、表面はいい色になったのに、中はべちょべちょのままである。120度に落としてさらに30分、20分とやるが、どうも中がじっとりしてるのに業を煮やして、画像にあるように切って、一切れ出して食べてみた。周りはクッキーっぽくて大変満足だけど、真ん中はどうもケーキらしい穴が空いていない。後で考えると1週間も冷蔵庫に入れておけばかえってよかったのかもしれないが、そんな悠長な性格ではない。出来上がった時にベストの状態が好きだ。で、切って隙間を空けてオーヴンに入れれば乾燥するだろうと120度でさらに20分ほど焼いて、それで完成ということにした。やりすぎて失敗したことは何度もあるんでちょっとは学習しているのだ。
バターがいっぱい入っているからどっしりしている。夕方までかかったんで、お腹が空いているせいだろう、すごくおいしい。だが、あれだけ苦労させられたオレンジの味や香りはほとんどなくて、ちょびっと入れたマデラ酒と適当に入れたレーズンがいい味を出している。次の日から小腹が空いた時や食後にちょびちょび食べた。クリームチーズを塗って、朝ご飯に食べたこともある。そんなわけで、熟成を待つことなく、ちょうど1週間できれいさっぱりなくなってしまった。「こりゃあのう、わしが焼いたパウンドケーキじゃけん、うまかろうはずはなかろうけんど、よかったら食うてつかあさい」菅原文太ならそう言うだろうけど、ぼくにはあげる相手もいなかった。
で、「よし。やるぞ」と声に出して、作業を開始した。ウィキの「パウンドケーキ」の項にレシピが載っているから、それに従ってやる。ところが無塩バターは室温にしておかなければならなかったようだ。仕方ないからレンジの解凍モードを使ってやわらかくしていく。砂糖は例のザラメしかない。ふつうの粉砂糖があったはずだけど、シンク下を片付けたときになくなったのかもしれない。もうこの辺から自分の要領の悪さに腹を立て始めている。
最近は料理の記事も載せてるし、絵を描いていた話もしてるから勘違いしている人もいるかもしれないけど、ぼくは情けなくなるほど手先が不器用で、段取りが悪い。例えば朝、出勤するときにコートを着て、カバンを肩に掛けて、マフラーを巻いて、ヘッドフォンを耳に入れてという手順がすんなりできたことがない。字に書けばわかるのに体は思うどおりの順番に動いてくれない。つい最近まで林檎やじゃがいもの皮も剥けなかった。だいいちヘッドフォンのコードがからまるのをほどくのにすごく時間が掛かる。
一体にひもとかコードとは相性が悪い。靴ひもだってそう簡単に結べないし、細いコードが絡まっているのをほどこうと悪戦苦闘しているとまるで毛糸と取っ組んでいる猫のようで、思わずふぎゃとか言ったりして、やっぱり前世はメス猫だったのかと痛感する。よくよくのことでなければぼくの手を借りるのはやめた方がいい。
他のことも同じで、パソコンで文章を書くのも無駄に時間を費やしている。実はこの記事は29日に書き始めたのだが、何度も消えたり、加筆訂正した文章が反映されてなかったり、もちろんミスタッチだらけで、要は何をしても手間が掛かって仕方がない。子どもの頃、親戚の家に遊びに行くと時計を隠された。好奇心と探究心という今の子どもに不足していると言われるものをいっぱい持っていたのに、時計がバラバラになって元に戻せないという些細な理由から近視眼的な大人たちはその芽を摘むわけだ。…
何か月もかけて「仁義なき戦い」シリーズを見ているけれど、菅原文太を始めとしたヤクザたちが無意味というか、社会的には有害無益なことに命をかけて、要は不器用に生きて、結局無駄に死んでいくのがいい。ぼくは自分が男ならヤクザ、女なら娼婦だとどこかで自覚している人が好きだ。自分が役立たずでも、くずでもないとえらそうに思っている、でも実はヤクザや娼婦よりつまらない人間が多すぎる。そういう人間に限って倫理観もないし、行儀が悪くてやたらうるさいし、人にわからなければ何をするか知れたものではない、と顔に書いてある。
バターはまだ硬くてシャカシャカ(攪拌器っていうのかな)の間に入ってばかりいる。だから、超ひも理論や教育論やあろうことか人生訓までぐだぐだ考えている。そのためにやってるようなところがあるけど、いつまでも進展がないのは思考の遅滞を招き、苛々してくる。このばねを束ねたみたいな道具は、どうも邪悪な意図を持っていると思って、しゃもじで混ぜることにした。まだいくらかいいようで、ねちょねちょしてきた。やっぱり子どもの泥遊びみたいだ。バターが跳ねて指について粘つく。やだな。
ザラメを入れて混ぜる。溶けるわけがない。前途に暗雲が立ち込める。遊びなら水か牛乳を入れるところだけど、入れてはパウンドケーキではない。「バターと砂糖を白っぽくなるまで力一杯混ぜ合わせる」ふん、もう力三杯くらい混ぜているよ。卵を入れてもまだまだじゃりじゃりいう。福砂屋のカステラのはじっこを思い出し、自分を納得させる。
「小麦粉をふるっておく」と書いてあったけど、まさか袋のまま振るわけでも、古くなるまでおいた小麦粉を指定しているわけでもなく、ましてや何かの応募でもないだろうなどとぶつぶつ言いながら金属製のザルを探す。面倒くさいことを言われると言葉尻に絡むのは癖なんだ。
腕もいい加減疲れたんで、えいやっと全部を混ぜる。粉もんならこちとら大阪生まれでぇ、お好み焼き、タコ焼き、イカ焼きなんでもござれだ、てやんで。怒りのあまりソースを入れたくなってしまうけど、そういうブランド名のソースは東京ではめったに見ないのは幸いだ。ここでオレンジ果汁と(ご飯を作るときに景気付けに飲んでる)マデラ酒とレーズンを入れる。折角オレンジを1個買って、これまたほぼ1か月冷蔵庫に入れておいたのに殊勝にも中はみずみずしいのに喜んで、半分手で絞って入れたのが陥穽だった。
150度で50分間、サイトの更新や物語の構想や、要はパソコンに向かってブログを書きながらちょくちょく見に行くが、表面はいい色になったのに、中はべちょべちょのままである。120度に落としてさらに30分、20分とやるが、どうも中がじっとりしてるのに業を煮やして、画像にあるように切って、一切れ出して食べてみた。周りはクッキーっぽくて大変満足だけど、真ん中はどうもケーキらしい穴が空いていない。後で考えると1週間も冷蔵庫に入れておけばかえってよかったのかもしれないが、そんな悠長な性格ではない。出来上がった時にベストの状態が好きだ。で、切って隙間を空けてオーヴンに入れれば乾燥するだろうと120度でさらに20分ほど焼いて、それで完成ということにした。やりすぎて失敗したことは何度もあるんでちょっとは学習しているのだ。
バターがいっぱい入っているからどっしりしている。夕方までかかったんで、お腹が空いているせいだろう、すごくおいしい。だが、あれだけ苦労させられたオレンジの味や香りはほとんどなくて、ちょびっと入れたマデラ酒と適当に入れたレーズンがいい味を出している。次の日から小腹が空いた時や食後にちょびちょび食べた。クリームチーズを塗って、朝ご飯に食べたこともある。そんなわけで、熟成を待つことなく、ちょうど1週間できれいさっぱりなくなってしまった。「こりゃあのう、わしが焼いたパウンドケーキじゃけん、うまかろうはずはなかろうけんど、よかったら食うてつかあさい」菅原文太ならそう言うだろうけど、ぼくにはあげる相手もいなかった。
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