夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(39)

2005-10-08 | tale

 7月初旬のある日の午前、宇八と月子は仲良く新幹線の座席に座っていた。
「伯父さん、夜あたしに変なことしないでよ」
「おまえ、期待してるのか?」
「お生憎様。夜は別行動だから」
「ふん。そんなところだと思ったよ。……こっちはダシにされてるようなもんだ」
「へへ。……彼ってさ、バンドやってて、すっごくギターうまいんだよ」
 『知り合い』が新幹線に乗ったとたんに『彼』になっている。民家がまばらになるにつれ、ひかりのスピードが上がっていく。
「そんなの、東京じゃ掃いて捨てるほどいるだろ」
「うん。でもさ、ライヴとかじゃすごい人気なんだって。特に最近……」
「で、おまえも一緒に東京に行きたいのか」
 さっさと先回りして言う。
「うーん。ちょっと迷ってる。その彼とさ、昔同じバンドで、あたしヴォーカルだったんだよ」
「ふーん。才能あるかどうかみてやるよ。歌ってみな」
「いいよ。伯父さんの、暗い暗いクラシックでしょ?」
「そんなもの一緒だよ。声が前に出てるかとか、音程がしっかりしてるかとか」
 そういう面で月子は歌がうまいことは、新年会で聴いた時に気付いていた。それ以上にこいつは歌うのが好きなんだという印象も残っている。するめ、柿ピーナッツをつまみにして、缶ビールを二人で飲む。
「そういうの自信ないな。……だから踏み切れないんだ。それに……」
「うん、それで?」
「いや、やめとく……」

 話す気になれば向こうから勝手にしゃべるだろうと思い、それ以上追いかけずに窓の外を眺める。姪といっしょでも彼は窓際に座る。ビールを飲み干すと、彼は深く眠った。目を開けると浜名湖が白く光っている。しばらくすると月子が宇八の方を見ずに話し始めた。
「5、6年前さ、あたし族、暴走族にいたのよ」
「ふーん。人気あったんじゃないの?」
 何の驚きも示さずに言う。
「ありがと。……うん。よくあたしと付き合うのなんのって、ケンカとかレースとかやってたみたい。人が頼みもしないのにさ」
「かわいいもんじゃないか」
 苦笑しながら、アイスクリームの車内販売を呼び止めて二つ買い、一緒に食べる。
「でさ。そん時の彼が族のアタマで、カッコイイのよ。バイクも早いし、ケンカも強いし、でも人望あんのよ」
「そういう奴はいるな。50人、100人、人が集まれば一人や二人はいるもんだ」
 スプーンをくわえながら応える。月子は少し早口になってきている。
「まあ、そう言わないでよ。あたしゾッコンだったのよ。だのにさ……いつもみたいにあたしを後ろに乗せて、突っ走ってて……彼が小さく、あって言ったかと思ったら、次の瞬間、ポーンってバイクが空を飛んだのよ。あたしらに迷惑してた人がピアノ線を張ったらしいんだけど。あたしも逆さまに飛びながら、あ、死ぬなって思ったの」

 少し言葉を切って、伯父の顔を窺うようにする。ふつうにはぼおっとしているとしか表現できないような伯父の表情である。
「それで……死ぬのが怖いっていうより、先に彼がバイクと一緒に頭の方からゆっくり落ちて行くのが見えて。その気持ち悪いくらい長い一秒にもならない時間の間、ああやめてって何回も思ってたんだ。後は暗くなって。……その後、身体中痛くて、しゃべろうとしてもしゃべれなくて目が覚めると、病院のベッドの上だったんだ。パパやママやお兄ちゃんが泣き笑いみたいな顔で覗き込んでた……彼は即死。あたしは全身打撲と前歯が一本折れただけ」
 最後は付け足しのように急いで言う。ぼんやりした目で月子を見ると、ふだんと同じニコニコした愛想のよい表情の上に涙が流れている。
「おまえ、アイスクリームがしょっぱくなるぞ」
「やな人だね、伯父さん」
「それで、それはいつなんだ?」
「……5年前の7月」
 今日は何日だったっけと宇八は考えた。自分にとってはそれだけの日でもこいつにはいろんな意味づけのある日なんだろうなと思った。

 少しの間しゃくり上げていたが、言ってしまうとすっきりしたらしく、鼻をかんでアイスクリームを食べ続けた。
「それでさ、あたしそんなバカやってたけど、今さ、ちゃんとしてるでしょ?」
「うん」
「でも輪子ちゃん、その時のあたしと同じくらいの年なんだよ。なんか心配なんだな。あの子、わりとあたしと似た性格なのに、それを表に出さないのよ。バカやってないからって、安心してていいのかなって」
 彼にとって不意を衝かれた思いだった。と同時に、月子がどこまで考えて、この話をわざわざしたかに思いが及び、あわてて窓の方に顔をそむけて黙り込んだ。

 東京駅に到着してから、オレンジ色の中央線の快速に乗る月子と別れる時、宇八は言った。
「おい、ロックはうまい、へたじゃないぞ」
「何?」
「どれだけ好きかどうか、それだけだ」
 そう言うと、さっさと山手線への階段を上って行った。これは格好をつけたのではなく、いくらなんでもこうした物言いが恥ずかしかったからだが、どうもこの姪の前では、我々の主人公は子どものようになってしまうようである。


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