シューマン(1810-56)って人は、一つのジャンルの曲を集中して作曲する傾向があって、特に有名なのがクララ・ヴィーク(1819-96)との結婚にメドが立った1840年の「歌の年」で、「詩人の恋」、「リーダークラウス」、「女の愛と生涯」などを作曲しています。シャミッソーの連作詩による「女の愛と生涯」は8曲からなりますが、CDの解説者の多くはその歌詞に疑問を呈しています。と言うのも、題名からもわかるように初心な少女が結婚し、子どもを産んで、夫の突然の死を迎えるというストーリー性があるんですが、その内容が「わたしのようなつまらない女をすばらしいあなたが愛してくれるなんて」とか「わたしを高いところからやさしく見つめてくれるあなた」っていう自己卑下に満ちているからです。
“いやー、こんな女性が理想ですね”なーんて解説を書けば女性たちから総スカンを食うのはわかりきっていますから、身の安全wのためにも苦言の一つも言ってアリバイを確保しておかないとまずいわけですが、もしかしたら男の本音はこんなところかも知れません。「女の愛と生涯」のヒロインが“ありえねー”だったら、エルメスだって“ありえねー”って思いますから、どっちも男の集合的無意識の化身かもw。
まあ、冗談はともかく、シャミッソーって詩人は40歳くらいで16歳の少女と結婚したうらやましいような大変なような人だそうですが、憶測するに若い妻に対する教訓を与えるために作詩したんじゃないでしょうか(効果のほどはわかりませんが)。そっちの方はどうでもいいんですが、なぜシューマンはこれを採り上げて作曲したんでしょうね。当時20歳すぎのクララはシューマンのピアノの先生の娘で、自身ピアニストとして既に有名で、作曲もするような才能に恵まれた人です。そんな彼女をこの詩のように家庭婦人として閉じ込めておけるって思う方が不思議です。シューマンは何よりも評論家として世に出たことから言っても批判精神は旺盛なはずなのに。……常識的な解決方法としては、自己卑下的なところには無頓着に、単純に平和な家庭を夢見て作曲したっていうことになるんでしょうか。
クララの父親の猛烈な反対があったのを裁判まで起こして押しきったってことからも、この際、クララを自分の支配下に置きたいって思ってもおかしくないように思います。自分勝手で、気まぐれなのはロマン派の特徴wですし、シューマンはまさにそういう人ですから。客観的には愚かなことでも、主観的にはそうせざるを得ないってことでしょうか。
ちょっとここで各曲をごく簡単に見ておきましょう。各曲には固有のタイトルがないようで、最初の1行を取っていますが、第1曲「あの方に初めてお会いして以来」出会った時のときめきと怖れ。第2曲「誰よりもすばらしいお方」相手を讃え、自分を卑下するものですが、音楽的には優れたものだと思います。第3曲「何がどうなっているのかさっぱりわからない」プロポーズされた驚きと戸惑い。第4曲「わたしの指の指輪よ」婚約の喜びと夫への献身の誓い。第5曲「手伝ってちょうだい、妹たちよ」婚礼の日に妹たちに着付けを手伝わせながら……まあ、のろけてるんですかねw。第6曲「愛しい友のように、あなたは」子どもが授かったことを夫に告げる。第7曲「わたしの心に、わたしの胸に」母親となった喜び、赤ちゃんへのやさしいまなざし。第8曲「あなたはわたしに初めて苦しみを与えました」夫の死による空虚な世界。これもやはり抑制された悲しみが伝わってくる、いい曲だと思います。
いつもの図書館にエリーザベト・シュワルツコップとアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの2枚があったんで両方借りて、聴き比べでもしようかな……シュワルツコップはこの歌曲集の世界に納まっているけれど、若い世代のフォン・オッターは突き放して歌っている、なーんて予定原稿を考えていたんですが、そんなことないですねw。どちらもがっかりするくらいきちんとこの世界を再現しています。シュワルツコップはリートの名手らしく繊細で親密な世界を、フォン・オッターはオペラ的な、もっと言うとズボン役のような少年っぽい瑞々しさを。だから、ちょっと退屈。……カップリングされているリーダークラウスとかの陰影に富んだ世界がおもしろいです。って、浮気しちゃいかんですねw。
シャミッソーの連作詩には実は9番目があって、ヒロインが年老いて、孫娘が嫁いでいくのに、自分の結婚生活を思い出しながらあれこれと忠告するという内容だそうです。こんな非ロマンティックな詩に作曲しなかったのは、シューマンの卓見だと思いますが、夫の死で止めたのは予言的というか、フロイト流に言えばタナトス的な欲望が働いていたのかも知れません。つまり若い妻を置いて世を去っていきたいという。
実際にクララが40歳にもならないうちにシューマンは投身自殺を図ったあげく、精神病院で死にます。クララはその後40年にわたり夫の業績を残すべく努力する一方、ブラームスの愛情を十分わかっていたはずなのに、アルマ・マーラーのような浮名を流すこともなく、余生を過ごします。シューマンの描いた「歌の輪」に閉じ込められたかのように。……
ところで、この年になると、クララ・シューマンのお父さんの気持ちも、よくわかりますね。
http://www.yamagata-net.jp/gbh00577/page/dokusho-0085.html
でも、その点を抜きにしてもクララのお父さんが先々の職の当てもない、危うい感じの男との結婚に反対したのは当然だろうと思います。
romaniと申します。
以前から楽しく拝見させて頂いておりました。
>シャミッソーの連作詩には実は9番目があって・・・
そうだったんですね。勉強になりました。この詩に歌をつけなかったのも仰るとおりシューマンの卓見だと思います。
私もシューマンの「女の愛と生涯」についてエントリーしましたので、TBさせて頂きました。今後とも宜しくお願い致します。
歌曲はピアノとの絡み合いがおもしろいので、字幕つきのDVDがもっと出ればいいな、なんて怠け者の私は思ってしまいます。
こちらこそ、よろしくお願いします。