その翌週から毎日曜のミサに宇八が欠かさず出るようになり、あまつさえ欽二も時折はるばる(まあ電車で15分ほどだが)やって来て参加するといった事態は、いかなる神のご加護、ご配剤と言えば良いのか、我々としても戸惑いを感じるところだが、例の美女、時木茉莉(ミサ終了後、栄子の目を盗んですばやく話しかけて名前を訊いたのだが)がいる間だけと言えば、大方の得心が得られるだろうか。
いずれにせよ、真夏の日曜ミサにうら若い美女と羽部家の3人、更にその友人の中年男が参列するような次第となった。座る位置は、大抵は栄子と輪子が最前列、3、4列目のやや左に茉莉、その少し斜め後ろに宇八と欽二が仲良く並ぶというものだった。
ここでカトリックのミサの次第を述べても仕方ないだろう。有り体に申し上げてふつうの人にとっては退屈な代物であるから。むにゃむにゃお説教があって、お祈りがあって、しゃらんしゃらんと鐘が鳴るとお煎餅みたいなものを順繰りに神父からくわえさせてもらうといったものである。まあ、クリスマスの時などにちょっと出てみるくらいならともかく、毎週欠かさず参列する人は、この日本では圧倒的な少数者なのが実態であり、今後とも変化はないと言いきって差し支えないだろう。そういうことから、我々としてはそういう人たちをおかしいと批判するつもりはないが、特別に仏教の信者などと比べて尊敬するつもりもない。単に我らの主人公を始めとした人びとについて述べていくだけのことである。
ミサが終わる。栄子は神父と話をしたがる。輪子のおかっぱ頭はまるで神父の手の置き場所のようになっている。宇八は茉莉と話をしたがる。欽二の肩はまるで宇八のひじの置き場所のようになる。……
解説が必要だろうか? 栄子は、神父から今日のありがたいお話についての解説と好意を与えてほしいのだ。宇八と欽二は、茉莉から彼女自身についての解説と好意を与えてほしいのだ。違うものだろうか? もちろん違うのである。前者は社会的に認められた布教行為、ルーカス神父のミッションであり、後者は社会的に許されにくい、独身女性に対して妻帯者の行うちょっかいなのである。
この時、オーストリア出身の長身のルーカス神父は35歳の若さで、栄子はこうした雑談の途中にいつも清潔に剃り上げた顎の線を見上げているうちに、何度か「神父様は独身なんですか?」とうっかり訊いてしまいそうになるのだった。それは、単に神父についてもっとよく知りたいという好奇心からだけだったのかもしれないが。
この時、背はさほど高くないのにすらっとした印象の時木茉莉は26歳の若さで、宇八はこうした雑談の途中にいつも違ったオー・デ・コロンの微かな香りを嗅いでいるうちに、何度か「恋人かボーイフレンドがいるんでしょう?」とうっかり前にもした質問をしてしまうのだった。それは、単にその伏せ目がちに小首を傾げて否定する様を観賞したかっただけかもしれないが。
「でも、わたしの姉の百合はいろいろボーイフレンドもいるらしくて」
「お姉さんがいるんですか。それはそれは……」
「あ、いえ双子なんです、一卵性の。性格とか人との付き合い方とかは全然違うんですが」
「いやあ。わはは、奇遇ですな。何から何まで。ぼくにも双子の片割れがいるんですよ。紘一って言いましてね」
「おい、何がぼくだよ。双子の兄弟がいるなんてほんとか?」
茉莉の話に合わせるために口からでまかせを言っているとしか、欽二は思えない。
「言ったことなかったかな? 仲林君には。いやあ、親が同じ日に生まれて、こっちが兄で、あっちが弟なんてはおかしいとかいう考え方の持ち主でしてね、それで片割れなんですな。……ま、彼は学習院から東大の法科を出て、大蔵省にちょっと勤めてたっていう奴なんですが」
「まあ、とっても秀才でいらっしゃるのね。じゃあ羽部さんも……」
「おんなじようなもんですかね。わっはっは」
「おまえ、でたらめ言ってんじゃないのか? なんで東大出がこんな……その紘一ってのは今何してるんだ?」
「消息不明なんだよ。仲林君。5年前から音信不通でしてね」
話し始めて半分もいかないうちに、仲林から茉莉のほうに相手が変わっている。
「でも、一卵性双生児って、テレパシーみたいなのがありますでしょう? わたしも時々、姉のしていることがふっとわかったりしますけど」
「いやあ、そういうのとは縁がありませんねえ。できればぼくもそのテレパシーのお仲間に入れていただきたいですね」
「おまえ、いい加減に……」
「いえ、いいんですよ。じゃあ、またそちらの方でも……」
そう言うと、ペパーミントグリーンのスカートの裾を翻して帰って行った。後には暑さのせいばかりでなく、呆けたような中年男が二人。