「音律と音階の科学」の続きだが、歴史的には5倍波を中心に組み立てられたミーントーンが登場する。
具体的には純正律で作られたC、D、E、G、Aのそれぞれに上下2全音(長3度)の音を5/4の比に取る。
純正律でもCとE、FとA、GとBは既にこの関係にあったから、新たに作るのはCからA♭(G♯)、DからB♭(A♯)とF♯、EからG♯、GからE♭(D♯)、AからC♯である。
これをさらに例えばF♯とA♯の間の(一全音違いの)G♯が真ん中に響くように(つまり幾何平均、geometric meanの√5/2に)調律するからmeantone(中全音律)と呼ぶ。
こうやってグループごとに編み上げていくと純正律より格段に転調や和音の自由度が上がるし、何より5/4の甘い響きがきれいだから、ミーントーンは後期バロックの頃から長く使われた。
モーツァルトはもっぱらミーントーンで音階が成り立つ調性を選んで作曲したとこの本には書いてあって、「モーツァルトが愛したミーントーン」なんてチョコでも作ったら売れそうだw
もちろん平均律のように音程を均等にすることはできないが、それが調性による色合いを生むのだろう。
ハプスブルク帝国はハ長調で、バイエルン大公国は変ロ長調、ザルツブルク大司教領はホ短調なんて領邦国家のイメージかな。
あちこち辻褄は合わなくてもみんなうまくやってたし、この本によるとドビュッシーの頃まで使われたらしいから、人気のあるクラシック音楽のほとんどがここに収まる。
ウィキの「全音の音程は大全音(9/8)と小全音(10/9)の間の大きさとなるために中全音律と呼ばれる」という説明や下の5の4乗根を用いた表はできの悪い教科書でも引き写したのだろう(英語版も要領を得ない)。
その次に生まれたのがウェルテンペラメント(よい調律の意味)で、ピタゴラス音律とミーントーンの折衷案として生まれたものだそうだ。
名称はバッハ(1685-1750)より少し前の音楽理論家のヴェルクマイスター(1645-1706)の調律法に由来するようだが、なんと言ってもバッハの「Wohltemperierte Clavier」に敬意を表して20世紀になって広く使われるようになった、キイボードが自由に転調するための調律法の総称として使われている。
具体的にはミーントーンの5度(7半音)のうちの一部を完全5度(3/2)に置き換えると説明されているが、それには何種類もあるらしい。
例えばヴェルクマイスターのように多用される白鍵に3/4の長3度を残すやり方もあるし、完全5度の側から言えばC.P.E.バッハが「正しいクラヴィア奏法」(1753)で述べるように「5度、4度を調律し、そして長短の3度や完全和音を試すことによって、とりわけ多くの5度から、耳がそのことに気づかないほど少しだけ、その最高度の純正さを犠牲にすることによって、24の調が残らず使えるようにされていなければならない」ということになるのだろう。
もちろんバッハは自分でクラヴィアの調律をしただろうから、彼がヴェルクマイスターの調律法に拠ったのか、平均律に拠ったのかなんて議論は無意味だと思う。
演奏家が自分の頭で楽譜を読み込み、自分の耳で「よい調律」を探せばいいだけのことだ。
「平均律クラヴィア曲集」の第1巻のタイトルページには「よく調律されたクラヴィア、あるいは、長3度つまりドレミ、短3度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように。また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の気晴らしになるように… Das Wohltemperirte Clavier oder Præludia, und Fugen durch alle Tone und Semitonia, so wohl tertiam majorem oder Ut Re Mi anlangend, als auch tertiam minorem oder Re Mi Fa betreffend. Zum Nutzen und Gebrauch der Lehrbegierigen Musicalischen Jugend, als auch derer in diesem studio schon habil seyenden besonderem Zeitvertreib aufgesetzet und verfertiget von Johann Sebastian Bach. p. t: Hochfürstlich Anhalt-Cöthenischen Capel-Meistern und Directore derer Camer Musiquen. Anno 1722.」と書いてあるのだから。
ぼくとしてはこの勉強に熟達した人の演奏で格別の気晴らしをさせてほしいと望むばかりだ。
しかし、音楽で飯を食ってるくせに音楽をまともに聴いていない連中は多い。
ぼくが持っている小学館の「バッハ全集」には東川清一という音楽学者の「バッハと『平均律』」という文章が20ページにわたって載っているが、学識とは似て非なるペダントリィで読者を引きずり回し、そのくせ肝心のところでは「ニューグローヴ音楽辞典」(これを取り上げられたら日本で楽曲解説を書ける人間は絶滅に瀕するとぼくは密かに思っている)の引用でお茶を濁し、その挙句、「ウェルテンペラメントは平均律にあらずと考えなければならないと同時に平均律を特別視することのないようしっかり肝に銘じなければならないのである」といったお説教を垂れて終わっていて、バッハのことはなーんにも書いていない。
さっきのバッハの息子の文章はこの中から孫引きしたのだが、それをちゃんと読んでいればこんな結論になるはずがない。
「違う違う。もっと耳を澄まして、ほんの少しだけ5度に我慢してもらって長3度がよく響くように寄り添わせて…」と父が末っ子に教えたんじゃないかとぼくは想像してしまうのだが。
さて、この本では協和音からコードの話になるが、旋法(モード)の話を先にしておこう。
簡単に言ってしまうと白鍵しか使わないで、Cから始めるとイオニアン、以下、D:ドリアン、E:フリジアン、F:リディアン、G:ミクソリディアン、A:エオリアン、B:ロクリアンとなる。
したがって、イオニアンは通常のハ長調(3つめと4つめ、7つめと8つめが半音)、エオリアンはイ短調(2つめと3つめ、5つめと6つめが半音)のことである。
するとドリアンは2・3と6・7が半音、以下、フリジアンは1・2と5・6、リディアンは4・5、7・8、ミクソリディアンは3・4、6・7、ロクリアンは1・2、4・5がそれぞれ半音となる。
何が言いたいかというとドリアンやフリジアンは短調っぽく、リディアンやミクソリディアンは長調っぽくて、でも独特の味わいが出るんじゃないかと言うこと。
もちろん純正律の時代の教会旋法だから、そういうオルガンでも使わないと本当のところはわからない。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第3楽章は冒頭に「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と書かれていて、調号もなくほとんど白鍵だけで弾けるしみじみとしたコラールと踊るようなニ長調が交互に出てくる。ウィキには楽譜も見ないでへ調と書いてあるが、英語版でFmode(もちろんFによる旋法の意味)と書いてあるのをそのまま書いたのだろう。
そんな連中に比べればアニソンの作曲家の方がはるかに音楽的センスがある。マクロス・フロンティアでランカ・リーが歌う「アイモ」はとても印象的な曲で、旋法が違うかなと思ってぐぐったらドリアンだそうだ。
本の筆者はジャズが好きだそうで、コード進行とアドリブで行き詰まっていたのをマイルス・ディヴィスやジョン・コルトレーンがモードを取り入れた話が述べられててそれなりおもしろいのだが、ぼくはジャズを愛好するほどインテリじゃないので割愛する。
具体的には純正律で作られたC、D、E、G、Aのそれぞれに上下2全音(長3度)の音を5/4の比に取る。
純正律でもCとE、FとA、GとBは既にこの関係にあったから、新たに作るのはCからA♭(G♯)、DからB♭(A♯)とF♯、EからG♯、GからE♭(D♯)、AからC♯である。
これをさらに例えばF♯とA♯の間の(一全音違いの)G♯が真ん中に響くように(つまり幾何平均、geometric meanの√5/2に)調律するからmeantone(中全音律)と呼ぶ。
こうやってグループごとに編み上げていくと純正律より格段に転調や和音の自由度が上がるし、何より5/4の甘い響きがきれいだから、ミーントーンは後期バロックの頃から長く使われた。
モーツァルトはもっぱらミーントーンで音階が成り立つ調性を選んで作曲したとこの本には書いてあって、「モーツァルトが愛したミーントーン」なんてチョコでも作ったら売れそうだw
もちろん平均律のように音程を均等にすることはできないが、それが調性による色合いを生むのだろう。
ハプスブルク帝国はハ長調で、バイエルン大公国は変ロ長調、ザルツブルク大司教領はホ短調なんて領邦国家のイメージかな。
あちこち辻褄は合わなくてもみんなうまくやってたし、この本によるとドビュッシーの頃まで使われたらしいから、人気のあるクラシック音楽のほとんどがここに収まる。
ウィキの「全音の音程は大全音(9/8)と小全音(10/9)の間の大きさとなるために中全音律と呼ばれる」という説明や下の5の4乗根を用いた表はできの悪い教科書でも引き写したのだろう(英語版も要領を得ない)。
その次に生まれたのがウェルテンペラメント(よい調律の意味)で、ピタゴラス音律とミーントーンの折衷案として生まれたものだそうだ。
名称はバッハ(1685-1750)より少し前の音楽理論家のヴェルクマイスター(1645-1706)の調律法に由来するようだが、なんと言ってもバッハの「Wohltemperierte Clavier」に敬意を表して20世紀になって広く使われるようになった、キイボードが自由に転調するための調律法の総称として使われている。
具体的にはミーントーンの5度(7半音)のうちの一部を完全5度(3/2)に置き換えると説明されているが、それには何種類もあるらしい。
例えばヴェルクマイスターのように多用される白鍵に3/4の長3度を残すやり方もあるし、完全5度の側から言えばC.P.E.バッハが「正しいクラヴィア奏法」(1753)で述べるように「5度、4度を調律し、そして長短の3度や完全和音を試すことによって、とりわけ多くの5度から、耳がそのことに気づかないほど少しだけ、その最高度の純正さを犠牲にすることによって、24の調が残らず使えるようにされていなければならない」ということになるのだろう。
もちろんバッハは自分でクラヴィアの調律をしただろうから、彼がヴェルクマイスターの調律法に拠ったのか、平均律に拠ったのかなんて議論は無意味だと思う。
演奏家が自分の頭で楽譜を読み込み、自分の耳で「よい調律」を探せばいいだけのことだ。
「平均律クラヴィア曲集」の第1巻のタイトルページには「よく調律されたクラヴィア、あるいは、長3度つまりドレミ、短3度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように。また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の気晴らしになるように… Das Wohltemperirte Clavier oder Præludia, und Fugen durch alle Tone und Semitonia, so wohl tertiam majorem oder Ut Re Mi anlangend, als auch tertiam minorem oder Re Mi Fa betreffend. Zum Nutzen und Gebrauch der Lehrbegierigen Musicalischen Jugend, als auch derer in diesem studio schon habil seyenden besonderem Zeitvertreib aufgesetzet und verfertiget von Johann Sebastian Bach. p. t: Hochfürstlich Anhalt-Cöthenischen Capel-Meistern und Directore derer Camer Musiquen. Anno 1722.」と書いてあるのだから。
ぼくとしてはこの勉強に熟達した人の演奏で格別の気晴らしをさせてほしいと望むばかりだ。
しかし、音楽で飯を食ってるくせに音楽をまともに聴いていない連中は多い。
ぼくが持っている小学館の「バッハ全集」には東川清一という音楽学者の「バッハと『平均律』」という文章が20ページにわたって載っているが、学識とは似て非なるペダントリィで読者を引きずり回し、そのくせ肝心のところでは「ニューグローヴ音楽辞典」(これを取り上げられたら日本で楽曲解説を書ける人間は絶滅に瀕するとぼくは密かに思っている)の引用でお茶を濁し、その挙句、「ウェルテンペラメントは平均律にあらずと考えなければならないと同時に平均律を特別視することのないようしっかり肝に銘じなければならないのである」といったお説教を垂れて終わっていて、バッハのことはなーんにも書いていない。
さっきのバッハの息子の文章はこの中から孫引きしたのだが、それをちゃんと読んでいればこんな結論になるはずがない。
「違う違う。もっと耳を澄まして、ほんの少しだけ5度に我慢してもらって長3度がよく響くように寄り添わせて…」と父が末っ子に教えたんじゃないかとぼくは想像してしまうのだが。
さて、この本では協和音からコードの話になるが、旋法(モード)の話を先にしておこう。
簡単に言ってしまうと白鍵しか使わないで、Cから始めるとイオニアン、以下、D:ドリアン、E:フリジアン、F:リディアン、G:ミクソリディアン、A:エオリアン、B:ロクリアンとなる。
したがって、イオニアンは通常のハ長調(3つめと4つめ、7つめと8つめが半音)、エオリアンはイ短調(2つめと3つめ、5つめと6つめが半音)のことである。
するとドリアンは2・3と6・7が半音、以下、フリジアンは1・2と5・6、リディアンは4・5、7・8、ミクソリディアンは3・4、6・7、ロクリアンは1・2、4・5がそれぞれ半音となる。
何が言いたいかというとドリアンやフリジアンは短調っぽく、リディアンやミクソリディアンは長調っぽくて、でも独特の味わいが出るんじゃないかと言うこと。
もちろん純正律の時代の教会旋法だから、そういうオルガンでも使わないと本当のところはわからない。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第3楽章は冒頭に「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と書かれていて、調号もなくほとんど白鍵だけで弾けるしみじみとしたコラールと踊るようなニ長調が交互に出てくる。ウィキには楽譜も見ないでへ調と書いてあるが、英語版でFmode(もちろんFによる旋法の意味)と書いてあるのをそのまま書いたのだろう。
そんな連中に比べればアニソンの作曲家の方がはるかに音楽的センスがある。マクロス・フロンティアでランカ・リーが歌う「アイモ」はとても印象的な曲で、旋法が違うかなと思ってぐぐったらドリアンだそうだ。
本の筆者はジャズが好きだそうで、コード進行とアドリブで行き詰まっていたのをマイルス・ディヴィスやジョン・コルトレーンがモードを取り入れた話が述べられててそれなりおもしろいのだが、ぼくはジャズを愛好するほどインテリじゃないので割愛する。