夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

マグダラのマリアとは何だったのか?・下

2006-10-22 | art
 前回に引き続いて、「マグダラのマリア」(岡田温司著)に沿って彼女がどのように表現され、受け止められていたかを見ていこうと思います。

 アッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)は放蕩から神への帰依という生涯と鳥や魚にも語りかけ、太陽や月を兄弟と見る自然観・宗教観においても極めて魅力的な人物ですが、彼の創始したフランスシスコ修道会と悔い改めた娼婦としてのマグダラのマリアはとても近しい存在であったようです。例えば上に掲げたジオットGiotto di Bondone(1267-1337)が描くアッシジの聖フランチェスコ大聖堂のフレスコ画「キリストの磔刑」(1310年頃)ではキリストの足に口づけするマリアと低い姿勢でひざまずくフランチェスコが描かれています。この絵では聖痕から吹き出す血を受けながら嘆き悲しむ天使が印象的ですが、これと同様の表現はジオットの最高傑作でもあり、ヨーロッパの長い絵画の歴史でも屈指の名作(だと私は思います)の「哀悼」(1303)において見ることができ、地上と空中(内面そのものということでしょう)の悲しみが一体となって心に訴えかけてきます。



 この絵でもやはりマリアは長い髪でキリストの足を抱いています。こうした絵はもちろん鑑賞されるためのものではなく、教会音楽と同じく説教の際の手段の一つであり、修道士たちが瞑想や祈りをささげる際の拠り所でもあったのでしょう。




 ヴェネチア生まれのクリヴェッリCarlo Crivelli(1430?-1495)の「マグダラのマリア」(1475)では一転して、冷たい気品の漂う贅沢な貴婦人の姿となります。世俗の富や美の虚しさを伝えるはずのマリアがその魅力を主張する存在に変えられているようにしか見えません。しかし、このクラナッハにも通じるファム・ファタール的な妖艶さは見事で、ルネサンス期のイタリア都市国家にはさぞや悪女にして美女がいっぱいいたんだろうなと想像したくなります。




 デッラルカNiccolo dell'Arca(1435-94)は世俗の信者によって受難のキリストを見習い、悔い改めるために結成された「鞭打ち苦行会」からの注文で「死せるキリストへの哀悼」というテラコッタによる彫像群からなる作品を作っています。キリストの遺体を囲んで、向かって左からアリマタヤのヨセフ、マリア・サロメ、聖母マリア、ヨハネ、クロバの妻マリア、そしてマグダラのマリアが等身大で配置されていて、蝋人形館のような趣向ですが、中でもマグダラのマリアの激しい悲嘆の様子は強い印象を与えるでしょう。



 世俗の信者たちにもわかりやすく共感でき、聖書の中の人物の悲しみや苦しみを分かち合う(compassion)という目的がよく現れたものだろうと思います。




 この未完のミケランジェロMichelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni(1475-1564)の「キリストの埋葬」は構図の大胆さが注目に値しますし、足元にはマグダラのマリアがいますが、それよりもこのフレスコ画はどうもサンタゴスティーノ聖堂の祭壇画として注文されたもののではないかということが重要です。この聖堂はチェザーレ・ボルジアの愛人であった高級娼婦フィアンメッタのための礼拝堂で、マグダラのマリアに奉献されたものだったのです。当時、王侯・貴族だけでなく、教皇や枢機卿は高級娼婦を愛人として囲っていて、彼女たちの地位も相当高く、例えばフェッラーラ公妃となったルクレツィア・ボルジアの母親も教皇の愛人であり、ファッション・リーダー的存在でもあったわけです。




 この復活したイエスをそれと気づかず見た瞬間のマリアを描いたサヴォルドGiovanni Gerolamo Savoldo (1480-1548)の「ラ・マッダレーナ」はこうした高級娼婦のポートレートの可能性があるようです。マッダレーナはもちろんマグダラという意味ですが、同時にこうした女性の源氏名としてよく用いられたものです。……こうしたことを現代に引き付けていろいろ言ってみたいような気もしますねw。




 ところが、こうした高級娼婦ではなく、ローマの街の娼婦をこともあろうに「聖母の死」(1605)のモデルに使ったしたとして批判されたのがカラヴァジオMichelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610) です。彼はその作品と殺人をも犯したという性格の激しさにおいてゴッホと双璧だろうと思いますが、この作品では粗末な部屋で板の上に聖母が飲んだくれて死んだ飲み屋のおかみのように描かれています。マグダラのマリアは手前で顔を伏せて泣いている近所の娼婦といったところで、その庶民性が1563年に終了したトリエント公会議による反宗教改革の時流の中で批判されたわけですが、もちろん現代の我々からすればそこがこの作品のリアリティでもあり、訴える力でもあるだろうと思います。彼は死というものと残された者の悲しみがは誰でも同じであり、だからこそ聖書に書かれた人物の聖性も宿るのだと考えていたのでしょう。……私はこの顔を見せないマグダラのマリアが今回紹介する中でいちばん好きかもしれません。




 さて、前回紹介したティッツィアーノには、胸を隠したマリア(1560年)もあります。聖書と人生のはかなさの象徴である髑髏が描き込まれるなどの違いがありますが、構図としてはほぼ同じものですが、30年ほどの歳月を経て画家自身が時流に迎合したという感は否めないでしょう。聖女らしくあっても微妙なバランスで成り立っていた何かが失われてしまっています。




 ラ・トゥールGeorges de La Tour(1593-1652)はそのろうそくの光を生かした作品で最近人気があるようで、この「マグダラのマリア」もそうしたものです。確かに色彩と構図を単純化したところに近代的な雰囲気が感じられますが、私には着想だけに走ったようなところが感じられてあまり高くは評価できない画家です。映画の一場面のように見えるところが彼の長所でもあり、限界でもあるでしょう。




 マグダラのマリアがイエスの昇天後、苦行したという伝説を元にシラーニElisabetta Sirani(1638-65)が描いた「我が身を鞭打つマグダラ」(1663)は女性画家が聖女を題材にして描いたと思わないと(思っても?w)かなりアブナイ感じの絵です。デッラルカのところで出てきた「鞭打ち苦行会」のように自らを鞭打つことでイエスに近づこうという一種の宗教活動は中世以来あったんですが、それを女性が行うことも絵画に描くことも風紀上の理由もあって公にはされて来なかったんですね。しかし、宗教的情熱が衰えてきたバロック時代になるとおそらく宗教的な理由がつけばいいじゃんってノリで登場してきます。




 さらに、クレオパトラの死を描いた作品で有名なカニャッチGuido Cagnacci(1601-63)の「悔悛するマグダラ」になると右手には鎖の鞭、左手には髑髏を微妙な位置に持ってあえいでいるとしか見えない……のは私が邪まなせいなんでしょうかw。それにしてもこの作品の画像を見つけるのは苦労しました。なぜそんなに熱意が続いたかはともかく。

 さて、かなり大ざっぱな感じになってしまいましたが、マグダラのマリアに帰せられた伝説が画家や注文主や何よりそれを見る人々の希望や要望や欲望によってだんだん肥大していく様子がわかっていただけたんじゃないかと思います。絵画の歴史は一般にそういうところがあるので、ノリタンでは時代を遡って作品が純化していくようなところを見てみたんですね。


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2 コメント

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やっぱりですか? (夢のもつれ)
2006-10-23 20:13:46
そんな気がしていました。。ジオットは宗教性と言うより本当に天使が見えてたんじゃないかっていう感じがしますね。。画像を見ているだけでこっちまでふわふわとしてくるんで実物だとどんなだろうって思います。



貴婦人と娼婦の源氏名が同じマッダレーナだというのは、この記事で私が言いたかったことと合っているように思いますけど。

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超大作ですねw (ぽけっと)
2006-10-23 17:12:01
やっぱり私ってジオットさん好きみたいです。



マッダレーナが源氏名?へええ~

ちょうどオペラリゴレットの「マッダレーナ」のキャラクターをちょっと勉強したばかりだったので。あの人も複雑な性格の魅力的な人のようですが、娼婦ではあるしそういう意味の名前だったのかな。でもアンドレア・シェニエの中のマッダレーナは伯爵夫人みたいだけど、ぶつぶつ…



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