私事にわたりますが、と言ってもこのブログは私事ばかりですけどw、娘がこの曲の第1楽章をこの2月のヴァイオリンの発表会で弾きました。何曲か候補があった中で私がいちばん好きな曲だったので、まあ無理やり決めたような感じでした。だって、その前の曲が何ともインスピレーションのない曲で、それを毎日、下手な演奏で聴かされるのはもう拷問のようなものでしたから。この曲も最初はどうしようもなくて、メロディを変な裏メロみたいに覚えたりしてどうなるのかって思いましたが、まあ発表会までには一応何をやってるかわかるくらいにはなりました。私の持っているCDはオリジナル楽器のなので、ピッチが違うから図書館で五嶋みどりのを借りてきて、合わせてやってみろって言ったら、あんまり早いので泣き出してしまったり、いろいろありました。
念のために申し上げておきますと、娘はヴァイオリンを専門にやるような才能もやる気もなさそうで、それはかえって親としては助かると思っています。“のだめ”の記事(5/1)で書きましたが、なまじの才能があると自分のダメさ加減がわかって本人にとって不幸、バカみたいに金がかかって親の不幸、うちのような貧困家庭はクラシックなんかやらないで、ふつうに学校の勉強するのがいちばん安直な生き方で無難です。ですから、市民オケの第2ヴァイオリンの第3プルトくらいでたらたら楽しむようになればいいんじゃないかって思います。
さて、本題のこの曲ですが、前に採り上げたブランデンブルク協奏曲と同じくケーテンでほぼ同じ頃に作曲されたとされています。しかしながら、曲の構造としては他の2曲のヴァイオリン協奏曲(一つは2つのヴァイオリンのためのもの)と同じく、ヴィヴァルディのそれを踏襲したものと言ってよいようです。急―緩―急の3楽章、両端楽章がともに主調でいわゆるリトルネッロ形式を取りながら拍子は2拍子系と3拍子系(この曲の場合は4/4と3/8)と変化がつけられ、中間楽章は同じ調号の平行調(この曲では嬰ハ短調)からなるといったことです。つまり協奏曲の先進国で完成された形を忠実になぞっているわけですが、であるにもかかわらず、安易な感じは微塵もなく、生気に満ち満ちていて私が聴いたヴァイオリン協奏曲の中でも最も好きな曲です。特に第1楽章の短い主題がトゥッティとともに繰り返し現われる(これがリトルネッロ形式ということですが)ところは、生きる喜びそのものと言いたくなるような本能に働きかける力を持っています。
なぜそうなのかは細かい分析が必要なのでしょうけど、皆川達夫だったと思いますが、昔のFM番組で、ヴィヴァルディでも誰でもバッハが編曲するとまぎれもなくバッハのものになってしまうと言っていたのを思い出します。それは逆に言えば、いかに堅牢な作品に見えてもほんの少し違うだけでバッハの曲はそうではなくなってしまうような微妙なところで成り立っているということです。
これ、いい曲ですね。第1番も、それからもちろん、「2つのヴァイオリンのための」も好きです。
「すりこみ」みたくなっている演奏があって、シェリングの旧録音に親しみました・・・昔々、限定特価廉価盤になっていて「お得!」だったのですが、最近はまたCDが1,000円シリーズになっておりますが(フィリップス UCCP-7088)、このブログ拝読して、「これもまた得ておかなくては」と思い出したところです。
来月は、千住真理子のバッハ2番と2つのヴァイオリン…の演奏があり、すごーく楽しみです。