夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

歌物語~藤袴

2005-09-18 | tale

 赤い光が明滅するような夢を見たような気がするけれど、「藤原君はどう?」って言われて目が覚めた。にやにや笑っている新任の課長の視線を無視して、まず質問を一つ。やっぱりそこまでしか考えていなかったのねと確認させてくれる答が一つ。座りなおして、2つまですぐに思い浮かんだから、「問題点が3つあります」と言って短すぎず、長すぎもしないように考えながら、撃破していく。
 しゃべっているうちに3つ目どころか、4つ目も思いついたけれどそんなのは、誰かが言えばいい。眠りに落ちる前に資料をパラパラっとめくって、こんなクソみたいな企画のパワーポイント見せられちゃたまったもんじゃないって思ったから寝たのよ。って言うのはちょっとウソで、昨日よく眠れなかったからだけ。悪いね木村君、いくらあんたが徹夜して、一生懸命考えても会社としてダメなものはダメなのよ。飲み会でからんだ腹いせじゃないんだからね。泣き言なら彼女にでも聞いてもらいなさい。

 社食のサラダをつついていたら、前の席に2期下の成瀬君が座りながら、「お蔭で会議が早く終わりましたね」と言う。「あんなので集める方が悪いのよ」ともうちょっと新鮮なレタスを使ってほしいなって思いながら言う。「課長、あっけにとられてましたよ」と媚びるように言う。あんたが女性社員、特におばさま方に人気があるのはよくわかるわっていう目つきで黙っていると、
「藤原さんが本当に寝てるのか、みんな不思議に思ってますよ」と言う。
「寝てるに決まってるでしょ。この間、常務が『君は会議の時に時々寝てるな』って言うから『時々じゃないですよ』って答えたら笑ってたよ」
「あはは。常務のとこの会議は退屈だからな。でも、すごいなぁ。ぼくなんか言われるとなるほどって思っちゃうけど、データをあれだけ積み重ねられたら反論しにくいですよ」
「データでものが売れたら苦労しないわ。なんでもそうだけど」
「恋愛も……ですか?」
「昼間っから、そういうよけいなことを考えているのねぇ」
「藤原さんも、じゃないですか?」
「そうありたいものだわ。ごちそうさま」
 トレイを持って立ち上がった。

 ドアを開けると化粧を落とすより早くただのあたしに帰っていく。会社ではあたしはきちんとフレームに納まっていられる。仕事の目標も採れる手段も、どこにどういう人間がいるかもわかっている。今度の課長も二言、三言話しただけで、能力も性格もはっきり見えてしまった。おかしいくらいに。みんなは上司や先輩がどう考えるだろうかとか、こういう説明なら通るだろうかなんてくだらないことばかり気にしてるけど、自分のこともわからないのに人の頭の中を想像するなんてことはあたしはしない。自分の目と頭で見えたとおり、考えたとおりにやるだけのこと。
 でも、小さなマンションに帰ったただのあたしにはなんのフレームもなくて、ぐずぐず、ずるずると想いに耽るだけ。最近少しお酒の量が増えたような気がする。そう、彼がこの部屋に来なくなってから、あたしはあたしがよくわからなくなってしまった。さっき洗濯物をバスルーム持っていくときに、置きっぱなしになっている彼のチノパンのにおいがしたような気がした。一時期はそれこそ歯ブラシから下着までいろんなものがあったけれど、少しずつ彼は持ってかえってしまっていた。チノパンだけが忘れられたように残っていて、洗濯して返そうと思いながら、なぜかそのまま洗濯籠とは別に洗濯もせずに置いてある。そう、こういうことが自分がわからなくなっているということなんだねって思う。
 2杯目の缶ビールを開けながら、窓からの風が冷たいくらいに感じた。陽も短くなったし、すっかり秋なんだってしみじみしていたら、ふと秋の七草ってなんだっけって思った。春の七草は子どもの頃、七草粥を必ず食べながら覚えさせられたから、今でもすらすら言えるけれど、秋の七草は出てこない。だいたいあたしは花の名前はよく知らない。バラ、チューリップ、蘭、百合……10か20くらいしか言えないような気がする。女らしくないのよねと柿ピーを齧る。風に揺れる野の草花に目を留めるような自分でいたいって思うけれど、そんなことになりそうもない。
 また、彼のにおいがここまでするような気がした。高校生のときに田山花袋っていう人の『蒲団』って小説の終わり方を先生がおもしろそうに紹介した。去っていった女弟子の使っていた蒲団のにおいを嗅ぐなんて、その時は女々しいって言うか、いやらしいような気がしたけれど、今はちょっと違うかもしれない。もう切れてしまった繋がりをどこかで認めたくない自分が向こうの方から現われてくるような気がする。秋は音にも敏感になる季節なんだ。……


  宿りせし 人のかたみか 藤袴
  忘られがたき 香ににほひつつ
                   紀貫之・古今和歌集


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