4/17に池袋の東京芸術劇場で行われた読売日響の定期演奏会に行って来ました。サントリーホールが夏まで改修なんで、7月までの4回の定期はここで行われます。
その都度スケジュールとプログラムをチェックしてチケットを取るのもいいけど、お任せで同じオケ、同じ座席で、しかも(ここが最重要w)半額近くで聴けるのはいいかなと思って1年間の定期会員になりました。どこのオケにするか、N響を始めとして東京にはたくさんあるので迷いましたが、サントリーホールが足の便がいいのでそこを使っているところ(これは多いです)と、まあまあの演奏の評価のところ(読売日響については1月に実際に聴いています)と、何より割引率が大きいところ(N響はあまり引きません。やっぱりw)ということで熟慮を重ね、衝動的に買ってしまいました。
東京芸術劇場は初めてです。池袋もひさしぶりで西口を出てちょっと行くと、わ?!って思うほど広々とした空間にデカいビルがあって、それでした。5階分はある長いエスカレータを上って行くとやっとロビー。私の席は3階なんでさらにエスカレータと最後は階段。10階建てのちっちゃいビルをはるか下に見下ろす高さでした。駅からは近いけど、席には遠いっていう不思議な体験です。ホールについて言うといちばん上の3階席からでもわりと舞台が近くに見える感じで、上野の東京文化会館や渋谷のNHKホールのような古くて大きいものとは違っています。席は3階席の比較的前の方の左寄りで、1月の日フィルの時のサントリーホールと同等ですが、音は全く違い、硬くてストレートでした。各パートの音が真っ直ぐに届くけれど、溶け合わないって感じ。私はどっちかって言うと分析的に聴くのが好きで、あんまりまろやかな音だと気持ちよくなって眠くなるんでいいんですが、実演で音がきつく感じるっていうのもあまりしたことのない体験でした。……この辺の印象はあと3回聴くのでまた変わるかもしれませんが。
プログラムの最初はベートーヴェンの弦楽四重奏「大フーガ」のオケ版でした。この前の日に新しい常任指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキのお披露目コンサートがあったそうですが、そこからこじつけ気味に言うと緊密なアンサンブルを示したかったってところでしょうか。ただ先に言ってしまうと私はこの難曲かつ名曲は共感できたことがありません。ディアベリ変奏曲もそうだと思うんですが、ベートーヴェンの一面であるマニアックで頑迷なところがこれまた一面である無邪気さやリリシズムを経ずにそのまま出てしまったように感じています。ただこうした曲はいつか天才によってすばらしい音楽に聞こえる時があるのを期待してもいます。でも、この日の演奏はそうではありませんでした。アンサンブルは驚くほどぴたっと合っていますが、ごつごつした音楽が進んでいくだけで、おもしろみは感じません。ベートーヴェンやシューベルトやショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲をしばしばオケでやりますが、私は音の触感というかマティエールが変にのっぺりするだけのように感じて、どうも好きではないんです。そんな感じで聴いていたものだから、今年になって始めたコンサート通いで始めてふっと眠ってしまいました。おそらく一瞬だけですが、休憩中に上がったり下がったりうろうろしても眠気は脳みそから出て行きません。
メイン・プログラムはブルックナーの交響曲第4番変ホ長調です。スクロヴァチェフスキはブルックナーがお得意だそうですし、人気曲ですからこちらはお披露目の曲としては文句のつけようがないでしょう。これまた先に私のこの曲についての先入観を言うと、聴きやすいけれどやたら金管がきらびやかすぎて、安直なフレーズが目立つ曲で、これ以降の曲には及ばないってところです。しかし、この思い込みはさっき書いたようなきつい音で聴くうちに相当違ったものになりました。バラバラの楽想が隙間の多いパッチワークのように繋ぎ合わされていると言うような、ある種の現代曲のようです。……このコンサートの行き帰りにヘッドフォンでたまたまカラヤンのブラームスを聴いていたんですが、その滑らかで工夫を感じさせない工夫というか、まるで破綻のないよくできた作品の非現代性と好対照です。3番(まあいろんな版がありますけど)のような4番と言うか。こう書くとけなしているように思われるかもしれませんし、確かにほめてはいませんwが、模範的などこかで聴いたような演奏ならコンサートに行く必要はありません。ホルンの音程(特に第1楽章)が悪く、興趣を削いだ以外は演奏は良かったと思いますが、であるにもかかわらず裂け目がはっきり見える音楽というのもおもしろかったです。
第1楽章については取り立てて言うような印象はありません。第2楽章が始まったとたん、「これってベートーヴェンじゃん」って思いました。ブルックナーのシンフォニーってどれもこれも同じだって言われたりしますが、新しいのを書くたびに確実に進歩していて、それがいちばんわかるのが緩徐楽章だと思います。第4番ではまだまだ未熟と言うかベートーヴェンの書法をなぞりながら作曲したんだろうって思いました。そう思ってこの楽章の調性を見ると……ハ短調ですねw。緩徐楽章とは言え、アンダンテ・クワジ・アレグレット(アレグレットみたいな、かな?)ですが、ベートーヴェンの第5番ハ短調の第2楽章もアンダンテ・コン・モート(with motion かな?)でかなり近いものです。
さて、以前にも書いたんですが、進歩しないwのがスケルツォで、馬に乗った貴族たちの狩の群れが田舎娘の踊りに見とれるという情景をブルックナーは飽きもせず描いています。それが大規模になって宇宙戦隊の出撃のように聞こえてもいいんですが、この日の演奏でもいちばん安心して聴くことができました。
フィナーレは問題が多い楽章だと思いますが、途中から思ったのはこれはすごく陳腐なストーリーを大げさにオーケストレーションしたものじゃないかということです。例えばイエスの復活と説教、昇天といった宗教画をそのまま音楽化しようとしたんじゃないかと。音の豪華さにもかかわらずとても安っぽいペンキ絵みたいに感じられたのは指揮者が計算したのかどうかはわかりませんが、私としてはそういう表現はとても現代的に感じられるのでそれでいいんですね。宗教画というと何か意味ありげですから、ゴジラの登場から破壊、退場でもいいくらいですが、復活(登場)時のシンバルはふつうにジャーンってやるのが最後の昇天(退場)時にはシンバルのはずがなんと小さな銅鑼に変えて(もしかするとそういう版もあるのかもしれませんが)それをかすかに2回鳴らして、まぎれもなく教会の鐘を模していました。これは私の妄想を強く根拠付けました。
妄想というのは遠慮して言っているだけのことで、私としては子どもみたいなところが多分にあるブルックナーが陳腐なお話を一生懸命音楽にしようとしてたんだろうと思います。そういう新しい聴き方を教えてくれた演奏ですが、じゃあおもしろかったのかというとそうでもなかったです。宗教画が見えたらかえってつまんなくなって、再びオチてしまいました。でも、まあそれも音楽の効用かもしれません。いずれにせよ9月にはこの指揮者で問題山積・興味津々の第3番が聴けるのでとても楽しみです。
その都度スケジュールとプログラムをチェックしてチケットを取るのもいいけど、お任せで同じオケ、同じ座席で、しかも(ここが最重要w)半額近くで聴けるのはいいかなと思って1年間の定期会員になりました。どこのオケにするか、N響を始めとして東京にはたくさんあるので迷いましたが、サントリーホールが足の便がいいのでそこを使っているところ(これは多いです)と、まあまあの演奏の評価のところ(読売日響については1月に実際に聴いています)と、何より割引率が大きいところ(N響はあまり引きません。やっぱりw)ということで熟慮を重ね、衝動的に買ってしまいました。
東京芸術劇場は初めてです。池袋もひさしぶりで西口を出てちょっと行くと、わ?!って思うほど広々とした空間にデカいビルがあって、それでした。5階分はある長いエスカレータを上って行くとやっとロビー。私の席は3階なんでさらにエスカレータと最後は階段。10階建てのちっちゃいビルをはるか下に見下ろす高さでした。駅からは近いけど、席には遠いっていう不思議な体験です。ホールについて言うといちばん上の3階席からでもわりと舞台が近くに見える感じで、上野の東京文化会館や渋谷のNHKホールのような古くて大きいものとは違っています。席は3階席の比較的前の方の左寄りで、1月の日フィルの時のサントリーホールと同等ですが、音は全く違い、硬くてストレートでした。各パートの音が真っ直ぐに届くけれど、溶け合わないって感じ。私はどっちかって言うと分析的に聴くのが好きで、あんまりまろやかな音だと気持ちよくなって眠くなるんでいいんですが、実演で音がきつく感じるっていうのもあまりしたことのない体験でした。……この辺の印象はあと3回聴くのでまた変わるかもしれませんが。
プログラムの最初はベートーヴェンの弦楽四重奏「大フーガ」のオケ版でした。この前の日に新しい常任指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキのお披露目コンサートがあったそうですが、そこからこじつけ気味に言うと緊密なアンサンブルを示したかったってところでしょうか。ただ先に言ってしまうと私はこの難曲かつ名曲は共感できたことがありません。ディアベリ変奏曲もそうだと思うんですが、ベートーヴェンの一面であるマニアックで頑迷なところがこれまた一面である無邪気さやリリシズムを経ずにそのまま出てしまったように感じています。ただこうした曲はいつか天才によってすばらしい音楽に聞こえる時があるのを期待してもいます。でも、この日の演奏はそうではありませんでした。アンサンブルは驚くほどぴたっと合っていますが、ごつごつした音楽が進んでいくだけで、おもしろみは感じません。ベートーヴェンやシューベルトやショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲をしばしばオケでやりますが、私は音の触感というかマティエールが変にのっぺりするだけのように感じて、どうも好きではないんです。そんな感じで聴いていたものだから、今年になって始めたコンサート通いで始めてふっと眠ってしまいました。おそらく一瞬だけですが、休憩中に上がったり下がったりうろうろしても眠気は脳みそから出て行きません。
メイン・プログラムはブルックナーの交響曲第4番変ホ長調です。スクロヴァチェフスキはブルックナーがお得意だそうですし、人気曲ですからこちらはお披露目の曲としては文句のつけようがないでしょう。これまた先に私のこの曲についての先入観を言うと、聴きやすいけれどやたら金管がきらびやかすぎて、安直なフレーズが目立つ曲で、これ以降の曲には及ばないってところです。しかし、この思い込みはさっき書いたようなきつい音で聴くうちに相当違ったものになりました。バラバラの楽想が隙間の多いパッチワークのように繋ぎ合わされていると言うような、ある種の現代曲のようです。……このコンサートの行き帰りにヘッドフォンでたまたまカラヤンのブラームスを聴いていたんですが、その滑らかで工夫を感じさせない工夫というか、まるで破綻のないよくできた作品の非現代性と好対照です。3番(まあいろんな版がありますけど)のような4番と言うか。こう書くとけなしているように思われるかもしれませんし、確かにほめてはいませんwが、模範的などこかで聴いたような演奏ならコンサートに行く必要はありません。ホルンの音程(特に第1楽章)が悪く、興趣を削いだ以外は演奏は良かったと思いますが、であるにもかかわらず裂け目がはっきり見える音楽というのもおもしろかったです。
第1楽章については取り立てて言うような印象はありません。第2楽章が始まったとたん、「これってベートーヴェンじゃん」って思いました。ブルックナーのシンフォニーってどれもこれも同じだって言われたりしますが、新しいのを書くたびに確実に進歩していて、それがいちばんわかるのが緩徐楽章だと思います。第4番ではまだまだ未熟と言うかベートーヴェンの書法をなぞりながら作曲したんだろうって思いました。そう思ってこの楽章の調性を見ると……ハ短調ですねw。緩徐楽章とは言え、アンダンテ・クワジ・アレグレット(アレグレットみたいな、かな?)ですが、ベートーヴェンの第5番ハ短調の第2楽章もアンダンテ・コン・モート(with motion かな?)でかなり近いものです。
さて、以前にも書いたんですが、進歩しないwのがスケルツォで、馬に乗った貴族たちの狩の群れが田舎娘の踊りに見とれるという情景をブルックナーは飽きもせず描いています。それが大規模になって宇宙戦隊の出撃のように聞こえてもいいんですが、この日の演奏でもいちばん安心して聴くことができました。
フィナーレは問題が多い楽章だと思いますが、途中から思ったのはこれはすごく陳腐なストーリーを大げさにオーケストレーションしたものじゃないかということです。例えばイエスの復活と説教、昇天といった宗教画をそのまま音楽化しようとしたんじゃないかと。音の豪華さにもかかわらずとても安っぽいペンキ絵みたいに感じられたのは指揮者が計算したのかどうかはわかりませんが、私としてはそういう表現はとても現代的に感じられるのでそれでいいんですね。宗教画というと何か意味ありげですから、ゴジラの登場から破壊、退場でもいいくらいですが、復活(登場)時のシンバルはふつうにジャーンってやるのが最後の昇天(退場)時にはシンバルのはずがなんと小さな銅鑼に変えて(もしかするとそういう版もあるのかもしれませんが)それをかすかに2回鳴らして、まぎれもなく教会の鐘を模していました。これは私の妄想を強く根拠付けました。
妄想というのは遠慮して言っているだけのことで、私としては子どもみたいなところが多分にあるブルックナーが陳腐なお話を一生懸命音楽にしようとしてたんだろうと思います。そういう新しい聴き方を教えてくれた演奏ですが、じゃあおもしろかったのかというとそうでもなかったです。宗教画が見えたらかえってつまんなくなって、再びオチてしまいました。でも、まあそれも音楽の効用かもしれません。いずれにせよ9月にはこの指揮者で問題山積・興味津々の第3番が聴けるのでとても楽しみです。
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なんかいろんなものがあるサイトです。
豪華な音→安っぽいペンキ絵→ある種の現代っぽさ…
なんか一瞬音が聞こえたような気がしましたw
聞こえたような気がするときは、空耳アワー(まだっやてるのかな?)に投書するといいと思いますw。