1873-74年頃で室内楽の分野で目立つのは6曲ずつのミラノ四重奏曲(K155-160)とウィーン四重奏曲(K168-173)でしょう。その名のとおり、ミラノとウィーンの滞在時を中心に作曲されたものです。この次に弦楽四重奏曲を手がけるのは、ほぼ10年後に3年をかけて完成したハイドンセットですから、いかにモーツァルトの作曲技法がハイドンの影響によって進歩したか、もっと言えば室内楽の歴史全体にとって最も重要で感動的な事件(他にありますか?)がどのようにして起こったかを見る上での前提となるものだと言えるでしょう。
このシリーズではそういう視点ではなく、この時期に絞ってモーツァルトがどうだったのかを見ていきたいのですが、ハイドンセットの彼の充実した書法を知っているだけにディヴェルティメント的な(事実そう考えられているものもミラノ四重奏曲にはあるようです)、主旋律の美しさに頼ったようなゆるい構成の曲が多いのには、正直がっかりしました。弦楽四重奏曲は周知のように音色としても変化に乏しく、ポリフォニーの基本骨格たる四声部だけで過不足なく作曲しなければいけませんから、ちょっとおおざっぱに言うと作曲家の生の力量が露わになってしまうものです。そのことをこの12曲を聴いて、まざまざと知ることができました。
でも、モーツァルトの元々の資質はそういうのには向いていなかったのでしょう。彼が終始書きたかったのは、様々な登場人物の性格とその時々の感情の交錯するさまを表現するオペラですし、シンフォニーよりも、コンチェルトよりも、室内楽やピアノ・ソナタよりもオペラは、奇跡のような転調といったモーツァルトの本質を理解する上で重要です。そういう意味では我々日本人は彼を愛することオーストリア人にも劣らないかもしれませんが、十全な理解と言う点では大きなハンデがあります。また、この点はソナタ形式を極限まで使い倒したwベートーヴェンとおかしいくらい対照的です。
この12曲のうちでは、最後の第13番がニ短調で注目を引きます。シンフォニーの第25番のような激しい感情とまでは言えないとしても、暗い情熱が最後まで解決されないような独自の姿をもっていて、変ロ長調の第12番とともに内容的に最も充実したものでしょう。
しかし、それ以上に彼らしさが感じられるのは、この時期にぽつんと1曲だけ書かれた弦楽五重奏曲の第1番変ロ長調K174です。ヴィオラが一つ入るだけでなんてのびのびと歌うことができるのか、室内楽のおもしろさ、むずかしさを見ることができるとともに、上述のモーツァルトの資質がとても美しい形で流れ出たものと思います。こういう曲を聴くと、広く知られた神話――作曲など簡単なことだ、私の頭の中の音楽を書き記すだけだから――を信じたくなります。
この神話を真っ向から否定するのがハイドンセットです。この6曲を書くのに苦心惨憺したことは、モーツァルト自身が述べていることですからそのまま信じればいいのですが、その過程と成果は各曲を仔細に見ることで如実にわかります。目の詰んだアンサンブル、よく機能し、歌う各声部、確かにハイドンに学んだものは大きいのですが、こうした点だけ採っても先生を明らかに超えていて、天才が努力するということの物凄さを知ることができます。
そして、その成果は室内楽に留まらず、あらゆる分野のオーケストレーションに生かされていきます。その後の彼の書く音楽の和声の緻密さは円熟の域に達していきます。ただ、私はフィガロやリンツ以降のモーツァルトの音楽を聴くと、こうした頭の使い方をしていてはとても長生きできない、人間の脳みそはこれほどの曲を創り続けられるほど頑丈にできていないといつも考えてしまうのですが。……