ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタは、これらだけでも他の楽器から「ピアノはいいよな」と羨ましがられるような曲だと思います。秋のやわらかい光の中で落ち葉が舞うような出だしの30番ホ長調(1820)、シューベルトのような曲想で生涯を慈しむように振り返る31番変イ長調(1822)、そして自由奔放なjazzyにさえ聞えるフレージングを含み、ピアノとの別れを惜しむかのように戯れる32番ハ短調(1 . . . 本文を読む
シューマンはロマン派中のロマン派だと思います。文学や哲学との深い関連による標題性、完成よりも感性wのひらめき、詩人の恋などの自己陶酔的な傾向、そして何より才能あふれる妻。それでいながら悲劇的な最期となったことなどなど、まことにロマンティックな人です。オペラやシンフォニーやピアノソナタよりも、室内楽やピアノの小曲、歌曲に真価を発揮していると思います。シンフォニーやピアノ・コンチェルトを聴くと、オ . . . 本文を読む
すべてがデータになる前に(12)
時間っていうのは、ふだんはよくわかってるものだけど、いざ何だろって考えるとわかんなくなるって言った人がいたそうだ。よく考えたんだなってことはよくわかる。何かが時間を超越した概念だって言っても、そういうことって思い浮かべられるのかな。概念ってもの自体が、時間の中に埋め込まれてるって思うけどね。論理展開を時間的継起と無関係に考えるって簡単じゃないだろ?
. . . 本文を読む
ニースのシャガール美術館と近くのマントンのジャン・コクトオ美術館のことは、物語の最初の方に書きましたが、ニースにはマチス美術館もあります。ここには大作はないのですが、いわゆるブルー・ヌードのシリーズがあってとても印象的で、きれいでした。空港に行くまでの短い間でしたが、朝早かったので窓からの光も瑞々しかったのを覚えています。
こうした絵を見ると反発する向きもあるでしょう。こんなのはマチス(18 . . . 本文を読む
3日も、4日もそばばかり(しかも手抜きのw)では、どうも脂っこいものが食べたくなるのが人情というものでしょう。そういう意味では、ウィーンのホイリゲという、ワインの新酒(ホイリゲ)を飲ませる郊外の居酒屋はうってつけです。皮ごとの豚や鶏のローストやソーセージと山盛りのジャガイモ、キャベツの酢漬けなどなど、その一人前の多いこと。いっぺんで脂肪過多になってしまいます。でも、今でも時々食べたいなと、あの . . . 本文を読む
先日、タダ券があるというので家人らと連れ立って六本木ヒルズの展望台に行ってきた。いつでも行けるところではあるが、何も1,500円も出すことはないと思って行ったことはなかった。タダ券でも面倒だが、大人二枚分あるから勿体ないという地球環境に配慮した意見に異論は差し挟めなかった。
わりと天気がよかったので、展望台からは23区内の西部がよく見えた。あといろいろな物が見えたが、何だか自慢じみて聞こえそ . . . 本文を読む
図書館というテーマについては、このブログのお得意様が書いているので思いついた。早い話がパクリである。究極のてぬき、てぬきそばの達人であると言って差し支えなかろう。拙も図書館でよくCDを借りる。HDDプレイヤーで聴くようになってからよけいそうである。借りてきてはPCに落とし、プレイヤーに落とす。単純作業であるが、これがなかなか面倒である。再生は問題なくてもPCに落とせないことがしばしばある。見る . . . 本文を読む
拙はマンガが好きである。むずかしそうな話を時々は書いているので、意外に思われる向きも、やっぱりそうかという向きもあろう。人の思惑など知ったことではない。いい年をしてマンガなんか読んでと、言われなくなっただけ世の中は良くなっている。そうでも思わないとやってられぬ。
マンガについてもessayを書きたいのだが、むずかしくてできなかった。なぜむずかしいかよく考えたら、マンガには絵があると気づいた。 . . . 本文を読む