父が危ないと連絡があって駆けつけ1ヶ月半。
それから連絡もなく忘れていた疎遠の父、弟のことを。
そして昨晩、連絡がきた。
「昨日、届け物をしようと病院へ行ったら、あれだけ意識なくコロナで会えないし
病院から連絡もなかったけど廊下で父とバッタリあい元気やった!」と弟は嬉しいそう。
ということは管も外れたんかぁ、と思った。
ほぉ、良かったやん。と返答。
記憶も会話も普段どおりで、あとは随分眠ってたので歩けないから車椅子のよう。
ご飯が美味しくないからコーラ買って飲んでペットボトルをクルクルまわし遊んでいたらしい。
意識がない日も、毎日、病院へ新聞と雑誌を届けていたらしく、今は読めているという。
美味しくないならと野菜ジュースやヨーグルトは?と看護師に尋ねたら苦い顔をするから無理そうだと弟はいう。
コーラなんて飲んだことない人だったのに、飲んだんだぁ、と思った。
「あのさ父は禿げてたけど寝てる間に伸びてフッサフッサの真っ白な白髪が生えて綺麗なん
よ。あのままで良いよね」と聞かれた。
それ急用か?何かあった時だけの連絡はそれか?十数年話してないで禿げが生えた相談か?
考えても考えても相談には答えることできない。
私が生まれてきた時には既にハゲ。
母はハゲと結婚したって言っていたので、私が生まれる前から禿げて短髪か坊主にしている。
それがフサフサの白髪を想像しても想像も空想も妄想にも辿り着かん 苦笑
私の結論
「禿げてないに越したことはなかろうが、やけち、あっても無くても、どうも思わん。
元気なら連絡してこんで良かろうも、書類等の手続きになったらにして」とこたえた。
「うん、わかった、普通に退院してきそうやけ、また」と電話が切れた。
サッパリした。
疎遠ながら弟を少し気にかける自分が常にいて悶々とする時があった。
弟は、私の弟ではないんだ。そっか。
家族の中で私だけが、違う家庭の子がいるよう、と昔、弟が言ったことがある。
それでも私は、親から言われた「姉」という役目を果たし「弟」を守ってきたと思う。
父の容態の話の中で少し弟の先を考えて会話をしていたけど自分の中で悶々さが消えてく。
スーッと冷めていく気持ちよさ、少しも気にかけないで良いと目醒める私。
弟は昔から戸籍上「姉」「姉弟」であり「何かあれば助けてくれる人」と認識していると理解した。
なんて長い年月を「弟」という形に心縛られてきたのだろう。
「姉」を何故にしていつまで勤めて自分を縛り、私を解放してあげないんだろう。
割り切りの悪さはピカイチなんだなぁ、私。
よっし!とサッパリした私は昨晩スパイスの効いたトマトいっぱいのカレーをつくった。
うん、私の人生、実にスパイシー。
因みに私はコーラは飲めない 笑。
明日は父の誕生日じゃないか(フンッ)
※ 朝食風景
やっぱ菜の花は漬物にするのが好き。