私が育った田舎でのハナシだが、『朝鮮引き揚げは根性が悪い』と大人たちが囁き合っていた。
祖母は若くして朝鮮に赴任する祖父について慶尚北道と言う処に住んだ。『市場なんかに買い物に行っても何か意趣ありげな目でジーっと見られて怖かったよ』と言っていた。多分堪えかねたのだろう、間もなく台湾に転任した。台湾では今でいう山岳民族、当時の日本人は生蕃と言った、その人々が偶に降りて来る山里、つまり僻地で教師をしていたが特に怖かったとは言わなかった。小川などには彼らの棺桶の不要になったフタなどを橋代りに懸けてあったりしたらしい。
風土が人を造るのか、環境が性格を変えるのか、血が人を形造るのか、いまだに分からない。筑前今様に『三芳野の春のあけぼの見渡せばもろこし(唐)人も高麗(こま)人も大和心になりぬべし』とあるが多分これは風土が人を造ると言っている。
祖母は、『台湾にはもう行ってみたいとは思わんが朝鮮には行ってみたい、春になるとどろ柳の新芽がきらきら光ってそりゃあ美しかったよ』、と言っていた。
それにしても現在の韓国人の狂気には驚くを通り越して呆れる。『これが一国の政治家・指導者たちの言う事だろうか?右左弁えぬ凡人なら有り得るかもしれないが・・・』と。それが教育に起因するとならば『何も築き上げない結果になる教育をどういう積りでやるのかな?』と思う。
精神分裂病(誰が統合失調症などと言うオブラート包み名称にしたんだ)と言うのは正常人が了解不能だから治療が困難らしい。『なぜそういう観念が起こるのか』、が分かれば治療の仕方は分るのだろう。現在の韓国の言動はまさに正常な神経では了解不能、治療法が見つからない、故に関わり合わないほうがいいと思う。
【衣食足りて礼節を知る】と言うが、礼節を知るまでにはまだ衣食が足りないのだろうか?
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