夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

形見

2016年12月15日 12時10分04秒 | 日記
       かたみ   野田宇太郎

書棚のかたすみのほの暗いところで、いつも一冊の
聖書の金文字が光っている。誰か磨きに来る人が
あるかのように、いつもあたらしく光っている。

あの人は死んでしまった。私に聖書をわたすために
此の世にあらわれてきたような ほのかなひとであった。

あのひとを想い出す日はひそかに聖書を取り出して
あの日枝折を入れたままのピリピ書のページを開く。

そのたびに私のまえに悔いほどに煌めく淡い埃り。
そのたまゆらにあのひとの声を私はきく。

・・・埃はこうして窓の外ではたくものよ、いいこと・・・
窓の外にはあの日と同じ風が流れている。


父は私の苦しみを洞察出来なかった。外見、外面のみを見て『このバチ当たりが』と言うだけだった。私の事を芯から心配し嘆いたのは母だった。その母に私は冷酷だった・・・後悔している、とても・・・!
そのような経緯からか私には母の形見は一切なかった。しかしどういうわけか、母の使っていた聖書が私の手元にただ一つの形見として残っている。母が他界してもう30年は過ぎた。その聖書がまだまだ多くの困難を乗り越えなければならなかった日々にどんなに励ましになったことだろう。

すずめ一羽と雖も神の許しなしには地に落ちない、のだよ!と行間から囁くイエス・キリストの言葉を頼りに、行く末暗い息子と共々歩いた日々であった。

若かりし頃の母を彷彿とさせる画像を貼っておく。


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