夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

もしかしてイエス・キリストは既に活動している??

2012年07月18日 22時38分06秒 | 日記
 用件あって町まで降りた。大汗かきながら坂道を上る。まっすぐ上ると心臓が止まりそう、股関節が痛い、のでジグザグに昇る。それにしても長雨の後の空の美しさと言ったら無い、ハケで撫でたような高い雲と湧き上がる積乱雲が同時に有り、その上に澄明な青い空が輝いている。雑木林、棕櫚の樹、ひまわり、鬼百合などをこの空を背景に撮影した。
 それからふとある考えが頭に上ってきた。もしかしたら既に神は実質の統治を始めているのかもしれない、だってこの空は余りにも美しいよ。コルマン博士の話によれば去年の10月28日で人類の長い一連の歩みはひとつの区切りを迎えたと言う。
 その後も世界は何も変わらないじゃないか、と考えるのが実は思慮が足りないのではあるまいか?例えば”その日その時は誰も知らない”と聖書は言う。”ノアの日も彼が箱舟に乗り戸を閉じるまで人々は注意を払わなかった”と言われている。或いは”これらのことを見たならば、主が戸口に立っていることを知りなさい”とか、要するに”兆候”に細心の注意を払え、と人類は警告されている。
 そして最も在り得る状況とは・・・”万人がそれに気が着き大パニックが全世界的に一斉に起こって”テレビの報道で大騒ぎになるような状況ではなく、事が起こってしまって”そうか、あれだったのか、もうすこし真剣に考えていれば・・・”などと後悔の臍を噛む、多くの不注意な、或いは目先のことにのみ注意が集中していた人々が、歯噛みして後悔する類の状況の推移で以って所謂アセンションが起こってしまっていた、それによって人類は分類されてしまっていた、”私の前に全ての人を集め左と右に分ける”が、まさかそういう過程をたどってだったとは!と多くの人類が後悔する、と言う事態の進展が、既に今起こりつつあるのではないか?
 バス停で”まだか、まだか”と待つ、既に予定の刻限は過ぎている、どうなっているんだろう、と焦り始めた時、誰かが言う、”もう行ってしまった”、”えっ、来なかったじゃないか”、”いや来たよ、あれだよ”、”まさか?あれだとは思わなかった、どうして知らせてくれなかったのだ?”、”ちゃんと時刻表に注書きしてあるじゃないか、よく読まなかったのかい?”、”毎日の仕事で忙しくて読む暇が無かったんだよ”
 このようにして知らぬ間にアセンションは起こってしまう、しまいつつあるかもしれない。
息子たち、細心の注意を払いたまえ、決して横着な心を起こしてはいけないよ。
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1 コメント

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1914年 (クリスチャン)
2012-07-28 08:22:42
はじめまして。
1914年がキーワードです!
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