つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

元ポーランド大使の講演会 2

2007-04-30 | ボランティア
 予定通り、元ポーランド大使・兵籐長雄先生のWFWP主催講演会が開催されました。多くの人が感動された様子で、私たち主催者側もほっとしました。
 ポーランドの人たちが、今も日本に対して感謝の気持ちを強く持っているのはそれなりの理由があります。日露戦争で捕虜となり、日本に連れてこられたポーランド人に対する日本人の親切な態度が嬉しかったこととか・・・
 ソ連・ポーランド戦争によってシベリアに強制的に連行されたポーランド人は米国にも欧州にも見放され、日本政府によって救済されたことも・・・
 東京と大阪に、日本陸軍の船によってシベリアから連れてこられた孤児たちは、とても温かいもてなしを受け、故国に帰りました。自国に帰るのがいやで泣く子もいたとか・・・日本の海外支援第一号でした。助けられた孤児は765人。もう殆んどは亡くなられましたが、生き残った人は、阪神震災の時、恩返しをしたいと申し出て、震災孤児の救援をされました。
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片野記念館

2007-04-29 | 岐阜県
 岐阜県安八郡輪之内町に私設民族博物館があると聞き、インターネットで調べ、その「片野記念館」に出かけました。個人的趣味の資料公開は、我家の長屋門展示室と共通するものがあり、興味を覚えました。
 昭和46年からよくあれだけ集められたとは、感心するばかり・・・6000点もあります。場所柄、輪中とか、木曽川の治水事業に関するものが中心です。
 驚いたのは、治水を指導したオランダのデ・レーケが来日した時、宿を提供されたらしく、休んだという籐のベッドが残されていることです。デ・レーケからお礼状が来たとか・・・
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國光ともこ ソプラノ・リサイタル 2

2007-04-28 | 岐阜県
 昨年6/27につつづき、岐南町出身のソプラノ歌手・國光ともこさんのリサイタルが、メルサホールで昨夜開催されました。ある団体主催で、キップ代は岐南町伏屋獅子舞保存会に寄贈され、町長さんが代表で贈呈を受けられました。
 前回とは少し内容が変わり、日本の歌、モーツァルト、グノーに加え、黒人の歌をスペイン語で歌われました。國光さんはイタリアに留学されていて、イタリア語は勿論、スペイン語も堪能である訳です。どちらの言語もラテン系で似てはいますが、なかなか両方をマスターすることは日本人では困難かと思います。公演中は撮影禁止。これは花束贈呈の時です。彼女の写真は昨年6/28にup。なお、写真左、花束を持っているのは伴奏の石野さん。彼女はパリに留学されていたとか・・・
 
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公民館短歌会 20

2007-04-26 | 短歌
 新しい会員を1人迎えて、4月の歌会を開きました。毎回万葉集何首かと、百人一首をひとつとりあげ薀蓄を語っています。
 今回は、13番陽成院の人口に膾炙した、
つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる
 陽成院はこの作品の他は1つもないのに、歌人元良親王の父ということから入れられたようです。在位9年の間は狂気に煩わされ、天皇廃位。その後長く生き、脳の病気は治らず、悲惨な人生でした。この歌は、妻を詠んだもの。

今日の一首。
知覧より開聞岳を富士と見し特攻隊員往きて還らず   Mさん
彼女は知覧に旅して、特攻隊員の遺影と遺品に胸を痛めながら帰られました。1000人もの優秀な人が・・・行きだけの燃料で、離陸だけ訓練し、着陸は習わず・・・
(写真は今年の牡丹 2)
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笠松町・杉山邸

2007-04-25 | 岐阜県
 我家の長屋門展示を見に来て下さった人たちと一緒に、笠松町杉山邸に向かいました。築110年のこの邸宅は、町民有志のカンパによって修復され、一般公開されています。そして、2006年には国指定の有形文化財になりました。
 わずかカンパしていることから案内が来ていてもなかなか行く時間がなく、今日になってしまいました。
 笠松は高山と同じ陣屋があったし、明治4年には、司町の岐阜県庁の前身がありました。木曽川の水上交通の要所で、港跡には当時の石畳も見られます。芭蕉も「野ざらし紀行」で足跡を残しています。美濃の中心であったため、杉山邸のような質実剛健な町屋造りの家が、今も現存するのです。庭には、水琴窟も埋められています。
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元ポーランド大使の講演会

2007-04-24 | ボランティア
 WFWP主催で下記の日程で講演会があります。是非お越し下さるようご案内します。テーマは、ーポーランド魂とやまと心ー「善意の架け橋」。講師は元ポーランド大使・兵籐長雄先生。
 先生は、1993~1997年までポーランド大使を務められました。1920年、日本政府に助けられた、シベリアのポーランド孤児はもう80~90歳ですが、今も恩を忘れていないそうです。ポーランドの日本大使館を訪ねた元孤児は、「生きている間にもう一度日本に行き、直接お礼が言いたかった・・・」と、玄関に泣き崩れてしまったそうです。(写真は今年の牡丹)
              記
時 4月30日(月)振替休日  13:00~
所 大垣市 ソフトピアジャパン1F
会費 1000円
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プードル

2007-04-23 | 動物
 行きつけの美容院の飼い犬、プードルの「ぷーちゃん」です。オス10歳。人間の年齢で言えば、還暦。写真より実物はもっと可愛いのですが、カメラに怯えて足がすくんでしまったようです。
 生まれてから昨年までは、真っ黒でしたが、今年急にグレーになりました。獣医さんの話によれば、プードルの黒色種は、老犬になると色が薄くなってくるのだそうです。そのうち耳も顔もグレーになるのでしょうか。足の先にも少し黒が残っています。美容室の椅子の上で寝ていることが多いです。客にはよくなつき、女性には吠えません。
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花蘇芳 3

2007-04-22 | ガーデニング
 昨年4/23に、赤紫のハナズオウ、8/3に咲いた後の莢をupしていますので、今回は白の花蘇芳です。珍しいこともあり、買い求めました。中国原産。江戸時代に日本に渡来。蘇芳の語源は古代から重要な染料・スオウの色に似ているから・・・従って白は染料にならないので、本来のものではなさそうです。
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胡蝶蘭

2007-04-21 | ガーデニング
 別名・ファレノプシス。お祝いにもお悔やみにも用いられ、豪華さでは右に出るものがありません。ピンク色もあります。蘭は概ね花期が長いので、人気もあるのでしょう。台湾からオーストラリア北部の熱帯・亜熱帯原産。これは、頂き物の切花ですが、自分で栽培するのはなかなか難しく、鉢で買い求めても一シーズン限りでした。
 沖縄海洋博に創設された熱帯ドリームセンターの胡蝶蘭を思い出します。関西では兵庫県加西市のフラワーセンター、関東では葛西臨海公園夢の島植物園も綺麗でした。
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アメリカの椿 2

2007-04-20 | ガーデニング
 この複輪の椿も、戦前米国で交配された椿です。中国から日本、日本から米国に渡り、米国好みの品種が作られ、横文字の名前がついているはずですが・・・椿王といわれた日本人が米国で広めました。2005.3.23のエリカマクミンと、2005.4.2にupしたマグノリア・フローラは、はっきりしていますが、他は今のところ名は不明。
 立退きにあった家から昨年頂いたもので、まだ枝もしっかりしていなくて、挿し穂をとるのは難しそうです。ようやく咲いた一輪を、水盤に浮かせました。
 真紅の一重もupします。
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