つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

樽見鉄道

2019-04-30 | 岐阜県

 昨夜は、大垣始発の樽見鉄道が、BSジャパン2時間番組で放映されているというラインの友人からの情報があり、久しぶりにそのチャンネルに合わせました。ブログに書く予定はなくて、テレビ画面の写真はありません。テーマは、「ローカル線発見旅」花咲く岐阜樽見鉄道春らんまん新緑の絶景織部焼&飛騨牛の宿。どうやら撮影は3/31.第三セクターの樽見鉄道はまず谷汲口で下車。

 まずは谷汲山華厳時参道の見事な満開のさくらの場面から。歩くのは川上麻衣子さんたち二人。川上さんは子供時代は、北欧育ち。きっと岐阜のローカル線も新鮮に見えたことでしょう。華厳寺の山門の前の宿で一泊。おいしそうな飛騨牛がふるまわれるのは知らなかったです。県内の人は大抵日帰り。まず泊まることはありません。華厳寺は西国33カ所札所巡りの33番目。つまり満願寺です。

 翌日は、華厳寺の戒壇めぐりをして、また樽見鉄道へ。谷汲口の次は織部で下車。織部焼風に焼かれた陶器のおみやげ物を二人は買っていました。ここは知りませんでした。次はモレラで下車した二人は、お昼をとっていました。

 最後まで根尾駅で下車しないままで番組は終わりました。有名な淡墨桜は見ないままです。そう言えば、水鳥(みどり)駅の前にある濃尾震災の資料館も素通りでした。

 根尾に私が最初に友人たちと下車したのは55年前。岐阜大学4年の時の教育実習でした。根尾小学校で1週間の実習の時は、あの高橋尚子選手のお父上とも同じ宿でした。岐阜県は山国のため、僻地実習も必須科目で、各地の学校に分散して実習しました。今はどうなっているかは知りません。そのころはまだ淡墨桜に観光客の姿もなかったです。ただヤマユリが一面に咲いていました。写真は岐阜県の県花、蓮華草。

 なお、本日4月30日は平成最後の日。午後5時から退位礼正殿の儀が行われ、明日より明仁親王は上皇となられます。明日5月1日、徳仁親王は、126代令和天皇となられ、剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀が挙行されます。

 

 

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今年の庭

2019-04-29 | ガーデニング

 前田さんからお送りいただいた、たくさんの花の写真を見て、我が家のものも紹介することにしました。なぜか同じ花はひとつもありません。かつては、我が家もオオテマリ、コデマリ、アメリカハナミズキ、ムギナデシコ、フリージァもありましたのに、管理が悪くて枯らしてしまいました。過去のブログを見ると、こんなに多くの植物が消えてしまったのかと愕然とします。クロロウバイだけ亡父が植えたもので、50年位庭にあります。

 

 

ムスカリ                                      ツツジ

 

セイロンベンケイソウ                              ツツジ

 

ツバキ                                  ボタン

 

シロヒトエヤマブキ                               シラー

 

クロロウバイ                                     ハナニラ

 

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奈良だより 165

2019-04-26 | 国内旅行

  花の季節にふさわしい花だよりが奈良の前田さまから届きましたので紹介します。以下はメール。 

 「4月も後半に差し掛かり、平成の世も後わずかになりました。元号には関わりなく、庭の花たちは自然を感じてそれぞれに咲き誇っています。平成と共に散りゆく花、平成から令和に咲き続ける花、それぞれに自己を主張しているようです。少し写真の数が多くなりましたが、我が家の花をご覧ください。」
 
 
 
ガマズミ                                        ライラック
 
 
 
ライラックの花                                        アメリカハナミズキ

 

カラー                                            フリージア

 

ムギナデシコ                                         コデマリ

 

クンシラン                                             オオテマリ

 

フジ                                                フジ2

 

シロフジ                                              シロフジ2

 

 

 

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W家その後 2

2019-04-23 | 文化

 あれからまたW君、つまり渡辺君がいろいろな書物を届けて下さいました。お祖父さまとお祖母と共著の歌集「雪月花」。そして兄上様のエッセイと俳句集。これは、「帰去来」と「しゃぼん玉」。もう一冊出されたようですが、余分がなかったでしょう。頂きませんでした。お祖父さまは、謡曲の他に短歌もご趣味のようでした。嫂様の書道関係の書物もありがたく頂きました。ここには紹介しきれませんので、一部です。昭和20年代に刊行された和綴じの毛筆手本は、見るだけでもいやされる正統派の仮名です。

 「雪月花」は、ご夫婦で短歌を作られ、前半がお祖父さま、後半がお祖母さまの写真と自筆の短冊作品が収められています。お二人とも達筆で恐れ入りました。歌を下に紹介します。辞世の歌もありましたが、もの悲しいので割愛します。どちらもつばめを詠んでおられます。小学生の時、遊びに行きました折に、お祖母さまの姿は拝見しています。

お祖父さま

わが宿の軒端にそだつひなつぱめまた来ん春の古巣わするな

手にとれば消ゆべきつゆの白玉をたくみにぬける青柳の糸

長良川底ゆくあゆも見ゆるかなくまなく照らす月の光に

お祖母さま

出船まつ木曽の渡りの夕まぐれみなかみ遠くなくほととぎす

世にたかき学びの庭にすすみたる孫のたよりを見るがうれしき (孫東大入学)

朝ごとに時もたがへずつばくらめ軒に夜あけをつげ渡るなり

 兄上様は、定年退職後は、日本はもとより世界中に旅行されていたようです。ロシア、台湾、インド、イタリア、ハンガリー、オーストリア、チェコ、中国、韓国などは私たちも行きましたので、共感を覚えました。地域のことにも貢献され、文化財保護審議委員会にも携わっておられたようです。これには亡父も関わていましたので、知り合いだったと思います。どちらも故人で確かめる術はありませんが。俳句も巻末にちりばめられてあります。帰去来としゃぼん玉にまとめられました。代々文化的なお家柄でした。

 わが家の展示室にも和綴じの本が多くあります。下は和歌の参考書の一つで、「増補和歌題林抄夏三」。俳句歳時記のように夏の名歌が変体仮名で書いてあり、 衣替えに始まり、樗(あうち)まであります。

 

左から雪月花、帰去来、しゃぼん玉

和綴じの毛筆手本

先日入った上野精養軒の文字も見えます

 

我が家に江戸時代から伝わる和歌の参考書

 

夏草の歌

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心を育てる性教育 2

2019-04-22 | ボランティア

 昨日は8年ぶりに京都からF先生を呼び、首記の講演会を大垣のヒフトピアで開催しました。テーマは、「子供たちの明るい未来のために」。前回の記事は、2011.2.28。8年たつと言うのに、日本では相変わらず過激な性教育の影響を受けた若者の命がむしばまれています。先進国で唯一日本だけエイズ患者が増加し続けているのです。同性愛者のエイズ罹患も多いです。

 何の政策もないからこれからも増え続けるでしょう。こういう講演会を開くことすら共産党ににらまれて妨害をされますので、写真も出せない状況です。まさか国連の会議にまで出て来て、そういう教育を進めているとは知りませんでした。

 先生はあれからも講演を全国で推し進められ、130回を越えています。でも援助交際はなくならず、エイズに罹患する人の年齢は、10代と50代が多く、数字に表れています。

 フリーセックスだった米国は、中学高校生までその思想がはびこり、妊娠が続出。保育施設の予算が国防費を上回るようになり、過激な性教育を止めました。今の教育は、結婚するまでは、SAVE SEX.

 しかし、日本は昔の米国をそのまま未だに真似をしています。その流れを引き継ぐのが共産党。国連にまで進出しています。写真は友人宅のパンジー。

https://blog.goo.ne.jp/tsukimiso17/e/ee87c6a1471022588139583133ed438e

 

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公民館短歌教室 150

2019-04-20 | 短歌

 昨日の短歌教室は、皆さんも元号の「令和」が万葉集から採られたことが嬉しいらしく、そんな歌も作られていました。原典は文選にも古事記にもありますが、万葉集は一応日本の古典です。その頃は中国の古典を引用することが多い時代でした。そんな話も交えて、いつもなら26番の続きを進めるのですが、一気に飛んで、815番の梅の花の歌の序文をテキストに使用しました。

 渡辺家から頂いた江戸時代の万葉集も回覧して見て貰いました。Sさんが、「令和」のあるページをコピーして下さることになりました。タイミングがよく、万葉集の古文書が届きました。Wさんに感謝です。

 最下段は、本日発行のぎふ羽島ホームニュース。コラムの原稿を頼まれ2日で書きました。締め切りがギリギリでしたが、令和の話題は、書きやすかったです。この地方の新聞に月一度挟み込まれます。

今月の歌

新元号「万葉集」から採られたる「令和」美し嗚呼うれしきや    Mさん 

 先月お休みのKさんが出席され、明治神宮短歌祭の入選歌を披露していただきました。もうすぐ娘さんとともに上京され、お祝いを受けられます。下が入選歌。地方の短歌大会と違い、全国版ですから難関です。

あたりまへにいるべき人はいなくなりあたりまへにて過ぎて行くもの   Kさん

 

渡辺家から頂いた万葉集

 

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Shall we dance?

2019-04-19 | 学校

 放送大学では、生徒がお互いに講師になるサークルがあります。昨日はダンスを20年以上続けておられるSさんの初めての発表。はじめは、ステップを一人で踏んで、スロースロー、クイッククイック、などと、説明されましたが、途中から男性と踊っていただくととても美しくて絵になりました。やはりペアでないとダメね、ダンスとは不思議ね、と皆驚きました。男性役のYさんは50年ぶりというのに、音楽に乗り軽々とステップを踏まれます。

 それには驚きました。私は55年前の学生時代にけっこうダンスホールに行ったのに全くダメ。キックターンとか、スピンターンという言葉は記憶しているのに・・・あの頃は何も分からず、男性のリードで踊っていたのでしょう。もう顔も忘れてしまいました。Sさん曰く、「男性のリードが大切です」ということでした。

 Sさんのモノトーンのドレスもすてきでした。靴はオレンジ系の色のパールで、9cmのヒール。姿勢もとてもいいです。週二回のレッスンの前にはタオル体操をされると聞き、その方法を教わりました。

 

 

 

 

 

 

 

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W家その後

2019-04-15 | 岐阜県

 昨日は恒例の同窓会ランチ。先日いろいろ届けて下さったW君にはお礼を申し述べ、その後のW家のことも聞きました。岐阜の古物商は弁柄の格子戸は引き取らなかったのに、京都の古物商は軽トラに積み込んで持って行ったそうです。時代劇の建物にでも使用するのでしょうか。彼自身の家にも軽トラ7台運ばれたそうです。灯篭は庭師さんの仕事ですから、まだこれかららしいです。総桐のタンスは、一部はご自宅へ。古物商も喜んで引き取ったとか・・・たくさん蔵にありました。

 茶室があったW家には、炭を入れる特別のタンスまであったそうです。白炭とかいろいろありますが、種類別に収納するのだそうです。これは珍しいので、ご自宅へ引き取られました。

 どうやらお祖父さまも文化人たったらしく、茶道もたしなみ、謡曲本も万葉集も使われていたようです。それに川合玉堂からの手紙まであると聞き、驚いてしまいました。吉良上野介の茶会記までも・・・

 古文書は地元の図書館が引き取り、これから整理して陳列するようです。家の周囲の土塀は、近くの「切通し陣屋」から移築されたもの。これも長屋門や蔵とともに廃棄されることが惜しまれます。蔵の中の漆器は価値のあるものと思っていたのですが、古物商は見向きもしないとか・・・私たちの観点とは少し違います。

 

この日のバイキング

天ぷらにしたらよいとK君が配布 初体験でしたがまずまずの味

 

国立博物館庭のハナモモ(9日撮影)                          ヒメモクレン

博物館庭

 

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翌日は北茨城の天心遺跡へ

2019-04-12 | 国内旅行

 二日目も、Tさんと上野駅で待ち合わせ、北茨城の岡倉天心遺跡に向かいました。横山大観や菱田春草など著名な日本画家の画室とした天心邸は当時のまま。明治時代の貴重なガラス戸には損傷もありません。五浦海岸は波は荒かったのですが、当時画室の環境もあるいはそういう時節もあったことでしょう。六角堂は、東日本大震災で崩壊したので、再建されたもの。再建のため、この建物だけ文化財の指定から外れました。

 行き先をここに決めたのは、リンクしている千葉県のoko様の9年前の記事によります。ずっと行きたいと思いながら遠すぎて叶いませんでした。今回も4月とは思われない寒さと氷雨。迷いましたがもう二人とも指定席の切符も買ってあるし・・・ということで、27年ぶりの常磐線特急に乗りました。水戸で各駅停車に乗り換え、約1時間で大津港へ。駅前の店で昼食をとり、タクシーで六角堂に向かいました。

 岡倉天心がなぜあのようなところに別荘や茶室を建てたのか窺い知ることが出来ました。57年前の大学の授業で、「茶の本」を勧められ読んだのですが、ようやくその真髄が分かるような気がしました。天心の存在がなかったら彫刻家の平櫛田中はなかったといいます。小平市の平櫛田中彫刻美術館記念館に行ったことも思い出していました。天心邸の庭には、平櫛田中お手植えの白椿も咲き残っていました。

 月見草の表紙絵を描いて頂いているTさんとは40年のお付き合い。都内在住のため、指定席の購入はスマホで連絡しあいました。常磐線特急は最新車両らしく、座席上の3種類のランプの色で、空席か予約席か、もうすぐ埋まるかが判断でき大変合理的です。

 oko様のブログには、野口雨情記念館と、徳川光圀庭園も紹介してありましたが、時間不足になり、悪天候でしたし、果たせませんでした。

 前日、孫に、「明日は岡倉天心の遺跡に行くね」というと、「中学の美術の時間に習った」と返事してくれました。孫は2000年のミレニアム生まれで、平成最後の入学式を迎えたことになります。

 

 

 

五浦海岸                                 六角堂

 

六角堂内部                                天心邸

 

天心像                         大戦の時古都の爆撃を禁止したウォーナー像

 

平櫛田中の作品                            平櫛田中お手植えの白椿

 

大津港駅前にある菊池邸の土蔵  当時海運を担っていました        大津港駅前の店の天そばがおいしかったです

 

 

 

 

 

 

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孫の大学入学式プラスα

2019-04-11 | わが家

 孫の東京理科大入学式プラスαで2日間上京してきました。会場は一昨年の東大と同じ日本武道館。この式場に3度も行けるとは夢にも思っていなかったです。9日早朝娘婿と新幹線名古屋駅で待ち合わせ。東京で地下鉄に乗り換え、大手町で孫と合流。式場近くで記念撮影をして、孫とは別の席へと進みました。新入生5000人余りとその父兄10000人の規模とか、祖父母の姿も多くてこれも東大と同じ。新入生代表挨拶は女性。みごとなスピーチにさすがとうなりました。式は粛々とすすみ、大学管弦楽団の伴奏で校歌斉唱。校歌は創立138年という歴史が感じられる歌詞です。理解できない言葉もありますが、重厚さが感じられます。合気道、アカペラなども演じられサークル紹介もされました。

 式終了後は婿は孫の千葉県野田市の下宿に向かい、私は友人のTさんと上野駅で待ち合わせ。予定通り上野精養軒で昼食。その後は国立博物館で催されている「両陛下と文化交流展」を拝観しました。上野公園の桜は散り始めていたのですが、相変わらず人は多くて東京らしいです。とても寒い二日間でした。一日目は快晴でしたが、翌日は氷雨。4月とは思えなくて震えあがりました。今日の新聞には満開の淡墨桜に雪化粧の写真がありました。

 昼食をとった上野精養軒の玄関に、かつて上野で万博に似たイベントがあり、その写真が掲げてありました。3人の肖像画の一人が渋沢栄一。次の一万円札に登場する人です。実はわが家にも渋沢栄一の書がありましたが、茶色にすすけて虫食いの跡もあり、亡父が廃棄してしまいました。「青淵」という号が署名してありましたのに・・・今では惜しまれます。27年前東京にいたとき、北区にある渋沢記念館にも入ったことを思い出します。

 

 

 

孫を祝福してくれるように富士も快晴

  

                                         校歌

 北の丸公園の桜

 

肖像画左側は渋沢栄一                               前菜

 

メーン料理                                         精養軒は窓際の席

両陛下と文化交流 展

 

博物館庭の中には飛騨の金森氏の茶室もありました            前回撮れなかった池の花筏

夕食はTさんとホテルで和食

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