つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

明智光秀ゆかりの地をたずねて

2019-03-29 | 学校

 昨日は、放送大学のサークルで「明智光秀ゆかりの地をたずねて」というテーマの講演会がありました。来年の大河ドラマ「麒麟がくる」にちなむタイムリーな内容です。ライフワークとして光秀を追い続けてこられ、著書も出されている塩見先生のお話を、興味深く聞きました。光秀は、すぐれた武将であるだけでなく、当代一流の文化人と親交を持ち、茶の湯、和歌、連歌に造詣が深い文化人でした。

 清廉潔白と言われる光秀は生涯側室を持たず、直系がいないため、謎も多いですが、岐阜生まれであることは間違いないので、ドラマが始まるころには岐阜県可児市など、騒がしくなることでしょう。

 清和源氏の出で、土岐一族。明智城生まれ。1556年、城は斎藤義龍に滅ぼされます。諸国を放浪し、越前の朝倉家の家臣になりますが、朝倉義景は側室に庭園を造り、遊興にふけっているのでいやになり、40歳ころ信長に仕えるようになります。やがて琵琶湖の湖岸に坂本城を建てて、城主となります。10年住みましたが、本能寺の変の後廃城。今は石杭だけです。しかし、2000年の旱魃で、琵琶湖が干上がり、坂本城の石垣が一部現れたようです。その城は大天守のほかに2つの小天守がある雄大なものであったとフロイスは記録しています。

 なお、朝倉義景が愛妾小少将のために作った諏訪館庭園跡は、8年前放送大学の研修旅行で訪れています。(記事は2011.9.12)

 本能寺の変の原因は、次のように言われています。時代によっても変わります。手紙が発見されたりするので。

1 野望説 2 怨恨説 3 名分存在説 4 前途不安説 5 黒幕説

平成初 中期 朝廷関与説 足利義昭黒幕説

近年 室町幕府再興のクーデター説(平成29年手紙発見により)

 3日天下ならぬ13日天下でした。信長を打ちとった後、生涯の友であった細川藤孝(幽斎) に助けを求めたのに裏切られたのが最大の悲劇でした。このあたりの手紙のやりとりは、10年前、知りあいの歴史小説家から頼まれて、原稿をパソコンで打ち込んだことがあるので思い出しています。「武功夜話」だったかもしれないです。「武功夜話」は、昭和34年の伊勢湾台風の後、崩壊した前野家の土蔵から発見されたもの。  

 帰りのエスカレーターで、偶然塩見先生と乗り合わせたので、「光秀は生き延びて四国に渡り、末裔が坂本龍馬になった、なぜなら同じ桔梗紋だから、という俗説を聞いたことがありますが、本当ですか?」と聞いてみたら、「本当です、時間がなくて話せなかった」という回答。しかし、微妙に桔梗の形が違うそうです。 

 

塩見氏

歌舞伎の本能寺を表す浮世絵 右端が信長

平成29年発見された光秀の手紙

出生地とされる明智城址 (土岐市)

 

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奈良だより 164

2019-03-28 | 国内旅行

  一昨日は、奈良の前田様からタイムリーな記事が送られてきました。平成天皇両陛下が、神武天皇陵に参拝された様子が撮影されています。写真は前田様のご友人のもの。ご厚意で拝見させていただけます。以下はメール。私も昨年3/22に神武天皇陵に参拝したことを書いています。 

 「3月26日天皇・皇后両陛下は橿原市にある、神武天皇の陵(畝傍御陵)に参拝され、4月30日の退位をご報告されました。滞在中の京都から、近鉄の臨時電車で橿原神宮前駅に午前11時頃に到着されましたが、両陛下をお迎えする人々は、午前8時には駅前を埋め尽くす程になり、同駅前から畝傍御陵までの二キロ足らずの参道は、両側歩道にぎっしりとお迎えの人々が詰めかけました。友人は午前8時前に駅前のお迎え場所を確保し、身近に写真撮影にも成功しました。
 私は昨夜、目に ゴミが入り、眼科の診察を終えてからお迎えに出向きましたが、10時前でも駅から一キロ余り離れた参道でしかお迎えできませんでした。私は、参道から動画で車列を撮影しましたので、余り良い写真は撮れていません。今回は友人のご厚意でデーターを頂きましたので併せて送信します。10時頃には参道の西側だけに人々が並んでいただけですが、11時頃には参道の東側にも人々があふれ、立錐の余地がない状態でした。」

 

 

 

 

 

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W家からの到来品

2019-03-27 | わが家

 一昨日は、前から分けて頂くよう頼んでいたW家からの古書類と掛け軸、そして巨大な屏風が届きました。友人がライトバンで届けてくれたのです。W君も一緒でしたので、恐縮してしまいました。タクシーで頂きにあがるべきでしたのに・・・

 屏風から広げて見るととても巨大。世界地図の屏風は、戦前に書かれたもの。韓国と北朝鮮と台湾、そして樺太の南半分が日本の領土となっています。山水画はどうやら中国のものを模写されもの。色紙がちりばめられた屏風も上品。これまで使用していた屏風も飽きてきたので、置き換えました。

 古典籍の「万葉集略解」は、和綴じ。桐の箱に収められ、家宝になりそうです。お父上がなされていたという謡曲本の表紙は絹地。わが家のものとはランクが違います。これも桐の箱に収められています。「和訓栞」も桐箱の中。箱の作者の名前が蓋の裏に書いてあります。「和訓栞」は、江戸時代の国語辞典。読んでみると、万葉集とか、源氏物語、古事記、日本書紀、古今集、倭名抄、禮記、史記などが出典として引用されています。謡曲本の箱は引き出しがあり、その中にW君のお父上に届いた巻紙の手紙とか、謡曲の階級の免許状なども入っていたのでこれは郵送しました。お父上の日露戦争に行かれた友人へのはなむけの言葉もしたためられていました。レベルの高い文語体です。3点とも江戸期のものらしく、木版刷。

 引き出しの中には、明治34年発行の旅行案内もありました。どうやら山中温泉に旅されたようです。多分岐阜駅まではお籠だったのでしょう。場合により人力車かもしれないです。案内裏面には汽車と馬車鉄道の時刻表も書いてあります。表側は、温泉地の全景図と説明文。その中には、芭蕉の句や蓮如上人の歌も見られます。定価5銭。

 お軸の仮名はすごい達筆。親族の方が書かれたのでしょうか。早速飾らせて頂きました。よく知られている家康の遺訓もあります。扁額はこれから飾ります。お金はいらないと言われましたが、そういう訳にもいきません。幾何かをお送りしました。

 

 

世界地図の屏風の一部                                 中国絵画模写の屏風

 

色紙をちりばめた屏風

 

謡曲本

 

万葉集略解

和訓栞

 

仮名のお軸                                     扁額

明治期の旅行案内

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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義弟の一周忌

2019-03-25 | わが家

 昨日は義弟の一周忌でしたので、寒い中、名鉄電車とタクシーで出かけました。昨年廃車にしたので、これからは公共交通機関となります。早めに着いたので、義弟宅の庭木を撮影。珍しいソルダムの花が満開。はじめて見る花です。こ地方ではスイカモモとも呼ぶそうです。スモモと微妙に違います。

 僧の読経も終わり、ここではいつも法話があります。昨日は、「生きていることと、ただ動くだけの違いについて」というテーマで10分ほど話され、なるほどと思いました。ちなみにわが家に来られるお坊さんは、読経が終わるとすぐ次のところに行かれます。檀家が多いので超多忙なのです。お斎にも出られないので、いつも食事代を包んで渡します。私たちは食事会場にバスて移動しました。

 義妹も、広い家に一人住まいとなり、寂しさは隠せないようでした。彼女にとってはあっという間の一年だったようです。二人の子供たちも嫁ぎ、これからもこの寂しさに慣れていかねばなりません。庭の花が今は寂しさを紛らせているようです。

 昨日も忙しく、夕刻からは自治会班長会議と会食。会食が二度続きます。来年度への引継ぎが中心テーマ。自治会の起源は日露戦争時代。地域で助け合うために発足したそうです。終戦時、米軍の占領下では、自治会活動が禁止されました。しばらくしてから必要性から復活して今日に至ったようです。これまでに何人もの自治会長の挨拶を聞いていますが、この内容に及んだものは、今回が初めてです。 

 

                  

ソルダム                                    ラッパスイセン

お斎

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第5回岐阜版友会 木版画展

2019-03-24 | 文化

 五藤さんが今年も「岐阜版友会 木版画展」に出品されていますので、3人で各務原市中央図書館に出かけました。もう五回目。その前に近くの店でランチしました。

 昨日開花宣言されただけあり、一部満開の桜も見られました。各務原市の川岸は桜の名所が多いので、気の早いカメラマンの姿もありました。会場では五藤さんが出迎えて下さり、制作の説明も聞きました。もう15年以上続けてこられアマチュアの領域を超えておられます。昨年は東京で賞を取られ、会友となられました。岐阜市では指導されています。いつものように作品を一品頂きました。都忘れです。

 漆黒に摺るには10度も繰り返さねばならないという画面は、彫りも緻密で超人的。里山の秋は、色も全体に中間色で落ち着きます。本日24日まで。

 ランチは申し分ない味。上品な盛り付けです。リベンジする人も多いと思います。帰りは茶房に寄って、話は尽きませんでした。

 

  

深山競演 春 反射していますが背景は漆黒             里山の秋

プレゼントされた作品 

橋のたもとの桜は満開

 

和ランチ

デザートは黒砂糖アイス

 

 

 

 

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次はオーストラリア人

2019-03-23 | 学校

 放送大学のセミナーは大抵5年で講師は交替しますが、事情で英語のN先生は2年で退任。この4月から新しくA先生に替わります。オーストラリア人。昨日は紹介も兼ねて30分くらいコミニケションを持つ時間が与えられました。来日13年ですが、殆ど日本語は話されません。JET(外国青年招致事業) で家族で来日。奥様は最初から日本語が堪能らしく、現在岐阜の高校で教鞭をとられています。来日直後から奥様はフルタイム。先生は当初二人のお子さんのイクメンでした。今は岐阜大と幼稚園で講師をされています。

 A先生はオーストラリアのアデレード生まれ。近くのキャンベラは山もあり、岐阜県と似ているそうです。登山なども楽しまれていました。日本各地を旅行され、京都が大好きだそうです。

 今後はセミナー講師として迎える訳ですが、このクラスには英語堪能な人もいるため、英語オンリーでも大丈夫。昨日も和気あいあいと進められました。生徒同士で通訳すれば、先生へ意思伝達できます。

 N先生は最後の授業。終わると皆さん名残惜しそう。再会を約束し、一部の人に習い、久しぶりハグをしました。外国生活が長かった先生はごく自然に・・・私は、数年前スペイン人修道女と鎌倉でハグして以来でした。餞別はピンク胡蝶蘭の鉢植え。

 昨日は東京に続いて岐阜も桜の開花宣言。平年より4日早く、昨年より3日遅いです。ただし、この週末は冷え気味のようです。

A先生

N先生に渡した胡蝶蘭

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八幡和郎氏のコメント

2019-03-22 | 社会

 評論家の八幡氏が対話形式でネットで興味あることを話していたので、聞くことにしました。テーマは、ぎくしゃくしている日韓関係から。いま日本では徴用工の問題など日本人にとり、ゆゆしい問題が起こっています。日本はこれに対して強く出ればよいという考えです。弱腰すぎます。例えば韓流ドラマのヒロインを入国禁止するとか・・・韓流ドラマ輸入禁止にするとか・・・

 教科書の書き方も改める必要があります。学び舎社発行の教科書は彼の納得のいくように扱っているとか。でも大抵の学校は、東京書籍のものを使用します。宮沢内閣の時代に、近隣諸国の扱い方の記述に注意を受けて以来弱腰です。任那のことも書いていません。任那とは朝鮮半島に日本が設置した都。文部科学省に言うと、古代史までは・・・と逃腰のようです。

 韓国は不正なことを受け入れる国民性があります。日本のように勧善懲悪ではないのです。例えば、かつて盗作した論文を書いたノーベル賞候補の学者も、寛大に受け入れられています。ここが日本と違うところです。

 韓国は孫正義さんとか個人ではすごい人がいるのに、全体ではその逆。歴史をねつ造しています。(徴用工の銅像のモデルも日本人のものらしいし・・・)どちらの国かいいとか悪いとかいう問題でなくて、国民性の違いのようです。それを踏まえて、つきあってゆなければならないということでしょう。写真は今咲いている庭の花。

 

 昨夜の深夜のスマホ受信音、何かと今朝見たらヤフーニュースのイチローの引退宣言でした。長い間ご苦労様と言いたいです。今朝のインタビューでもいつもの冷静さで感心しています。孤高の求道者タイプです。

 

 

サンシュユ                                     アセビ

 

ラッパスイセン                                   ヒヤシンス

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春休み食事会

2019-03-18 | わが家

 昨日は、もうしばらく会えない孫を囲んでの食事会。大学も決まり月末には上京します。お祝いを渡し、近所のイタリアンでの夕食。写真は私が注文したもので、孫はもう少しボリュームのある肉とスパゲティ。さらにピザも追加。歩いて10分のところに出来て有難いです。大学の入学式に誘わているので、また行こうかしらと考えています。会場は一昨年の東大と同じく、東京理大も日本武道館。卒業生であるノーベル賞受賞者の大村博士の顔は見られなくてもよいので・・・思案しています。次男の親友も同じ大学なので、30年後輩になります。きりのいい西暦生まれのため計算がしやすいです。次男は1970年生まれで、孫は2000年生まれ。

 最下段の写真は2年ぶりに収穫できた金柑。早速甘煮を作りました。昨年は伐採のしすぎで実は、なしでした。 

 

 

前菜                                  魚

デザート

晩稲の梅

 

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公民館短歌会 149

2019-03-16 | 短歌

 昨日は寒の戻りのような寒さでしたが、予定通り歌会を開きました。先月の万葉集25番歌と内容が殆ど変わらない26番歌を取り上げました。同じような作品と雖も、漢字文ですから、難解です。ところで昨日はホットニュースがありました。急用で休まれたKさんでしたが、明治神宮の献詠歌会に入選されたようです。次回どの歌が入選されたか聞きたいです。これまで何度も出詠を勧めたのですが、応募されても選外ばかりでした。今回初めての入選。全国規模ですから難しいのです。

 下段の写真は、知人宅のニャンコ。用事があり、訪問してしばらく玄関で話していると、今年も奥からしずしずと現れ、いきなり寝そべり挨拶してくれます。オーナーに断り触らせて貰いました。アメリカンショートヘアー。7歳。

今月の歌

 「春よ来い」早く来ぬかと菜の花と水仙を活け玄関に置く     Mさん

 

お雛まつりにちなんだお菓子

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Pride & Historyより

2019-03-13 | 歴史

 同名の講義がネットで送られて来るので、面白そうなところだけ読みかじっています。全部聞くのは至難のわざ。アトランダムです。講師は、スタンフォード大学西先生と弟子の丸谷先生。

 最近の話題は、なぜ日本人は韓国や中国にいつまで謝り続けるのでしょうか、ということ。謝ることは日本人同士は美徳ですが、海外へはほどほどにしないときりがないのに・・・北朝鮮まで図に乗って要求してきます。確かに韓国併合したときはいろいろ罪深いことをしています。でも併合時日本は未開な韓国のインフラを整備し、多大なお金をつぎ込んでいるのです。

 英国はインドに残酷なことをしているのに、謝罪しないし、米国も日本に原爆を落としたり、沖縄全土と、主要都市に無差別攻撃をしているのに、謝罪していません。ベトナム戦争で米国は枯葉剤など非人道的に攻撃して、負けたのに、一言も謝罪していません。日本だけがいつまで謝るのでしょうか。平成7年のことを例にあげます。日本がインフラで国を向上させたのに謝るとは情けないです。以下は講義の一部。 

 『平成7年(1995年)11月13日、江藤隆美総務庁長官が、日本は朝鮮半島植民地中、学校を数多く建てたり、道路や鉄道を整備したり、「良いこともした」と、ある記者団にオフレコで言ったことが韓国側に漏れ、韓国で大騒動になった。日本海の向こうで騒ぎになったので、村山内閣がうろたえ始めた。「江藤をクビにしなければ、日韓国交はないと思え」と脅され、村山首相は速やかに江藤をクビにした。』

 下の写真は今咲いている椿

 

荒獅子

 

極小輪の椿

 

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