これも丸谷元人さんのメールマガジンからコピペしました。
丸谷元人氏の気になる情報をそのままコピペします。
3月21日で1都3県の緊急事態宣言が解除。
ようやく待望のワクチン接種が始まり、
日本の未来にも明るい兆しが見えてきました。
しかし、そのワクチンが、
実は「人口削減」のためにつくられていたら、
あなたはどう思いますか?
2020年5月、アメリカの『ウォール・
ストリート・ジャーナル』 は、
驚きのニュースを報じました。
ある世界的富豪が、恐ろしい感染症を何年も
前から予測し、パンデミックに備えるよう
大統領などに忠告していた。
つまり、彼が人為的にコロナウイルスを
つくったのではないか…と。
実は、あのマイクロソフトの創業者である
ビル・ゲイツ氏に不可解な言動が
あったというのです。
そのなかで特に気になるのが、
とき折り発せられる
「人口削減」のキーワード。
彼は2010年にTEDという非営利団体の番組で、
こんなことを話しています。
「現在、世界の人口は68億人で、
今後90億人まで増えていく。
我々が新しいワクチン、医療、人間の生殖
に関する衛生サービスをうまく活用できれば、
人口を10〜15%減らすことができるだろう」。
さらに同年、イギリスの新聞社
『テレグラフ』は、彼が代表を務める財団が、
世界銀行やWHOなどと共同でGAVIという
組織に資金を提供していると報じました。
本組織の目的は、発展途上国の新生児に
ワクチンを接種すること。
本来であればワクチンは、
人間の命をつなぐものですよね。
しかし、彼はワクチン提供に賛同する一方で、
それを使って人口を減らせるとも考えています。
もちろん確たる証拠はないのですが、
それがコロナウイルスを利用した
人口削減計画だとしたら恐ろしいものです。
ただし、当然一経営者が
人口問題を解決するためだけに、
立ち上がるわけはありません。
なぜ彼はこんなにも精力的に
活動しているのでしょう?
私たちWFWPは久しぶりに我が家で留学生交流会を開催しました。雨の日でしたが、昨日はインドネシアの岐阜大学留学生を8人を招待。スタッフ12人で準備。交流会はいろいろな会場でこれまで何度も開いていますが、我が家では14年ぶり。前回の記事は、2007.3.1.
到着が予定より1時間遅れてお抹茶の接待は出来ませんでした。でも慌ただしい中で、有意義な時間を過ごしました。全員がイスラムですから、時間が来るとメッカに向い礼拝。礼拝の前には顔と手を洗い清めます。西北の方向に向かって・・・磁石を持ち、正確な方角を決めるようです。生理の日は祈ってはいけないようです。向こうではかなり厳しく警官のような人が監視しているようです。
留学生弁論大会にも出てほしいので、案内しました。でも大学院生は英語の授業のため日本語が不得手の人もあります。当然昨日は英語で日本家屋を説明する必要がありました。仏間などははじめて見るものらしく珍しいようでした。これまでは和服姿での御琴の演奏もありましたが、弾き手のMさんが一昨年他界されて、叶わぬことになりました。
インドネシア人の経営するお店で注文した四角いケーキでケーキカット。とてもボリュームがあり、二段になっています。平和の文字を入れてもらいました。食べるものはすべてハラール食。特別に作られています。最後は慌ただしく長屋門展示室を見ていただきました。
下準備中
平和の文字の入ったケーキにケーキカット
長屋門展示室で
ブロガーの風さまから「頂き物ですがどうぞ」と、山水画の画集が贈られてきました。タイトルは、「山水もとめてあっちこっち」。作者は石垣孝氏。正式には色彩も使用されていますので、彩墨山水画。会社定年後山水画を習い、5年前に自費出版されています。2004年から2年間上海まで留学して彩墨山水画を本格的に学ばれたようです。なかなかここまではもともと絵がうまくなければ、それに好きでないと出来ないです。対象は中国と日本国内。個展をされたりいろいろな美術団体に所属し、出品されているようです。オールカラーで紙も上質。多分贈呈されているでしょうから、余裕のある生活をされていると思います。名古屋市のウェルオン発行。129頁。
中国の桂林
中国の黄山
五箇山
岐阜の白川郷
以前何冊もの歌集をお贈り頂いた奈良の佐藤さんから今度は、短歌と写真のコラボレーションが送られてきました。写真は5枚。どうやら写真が趣味のご主人の撮影によるものらしいです。あとの三枚はインクが薄いためせっかくの短歌が読み取れないので、下に記します。
写真とお便りとともにまた色々頂いてしまい、感謝です。元気になれたら又奈良に行きたいです。お便りを見ると、お父上様は東大から農学博士を授与されておられます。父は京大から同じく農学博士。不思議なご縁を感じました。私の健康を気づかい、春日大社のお守りまで入っていました。こうふくあめ(興福飴)は、生姜味の入った飴でこれも初めて頂くおいしさ。とても大きな栗みかさ(どらやき) は、1枚で4人分ほどのボリュームがあります。奈良へ度々行きましたが、このようなお土産がお店にあることも気づきませんでした。大和茶の存在も知らず、恥入っています。正倉院ふきんは、ブログに載せる食べ物の写真の下敷きにします。高齢になって新しい友人ができることも嬉しいことです。
大極殿の朱をぬらして音もなく今朝あたたかく冬に入る雨
いつ来ても心やすまる春日野の大樹にからまる藤のいきほひ
自嘲をも支へとなして進まむか木立ゆるがす寒の松籟
「奈良万葉の旅百首」というの本が、月見草会員の前田さまから送られてきました。今はあまり歌を出されていません。奈良にお住まいで元郵便局長。35年くらい前、万葉にゆかりのあるところに案内して頂いたこともあります。左上の記念切手は、平成20年洞爺湖サミットのもの。郵便局長であられたこともあり、嬉しい記念切手です。前田様の記事の紹介が遅れました。
この本の監修は上野誠先生。先日(1/20) NHKEテレにも出演されています。著者は、奈良まほろばソムリエの会の方々。歌には、原文と書き下し文があり、遺跡の写真が出ていて、詳しい地図もあり、その解説者が異なるのです。60人くらいの方が原稿を書かれています。ご自分の得意とする個所を選ばれたようで、懇切丁寧に解説されています。なお、前田様は、NPO法人奈良まほろばソムリエの会会員です。創立10年を記念して出版されました。
これを読むとまだ未訪の地点が多いことに気付きました。奈良のあちこちに犬養孝氏の万葉歌碑が見られます。その第一号が甘樫丘のものらしいです。采女の袖吹きかへす明日香風・・・(1-51) ですが、この歌碑が建立されていたかおかげで、8階建てのホテル建設計画が白紙に戻ったそうです。京阪奈情報教育出版株式会社発行。287頁。
昨日は、岐阜版遊会と五藤雅哉木版画展を見るため、各務原市中央図書館へ。その後、八代三枝子個展を見に各務原市神置の画廊兼喫茶店に行きました。五藤さんは師範格のため別室でも特別展示されていました。お昼は、4人で浜木綿各務原店で。県庁前店には何度も行きましたが、ここははじめて。牡蠣の宮法炒めとチャーハンを注文。ボリュームがあり、美味しかったです。店内は多くの人が、椅子に座って待っていましたが、五藤さんが予約して下さっていたので、待たずに入れ、ラッキーでした。
八代さんはこれまで名古屋市や岐阜市の画廊でのグループ展にも出されていたのですが、岐阜の方が昨年で終了。今回初めての個展でした。一日80人もの来訪者があり、あちこち売約済の作品も。高校の同級生でした。趣味をここまで発展されているのがすごいです。店内にはお祝いの花がいっぱい。コーヒーを注文して、テーブルを見たら貝母の花が床しく飾られていました。我が家は年々衰弱し、一枝になってしまいました。展覧会はどちらも3/21まで。
夕食は京都から春休みで帰省している孫たちとの夕食。夫も工学部でしたので、話も弾みました。京大大学院の博士課程システム工学に進むらしいです。先週に続いて大人の話もできるのも嬉しいことでした。夕刻には予報通り雨。店の外は行列。予定より早く店に着き待たずにすみました。
案内状
頂いた作品
お昼はチャーハンと牡蠣の宮法炒め
貝母の生け花のある喫茶での八代さん個展
案内状
孫と娘たちとの夕食
昨日は五ヶ月ぶりに公民館の短歌会を開くことが出来ました。しかし、自転車は無理。生徒さんに送り迎えして頂きました。開始時間も30分遅らせ、10時から。ようやく発刊が遅れた「月見草」も配布することが出来ました。コロナ禍で歌会も開けない時期もあり、歌数も減少し、前年より薄くなりました。
久しぶりでしたので、皆さん楽しみにして下さっていました。それは、私も同じで何とか復帰できて、嬉しく思いました。提出歌が70首もあり、歌の添削だけで終わりました。当初の予定通り。万葉は中断することにしていました。
先日の英会話は行きはタクシー。それを聞き帰りは友人が乗せて下さいました。あの日は会計報告があり、どうしても出なければならなかったのです。次回には何とか歩けそう。昨年4月に会計を引き受けた時は、健康を損なわれるとは予想しなかったことでした。私事ですが、昨日は孫の東大卒業式でした。でもコロナ禍で式はなくて、写真撮影だけだったようです。
今月の一首の狸は信楽ではよく知られている陶製の狸のこと。
今月の一首
信楽はあの山脈の向こうかな今日も狸は空見てゐるか Hさん
「解体キングダム」というタイトルだけ聞くと、アニメみたいですが、昨夜のNHK総合TVは見逃せないものでした。思わず引き込まれました。岐阜県御嵩(みたけ) 町の国指定重要文化財の願興寺の解体作業の途中報告でした。我が家も20年ほど前、長屋門の解体工事をしたからです。我が家のものは町文化財で、昨夜の国指定のものとでは比較になりません。
440年ぶりに創立1200年以上のお寺を解体修理するのには、まだこれから5年もかかるそうです。お寺の本殿が武田信玄の焼き討ちに遭い、その後信玄が再建すると約束しながら、死去。村民が力を出し合い、再建。上の板をはがすと、戦国時代の墨書の落書きも残っていて、文化庁は保存すると言います。お寺の場所は中山道の街道筋。当時は東山道と言いました。戦国時代の旅は命がけで、落書きを書いた人たちも全国に及び、もうそこで死に、遺言のようなものもあります。小和田哲男氏によれば、そこで信長が軍議も開いたという記録もあるとか・・・天台宗の最澄が創建したもので、仏像が28体もあり、信玄の焼き討ちの時は村民が運び出して無事でした。
床板をはがすと、和同開珎の前の時代の古銭も挟まっていました。解体の途中で曳家という、日本古来の方法で2.5m移動する場面もあり、これも息をのみました。1㎝単位でゆっくり水平移動させるのです。日本では500年前からの技術だそうです。宮大工の棟梁は岐阜県の人です。
年末から咲き続けています
三重県のブロガーの風さまから届いたテータテート
島崎藤村の夜明け前の有名な、出だしの「木曽路はすべて山の中である」の語句は、ある古典の盗作という指摘をする人があり、私もつきあいのある作家でした。でも世の中に発表する前に亡くなられてしまいました。あまり有名でない作家なのでそのままになっています。
どういうきっかけで知り合ったかは記憶にないですし、作家の名前も忘れてしまいました。もう40年も前のことですから。蔵を探せば手紙もあるはずですが、膨大な中から探すのは容易なことではありません。
その出典が地方発行のものであっても先に書かれたものである限り、盗作です。でもそんなことは誰も知りません。あの作家は世の中にすでに発表したのか、その前に亡くなってしまったのか分かりません。私あての手紙には詳しく出典が書かれていました。徳川時代に書かれた物からでした。
三重県のブロガーの風様から頂いたクリスマスローズのえんじ色の方も開花しました。