田母神俊雄氏(元防衛庁幹部) のメルマガより
私がどうしても許せない。
そんな男がいる。
彼は、日本の“ある産業”を潰し、
日本の自立の夢を壊した。
あなたもこんな疑問を
持ったことがないだろうか?
「なぜ日本はいつまで経っても
国産の武器を作れないのか、持てないのか…」
その答えは簡単。
この男が潰したからである。
そして、日本は国産の武器を
作れなくなってしまったのだ。
この男は、元総理大臣である。
若い頃から自民党の中では
右派と見られ、保守と言われてきた。
戦時中は海軍にも身を置き、
自衛隊からも信頼を置かれていた人だ。
しかし、その事件は起きてしまった。
それは、戦後から
30年が経った1975年(昭和50)のこと。
人知れず、日本は悲願の日を迎えていた。
国産ジェット機のF-1が飛んだのだ。
戦後、GHQの圧力により、
武器を作れなかった日本だったが、
ついに主力武器の国産化により、
軍の自立、日本の自立に光が差した。
しかし、この男の鶴の一声により
全てが壊れることになる。
「F-2戦闘機からは日米共同でやろう」
誰もが耳を疑った。
これまで通常の2倍の経費をかけて
ライセンス国産の体制を維持してきたのに、
そうなれば意味がない。
さらに、この時の日本の技術力は相当なもので、
飛行旋回の技術、レーダーの技術ともに
世界トップレベルであった。
頼る必要などないのである。
しかし、どうすることもできなかった。
私はその手続きが決定されるやりとりを、
何も出来ずに横で見るしかできなかったのだ。
結果、共同開発とは名ばかり…
カネを負担するのは日本なのに、
仕事の4割はアメリカが請け負うという
不平等極まりないものだった。
平たく言えば、
散々カネを絞り取られた挙句、
日本の素晴らしい軍事技術は、
みなタダで持っていかれ、
おまけに仕事すらも
奪われたということである。
そして、今日に至るまで
日本は国産武器を作れず、
他国から武器を買うしか
なくなってしまったのだ。
この売国奴の正体は、、
中曾根康弘
これと別のサイトでこんな情報が見つかり、ますます黒い歴史が・・・
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写真はムラサキツユクサ