つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐南町文化祭出品 12

2016-10-29 | 文化

 今年も岐南町文化祭の短歌部門に出品しました。作品展示も、いつの間にか12年目。皆さんがいろいろ秋らしいグッズを持ち寄って下さり、今年も何とかクリヤーしました。例年ですと、土日展示ですが、今年は町制60周年記念ということで、金土日の3日展示となりました。新しい庁舎となり二年目。11/6には、任期満了のため町長選挙。現町長も含め、4人で戦われるようです。現町長は、内臓が悪く、人工透析で治療中で、立候補予定。これまでの任期中にも、入院という新聞記事もありました。町の選挙は地縁、血縁で選ばれるためか、選挙公報はありません。文化祭展示は30日まで。

 昨日も雨の中を老母の病院へ。いつものようにうつらうつらと寝ていました。 主治医のY先生に、「昼こんなに寝て、夜は寝ているのでしょうか」と聞きますと、「ちゃんと寝ておられます」という返事。リハビリと食事には目覚めるようです。

 

お隣のコーナー 水墨画の達磨太子 Hさん

水彩画コーナー Yさん

 

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松井先生追悼食事会 6

2016-10-28 | わが家

 今年も恒例の松井先生追悼食事会に10人が集まりました。場所はいつもの各務原市産業文化会館8階展望レストラン「ぶるうすかい」。松井先生の教え子たちもお互いに高齢になり、年一回無事を確かめる形になりました。5組の夫婦がいつまでも健在であるよう祈りたいです。5人の男性は、元教授で工学博士ばかり。話のレベルも高く、そうしようとする気概もありました。時節柄MRJの話題も・・・

 各務原市航空宇宙科学博物館には、松井先生の恩師の名前はありましたが、ゼロ戦開拓の頃にはまだお若くて、お名前が挙げられていないのは残念です。東大開発チームの一員であったのに・・・

 各務原市でもうすぐ航空ショーが開かれ、全国から航空ファンが集まります。ブルーインパルスを見たいとは思いますが、駐車場も簡単に見つからないということで、とても無理。毎年10月末の日曜日に決められているらしく、今年は、10/30. (追記;53回目の今年の航空自衛隊岐阜基地航空祭は、ブルーインパルスは飛ばなくて、F15Jと、米国のF16の飛行でした)

 昨日も母を見舞いました。ここ数日驚異的な回復力で、鼻腔栄養は不要になり、経口食になりました。転院の必要もなくて、施設に帰る許可がおりています。主治医のY先生も、「こんなにスピーディな回復は前例がないので、施設を引き上げることを言うべきでなかったですね」とも・・・もう一度受け入れ先を探します。以前の施設は満室。これもY先生がリハビリ指示のせいかと思います。医師により高齢者はリハビリ指示を出さないケースあるとか・・・母の場合は体のリハビリの他に、言語聴覚士が毎日、あいうえおからの発音練習もしてくれています。呑み込み指導もされていました。

 元看護婦の友人に聞くと、家族が毎日見舞うと、「これは放っておけない患者だ」、ということで治療にも熱が入るとか・・・

 

好天気のため名古屋駅のツインタワーも見えました

左上は豆乳鍋

 メインのビーフ

 

函館みやげのがごめ昆布のしょうゆ煎餅

北海道みやげのひろびろ (六花亭)

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公民館短歌会 124

2016-10-22 | 短歌

 10月とは思えない暖かさの中で、昨日も短歌会を開きました。10月末の文化祭出品の準備もあり、あわただしい2時間でした。万葉集は、前回につづく13番の歌。香具山、耳成山、畝傍山の大和三山は有名ですから、その写真を回覧。折があれば旅行の中に入れて・・・と勧めました。

 文化祭出品も10年を越えたのですが、まだ入会して二か月目のHさんは緊張しすぎて、出品を拒むと言われ困りました。色紙か短冊に毛筆で書くことが原則、ということを聞いて怯えてしまわれました。無理じいもいけないので、私が代筆することになりました。文化祭のため、一年に一度だけ硯と筆を出してきます。書道も30年前に止めてしまいました。書を習っていた頃、篆刻も専門家に習っていたこともあり、雅印は、たくさんあります。篆刻は、かなり眼を使いますので眼精疲労がひどくなり中止。神経を眼に集中するからです。なかなか継続は難しいです。 作品の仕上げには、雅印は必需品です。

今月の一首

篝火の火の粉をあびて鵜飼舟たづなさばきに鵜の羽根ひかる         Fさん

 昨日の午後二時過ぎ、鳥取に震度6弱M6.6の地震が発生。岐阜は震度2 。午前中は歌会で、午後は放送大学の国語セミナーでふれあい福寿会館の7階にいました。船が揺れいてるような感覚。スマホで確認すると、すぐ震源地もその時点で分かりました。今日の新聞では、震度1以上の有感地震が100回以上もあるようですが、幸い死者はなし。でもこれから寒くなるのに、余震もあるので家におられないのはお気の毒です。お見舞い申し上げます。

 

 いつ転院になってもいいよう手続きだけして下さいとM病院から言われていたので、昨日は、母を見舞う前に、A病院に初めて行きました。もともとは産婆さんで、院長は3代目。開業は1928年。M病院に劣らぬ規模です。

 

我が家の豆柿と柘榴

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心理学の風景としての短歌

2016-10-21 | 学校

 久しぶりに放送大学小山田先生の心理学講座です。昨日のテーマは、心理学を短歌の観点から分析されたもの。歌を詠み、救われたという話は二年前の10月にされましたが、今度は、直接古今和歌集を読むというもの。歌人には思いもかけない見方です。古今和歌集の仮名序と、真名序の心理学的効果について述べられました。仮名序には、短歌の動機づけの過程が記述してあるということです。

 また、鴨長明の「無名抄」にも、短歌表現の仕方は示唆に富むと書かれています。叙景歌と抒情歌についても、一見自然の情景を詠んだ叙景歌にも、すぐれた歌には「言葉に現れぬ余情、姿に見えぬ気配」が感じられるものであるということなど。宮柊二の歌集と、藤田嗣治の戦争画にも触れられ、講義は終わりました。藤田嗣治展は今年みたところです。

 

 帰宅後、いつものようにM病院に行くと、リハビリが始まるところでした。車椅子に乗せてもらい院内散歩。8階の見晴らしはよいので、撮影。金華山と木曽川が一望に見晴らせます。リハビリ士のOさんは自分より重い母を、車いすにベッドから抱いて乗せてくれて、手足を動かしたり、景色の良い廊下のつきあたりに移動してくれます。中日のファンと言うと、母とドラゴンズの選手の話をしてくれたりして優しい男性です。私は中日の選手は分かりません。別の女性のリハビリ士からは、嚥下の練習。これで少し飲み込めるようになりました。 

 

 

 

病院8階より見た木曽川鉄橋 国道22号線

名鉄木曽川鉄橋

左の高い山は金華山

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海難 1890

2016-10-20 | 映画・TV・演劇

 前から見たかった映画、「海難1890」をようやく昨日鑑賞。チャンスを逃していたのですが、DVDをWFWPの事務所で見ることができました。毎月出版している」ハーストーリー」の読み合わせをしています。今月はその本の7月号に紹介されている映画の鑑賞日。

 期待通り感動的な作品でした。映画の中で中村(山田) 寅次郎が紹介されていないと聞いていて、不満な気持ちを抱いていたのですが、海難から95年後の1985年のフセインの暴挙で混乱している中を、トルコの飛行機に日本人が救われたところも、エトゥールル号の海難に次ぐ山場。これ以上話題を入れない方がすっきりしていてよかったです。

 後半部分で、イランで無差別攻撃が始まるというのに、日本政府からも自衛隊からも飛行機が迎えに来ないという深刻な場面があります。これは日本政府が冷たいということでなく、法律があるので助けに行けないのです。ここが重要と思いました。自衛隊法とか憲法を改正すれば助けにいけるのです。いたずらに憲法改正を反対しないことです。つまり、サヨク的新聞の考えを鵜呑みにしないことですね。 

 帰宅後昨日も母のいるM病院に直行。隣のベッドの90歳のおばあさまと同じように寝ていました。 同室は老女ばかりで、大変静かでした。

 

 

ハーストーリー7月号

 

 

頂き物の川上屋のくりきんとん

頂き物の阿闍梨餅

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南雲吉則さんの講演会

2016-10-18 | 文化

 前から誘われていた南雲吉則さんの講演会に、昨日は出かけました。著書も多いし、テレビにもよくでられている有名人と言うのに知りませんでした。アンチエイジングの実践者らしく、とても60歳には見えません。まずスリム。そして、ヤングのようなヘアスタイル。ご自分の説を実行されていて、まず、白い5悪を摂取しないこと。1.白米 2.パン 3.麺類 4.砂糖 5.ポテト。そして、果物の皮はむかず、皮ごと摂取。果物の皮にはポリフェノールやクエン酸・ペプチドが含まれるからです。ゴボウからはいろいろバリエーションが広がるみたいです。油についてはサラダオイルは捨てなさいということ。エゴマオイルを飲まれています。料理の温度により、ラード、ココナツオイル、オリーブオイルを使い分けます。

 専門は乳腺。乳癌でなくした乳房の再生手術をされる嚆矢であったようで、その病院も東京にあります。全国から患者が来るようです。メタボにならないよう、癌にならないよう、テレビでも本でも訴えられているようです。

 4代続く医師の家系に出生。先祖を崇拝しておられます。両親のおかげで自分の存在があるので、これで2人。その前は祖父母で4人。こうして数えると、1000年前の先祖は1兆人になるのです。そういう話題からスタートしました。

 帰宅後母の病院に直行。うつらうつらとしていました。高齢のため、胃ろうはしないことに決定。病状は安定しているので、転院の話も出ました。M病院は、緊急指定病院のため空きベッドが常に必要なのです。規約では60日はおられるのですが、転院先のA病院も満室なので、今から予約が必要です。M病院は、我が家から西へ1kmほどで、A病院は東へ1kmほど。大病院が近いので助かります。

 下は、午前中に英会話があり、その教材の一つ、ボブディランの「風に吹かれて」。でもあまりノーベル文学賞ほしくなさそうです。スウェーデン・アカデミーに連絡もないようで・・・

 

「左岸」玄関のアンスリューム

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左岸 2

2016-10-16 | 文化

 放送大学の友人の山下さんが岐阜市展に日本画を出品され、見る約束をしていたこともあり、昨日はOさんと出かけました。帰りには、7年ぶりに「左岸」にて美味しいコーヒーとケーキを味わいました。昨年離れ座敷を改築され、イメージチェンジ。前もよかったのですが、更にグレードアップしていました。130年前の建物に、調度品も昔のものを取り入れられ、よくマッチしていました。3度目ですが、最初に行ったのは、2009.5.26. 店に入ると、我が家の離れ座敷に似ていて癒されました。周り廊下もそっくり。我が家も戦前のガラス戸でしたが、サッシに変えたため風情がなくなりました。天井と廊下の資材は同じでしたが・・・ 

 日本画の彼は、洋画もたしなまれます。撮影禁止ですが、本人の許可を得たので大丈夫でした。緑を基調とされていて、テーマは「清清」。さすがに年季が入っているだけに堂々としています。解説も楽しかったです。書の部には、Oさんの従姉の柴間さんの作品も見られました。彼女に撮影許可の電話をしていただき、写すことが出来ました。篆書の作品です。

 帰宅後、母のいるM病院に向かいました。聞いていたように、あの騒音の人から逃れて別病棟に移っていました。何度も部屋を移動して、それもカーテンで遮ってあるので、どなたと同室かは分かりません。父が入院した30年前とは大変な違いです。あのころは全部オープンになっていて、同室の人たちと楽しく交流していたのに・・・病室は変わっても、昨日も別の部屋から、「タスケテ」という声も聞こえたり、病院は大変なところです。

 

山下さんの日本画

柴間さんの篆書 曠遇

もと茶室の庭にあった蹲

息子さんデザインの入り口照明

和室からの改装

シフォンケーキ

一枚板の杉の戸の絵

駐車場の黒猫も絵になっていました

 岐阜のまちなか再発見フリーマガジンaun あうんより

 

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彩雲 12

2016-10-14 | 短歌

 今期も主催者の田中さんから、彩雲41号2016 summerが贈られてきました。夏に届いていたのですが、いろいろあり、紹介が秋になりました。美術館紹介は、箱根彫刻の森美術館。10年ほど前に行きました。ひとつひとつの作品が懐かしいです。その執筆者もまだ行っておられない宮城県立美術館で佐藤忠良記念館にも入りましたし、朝倉彫塑館にも東京にいた25年前に行きました。

主催者田中さんの作品 

店頭に降る陽匂ひぬ海の香もランボウ詩集新訳また買ふ

いかならむ経緯ありしや着ける荷に花なく花の木箱の匂ふ

辿りたる思惟失なへば冥きよりラフマニロフの律浮かびくる

 

 母は、相変わらずの状況です。同じ病屋に声高くものをいう人が入室。ミトンをはめた手を差し出し、私にまで「おばさん、これ外して」と何度も叫びます。これにもかかわらず母はよく寝ているのですが・・・明日からまた部屋替えで、リハビリ病棟に移ります。その老女は看護婦さんに体位を替えてもらう間も、「イタイ・イタイ」と大声で叫んでいました。いろいろな人がいます。

 昨夜は、いわゆる十三夜で本来なら美しい月のはずなのですが、すっかり雲にかかってしまいました。でも何とか雲の切れ目から少しのぞかせました。

最下段は、友人のフランスからのおみやげ。 

 

 

 

十三夜

パリからのおみやげ

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根尾谷断層

2016-10-11 | 岐阜県

 一昨日は、放送大学岐阜学習センターか開始されて25周年記念のイベントがあり、小池戸先生解説の、根尾谷断層見学に出かけました。15年前に行きましたが、指導者のあるなしで、こんなに違うものかと目からうろこのツアーでした。まず行きのバスの中では、大型スーパーを指さし、あれは元は紡績工場であったこと。工場は住宅地に向かない場所に建てられたこと。それは、河川敷。学校なども元はそういう場所が多いらしいです。

 まず、世界的に知られる断層写真の撮影地の高い丘の地点へ。撮影者は帝大教授の小藤氏。下の資料の写真です。これは世界中の地震学者が学会誌で見ている有名なもの。続いて地震断層観察館へ。ここは前に入りましたが、説明が今回はポイントを抑えておられ、学ぶことも多かったです。自分たちで勝手に行ったものとは違います。観察館にある実際の断層の遺構は、世界でここしか見られなくて、世界の地震学者がこの山深い岐阜の地に来ます。個人所有地は掘っても保存が出来ないので、写真を撮って埋め戻されますが、たまたま公有地であったため、永久保存が可能となりました。国指定の特別天然記念物です。

 根尾谷の断層は、濃尾地震がおきた明治24年10月28日AM6:37に発生。7000人ほどの犠牲者があり、マグニチュート8でした。その時6mの断層が出来ました。阪神大震災の断層は2m。どんなに巨大か分かります。マグニチュードの計算方法は断層の面積が関係するようです。80kmX80kmの断層でした。阪神震災はうんと浅いものでした。淡路島にある阪神震災記念館でもそれは確認できました。

 横揺れの証拠の茶畑も、国指定の天然記念物。個人の所有ですが、大切に茶畑は115年管理されていました。直線の茶畑が地震以来うねっています。なお、ここからごく近い所に樹齢1000年と言われる薄墨桜があり、これも国指定の天然記念物。

 帰りのバスの中では、日本で無尽蔵にこれからも発掘できる鉱物は、石灰岩だけということとか、木曽川水系の水は、長良川水系のものより美味しいこととか興味深い話を聞きました。美味しい理由は、花崗岩の中を流れるからとか・・・幸いわが町は木曽川水系から取水。ほっとしました。

 先生は時間励行の方らしく、予定通り5時には帰宅できました。あわてて夕食をすませ、M病院へ。日曜日のため見舞客は多めです。土曜日は2時に行くと、あのカードを貰うための行列です。昨日は祭日でしたが、時間が遅くて少な目でした。 娘と病院でハチ合わせ。リハビリの終わった後でした。

 

上の写真と同じ地点から

左半分のズーム

世界で一か所しかない断層の断面 

うねった茶畑

横ずれ断層の説明板

断層の真上にあった地蔵尊 光背が割れて落ちたため修理

 

 

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54年ぶりの入院

2016-10-09 | わが家

 94歳の母が54年ぶりで、先日入院。それも前と同じM病院です。40歳の時の虫垂炎以来。そのころ病棟は一棟きりでしたが、100倍くらいの規模になり、広大すぎて見舞客も迷います。母は脳梗塞で飲み込めないので食事は点滴。先ごろ入院していた友人の話によると、食事のメニューも選べるそうで、味加減も聞きに来られるとか・・・隔世の感がします。

 グループホームで元気にしていたのですが、年には争えず、こういう事態になりました。いつの検診時も異常なし。太目が気になるので主治医に聞くと、「年が年だから食べたいものを食べさせて下さい」という返事。安心していたのですが、やはり年には勝てず・・・でも認知症はないので、孫や嫁やひ孫の見舞いにも喜んでいます。昨日も遠路大学生のひ孫が来てくれました。車椅子に乗せてもらい、院内散歩をするリハビリに入っています。

 完全看護のため、一日一度顔を出す程度です。面会時間は決められているし、花などの見舞いも禁止。花粉が飛ぶからと・・・これも昔と大きく違います。見舞う人は受付で大きなカードを貰い、首から下げなければなりません。昨今施設などで殺人事件があったり物騒になりましたので、これも必要かと思います。

 問題は緊急病院に指定されているため、次から次へと急患が運びこまれ、いつ転院させれられるかわからないこと。3日前は、同室の患者さんが手術後らしく、イタイイタイとうめいていました。部屋も三度も移動しているし・・・

 

 

妹からの見舞い

頂き物のいちじくジャム

頂き物の栗の渋皮煮とフォンダンショコラ

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