そしてある日、インドネシアの人々が空を見上げると
空から無数の人影が降りて来ました。
それこそが白い落下傘を身にまとった黄色人種である、無数の日本軍兵士たち。
日本軍部隊を見た住民は、
「まさに伝説の白い布をまとった黄色い救世主だ」 と狂喜しました。
そしてインドネシアに降り立った日本軍は、オランダ軍をわずか9日で撃破。
インドネシアを350年もの間続いたオランダ軍の支配から解放したのです。
「絶対に勝てない相手」だった白人を見る間に駆逐した日本軍は、
インドネシア中で熱狂的に歓迎されました。
しかし、事はそう上手く運ぶわけではありません...
実は中には、日本軍が来たことを
快く思わないインドネシア人がいたのも事実でした。
「予言なんて信じられる訳が無い」
「支配者が変わっただけで、
俺たちは一生奴隷のような生活を送るだけだ」
と、不安げな声もありました...
しかし日本は、インドネシアにおいて学校を作り、
わずか3年半もの間で、10万人もの行政官を育成し
それまでオランダ語を強要されてきた住民たちに
インドネシア語を使わせ、自国の歴史を学ぶよう命じました。
つまりインドネシア人に、民族の誇りと自信を持つ事が
独立への第一歩であると教育したのです。
さらに、オランダ軍が禁止していた軍事訓練を施し、
インドネシアを防衛するための軍隊まで結成。
これは現地住民に武力を与える行為ですが、
日本はインドネシアを独立させるために必要な協力を惜しみませんでした。
そして、1945年8月15日。
大東亜戦争に敗れた日本軍は、インドネシアから撤退する事となります。
その隙を見て、オランダ軍がインドネシアを取り戻そうと再び進軍...
「喜びも束の間、インドネシアはまたもや、白人たちの植民地になってしまうのか...」
しかし、日本軍が去ったインドネシアは
かつてのただ従うだけの貧弱な国家とは全く違いました。
日本軍に育て上げられたインドネシアの軍隊が
オランダ軍に立ち向かっていったのです。
さらに、先頭に立っていたのは敗戦を迎えたはずの日本兵たち。
その数なんと、2,000人。
なんと彼らはインドネシア人達に、
「我々は日本には帰らない。
我々にはこのインドネシアの独立を果たす義務と責任がある。」と言い、
残った弾薬をかき集めて自分達が軍事訓練をした
インドネシア人達に渡し、共に戦ったのです。
それを見たインドネシア人の群衆も
「ムルデカ(インドネシア語で独立の意味)」を合言葉に勇気を振り絞り、
共に再上陸したオランダ軍に立ち向かいました。
日本は確かに大東亜戦争で敗けました。
しかし、戦争に敗れてもなお
「アジアを解放する」という理念だけは生き残り、
インドネシアの独立に貢献していたのです。
そして実は、今回のように日本が独立に関与したのは
インドネシアだけに限った事ではありません。
インド、フィリピン、香港、シンガポール、ベトナム、
ラオス、カンボジア、ビルマ、ニューギニア...などなど
日本はアジアの多くの国の独立に関与し、
数百年もの間、肌の色が違うがために辱められ、
惨めな境遇を強いられてきた民たちを救ってきました。
もし日本軍の活躍がなければ、世界は今でも白人によって支配され、
これだけ多くの独立国は誕生していなかったかもしれません。
それまで何世紀と当たり前だった「人種差別の歴史」に
終止符を打ったのが日本軍だったのです。
そう考えれば、日本は人類史を書き換えるほどの
偉業を成し遂げたと言えるのではないでしょうか?
しかし、今の日本では毎年、終戦の日になると、
戦没者の「英霊」に対して祈りを捧げるどころか、周りの国に配慮するという言い訳で首相が靖国神社への参拝へも行かず、
テレビ番組やネットニュースでも、「日本はいかに悪い国だったのか」「いかに愚策を投じていたのか」を終戦の月になるたびに繰り返し訴えています。
写真は笠松町歴史未来館の笠松隕石 (1938.3.31に町内に落下)
