まず、驚いたのは昭和初期(7年)の観光案内書。今日のJTBに相当する機関(鉄道省)が発行した冊子ですが、現在とかなり違います。
長良川鵜飼は今と同じレベルの扱いですが、飛騨高山のことは殆ど記載されていません。上高地への途中ルートに入るだけ、という扱いです。それもそのはず、まだ高山線が開通されていなかったのです。(昭和9年開通)
当時は、長良川鵜飼、養老の滝、木曽川の日本ライン下りと、恵那峡舟遊びなどがメーンでした。この中で恵那峡のことは、県外の人はご存知ないかもしれませんね。大井ダムも・・・
この4ヶ所に行くための、東京、大阪、京都、名古屋からの三等運賃、二等運賃(今のグリーン車?)、列車ダイヤなど記載されています。
養老の滝の歴史も詳しく書かれ、日本ラインの美しさも誉め讃えています。長良川の鵜飼を見るための、岐阜駅から長良川畔までの市電の運賃は6銭。タクシー5人乗りは70銭でした。金華山のふもとにある名和昆虫研究所も紹介されています。
木曽川下りを、「日本ライン下り」と命名したのは、日本風景論を書いた志賀重昴(しげたか)とも、オランダのデレーケとも言われています。
昭和8年、外国人誘致のための国際観光政策が推進され、市営長良川ホテルが開業。私たちの若い頃は、コーヒーを飲むためだけでも行きたいという人もありました。しかし、時代の流れか、今は廃業しています。外観も赤煉瓦で素晴らしかったので、歴史的建造物として残すべきでした。昭和10年生まれの従姉は、ここで挙式しました。
なお、昭和初期、顧みられることはなかった白川郷は、今や世界遺産となり、フランスのミシュランガイドブックでの評価は三ツ星です。