不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜の観光の歴史

2010-10-31 | 岐阜県
 東海学院大学の公開講座があり、岐阜の観光の歴史を学びました。テーマは、観光岐阜の誕生「ガイドブックに描かれた飛山濃水」。講師は当大学の大平晃久教授。
 まず、驚いたのは昭和初期(7年)の観光案内書。今日のJTBに相当する機関(鉄道省)が発行した冊子ですが、現在とかなり違います。
 長良川鵜飼は今と同じレベルの扱いですが、飛騨高山のことは殆ど記載されていません。上高地への途中ルートに入るだけ、という扱いです。それもそのはず、まだ高山線が開通されていなかったのです。(昭和9年開通)

 当時は、長良川鵜飼、養老の滝、木曽川の日本ライン下りと、恵那峡舟遊びなどがメーンでした。この中で恵那峡のことは、県外の人はご存知ないかもしれませんね。大井ダムも・・・
 この4ヶ所に行くための、東京、大阪、京都、名古屋からの三等運賃、二等運賃(今のグリーン車?)、列車ダイヤなど記載されています。

 養老の滝の歴史も詳しく書かれ、日本ラインの美しさも誉め讃えています。長良川の鵜飼を見るための、岐阜駅から長良川畔までの市電の運賃は6銭。タクシー5人乗りは70銭でした。金華山のふもとにある名和昆虫研究所も紹介されています。
 
 木曽川下りを、「日本ライン下り」と命名したのは、日本風景論を書いた志賀重昴(しげたか)とも、オランダのデレーケとも言われています。

 昭和8年、外国人誘致のための国際観光政策が推進され、市営長良川ホテルが開業。私たちの若い頃は、コーヒーを飲むためだけでも行きたいという人もありました。しかし、時代の流れか、今は廃業しています。外観も赤煉瓦で素晴らしかったので、歴史的建造物として残すべきでした。昭和10年生まれの従姉は、ここで挙式しました。

なお、昭和初期、顧みられることはなかった白川郷は、今や世界遺産となり、フランスのミシュランガイドブックでの評価は三ツ星です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町文化祭 7

2010-10-30 | 文化
 今年も町文化祭に短歌教室から、歌の作品を出品しました。旅の記事を優先しましたので、もう終了しています。
 年一度、他のグループの活動も見られ刺激を受けます。高齢者もこんな場で高めあうのもよいことだと思います。自己満足と言われようとも・・・

 下の写真は、毎月の町広報に3人の短歌が掲載されるのでそのページを展示。表紙は長刀の一場面。2012年の岐阜(清流)国体に、町体育館は長刀の会場になります。

 10月も明日までですが、2010年10月は、金曜日も、土曜日も、日曜日も5回あります。このような年は823年ぶりのことらしいです。中国の風水によると、このことを8人の人に話すと、4日以内にお金が入るそうです。(真偽のほどは知りません)

       
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サロベツ原野

2010-10-29 | 国内旅行
 利尻島から再びフェリーに2時間乗り、稚内に到着。高速バスで、新千歳空港に向かい、帰途につきました。上の写真は、日本海オロロンラインで・・・道路の両側には、サロベツ原野が拡がっています。電柱もありません。はるか沖合いには、かすかに利尻岳が見えています。
 しばらく走ると、天売島、焼尻島が見えてきます。天売島にはオロロン鳥がたくさん生息していましたが、最近は激減。絶滅危惧種になっています。お腹が白くて背は黒いところがペンギンに似ています。名前は鳴き声がオロロンと聞こえることから・・・

 サロベツ原野は、もともと湿地帯で、泥炭地であることから耕作不能のため、手つかずの広大な原野となりました。観光道路が出来る前は、雨が降ると、隣家に行くのも船だったそうです。
 今は観光のメッカの北海道も、江戸時代は大変苦労が多かったそうです。暖房のない時代で、松前藩では、凍死者も出たり、魚介類は豊富でも野菜が摂れなかったため、病気になったりして・・・

 途中、道の駅ではアイスクリームも昔の旅を思い出し買ってみました。昔は「雪印」オンリーでしたのに、今はありません。

 新千歳空港には、アイヌ衣装や工芸品が展示してあるコーナーもあり、昔訪ねた白老のアイヌを思い出しました。
 最下段の写真は、新千歳空港。ここの壁面にドイツで見た、あの重要な物理の公式が書いてありました。E=mc₂

追記;今年は予告がすっかり遅れましたが、外国人女性弁論大会のお知らせをします。留学生ばかりでなく一般の女性も出場しますので、よろしくお願いします。
  日時 10月31日(日) 午後一時~四時
  場所 大垣市ソフトピアジャパン 12階 (500円 学生無料)

 
アイヌ工芸品               アイスクリーム


新千歳空港
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利尻島

2010-10-28 | 国内旅行
 礼文島よりフェリーに40分乗ると、利尻島。(写真上) 二つの島は近いですが、島の歴史は全然違います。礼文島は海底が隆起しただけですが、利尻島は海底火山の爆発によって出来ました。万年雪を抱く火山である利尻岳、別名利尻富士(1721m)の雪解け水が、何十年も火山土に濾過され、湧き水となって登山者を癒やします。その湧き水がリシリア。(写真下左) 天然ケイ素(Si)が世界的にも高レベルです。何となくまろやかな味がします。日本名水百選のひとつ。利尻岳も日本百名山のひとつです。

 写真下右は、今はサハリンですが、戦前は、日本の領土だった樺太。この地図は昭和14年のもの。この地に住む人の悲願を感じました。ホテルの床の間に飾ってあるのです。北方領土問題は、日本の首相が次々に変わるため進展しません。あの世の間宮林蔵も嘆いていることでしょう。命をかけて樺太を探検し、海峡を発見したのに・・・世界地図で唯一日本人の名がつく、間宮海峡を・・・
 ロシア人も樺太を探検し、やはり海峡を見つけましたが、間宮の方が一足早く、大変悔しがったそうです。

 石碑は、利尻島出身の作詞家、時雨音羽の「波乗り越えて」の歌詞。この沓形岬の波の音をイメージして歌が作られました。岬には、この地点からの各方面へのキロ数が書かれている表示があります。

 最下段の写真は、島のホテルの朝食。アツアツのポテトコロッケが美味しかったです。右上は昆布ごはん。烏賊の塩辛、茎わかめの柔らか煮もあります。
 この日の昼食は、ホタテづくしのお弁当でした。フライ、天ぷら、照り焼き、串焼きなどなど・・・

 
リシリア                戦前の樺太地図

 
時雨音羽の歌詞碑         各方面へのキロ数            

    
    ホテルの朝食(バイキング)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

礼文島

2010-10-27 | 国内旅行
 ようやく長年の念願叶い、礼文島に渡りました。稚内からフェリーで1時間40分ほど。冬に近づくと波が高くなり、2時間かかります。
 礼文島の地名を最初に知ったのは小学校の教科書で・・・金環日食のことが感動的に書かれていました。もう56年も経つのに何故か記憶しています。上の写真は、昭和23年に、この地で皆既日食が観測されたことを示す記念碑。

 スコトン岬は礼文島最北端の地。沖合いに無人島が浮かびます。(写真には写っていません) 宗谷海峡の荒波が岩を洗っています。岬はどこも強風でした。
 残り少なかったのですが、何とか高山植物も見られました。エゾカワラナデシコやレブンハナシノブなど・・・
 昼食は、漁業組合で・・・ごはんに載せて、ウニいくら丼にして頂きました。


スコトン岬


     
     高山植物

     
     魚づくしの昼食
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内から礼文島に

2010-10-26 | 国内旅行
 15年ぶりに北海道に行ってきました。学生時代に稚内まで行き、礼文・利尻に渡ろうとしたら、海が荒れて欠航。二日待っても船は出ず、3人ともすごすごと引き返しました。47年も経ちあのままでは諦めがつかず、今回は初めて紅葉の時期に出かけることにしました。まず、中部国際空港から新千歳空港へ・・・あの時は青函連絡船でした。

 札幌からは高速道路で、稚内へ・・・途中白樺の黄色い葉と白い幹とのコントラストが綺麗で、一応撮ったのですが、バスのスピードが速く、撮影失敗。紅葉をupします。これは、道の駅近くで・・・北海道の木は殆ど黄葉で、このような紅葉は少ないです。

 日本最北端の宗谷岬に立つ塔は、形は変わりましたがその位置にありました。あの時は片道7日でしたが、今回は一日で・・・写真は、高速バスの中で出たいくら石狩鮨弁当。下左は、ホテルの食事の中で珍しかった蛸のしゃぶしゃぶ。右下に少し見えるのは、ホタテご飯。右上の四角い皿は毛蟹。

 波は高く、今も欠航はあるそうです。この日の波の高さは3m。宗谷海峡と日本海がせめぎあう地点は、この大型フェリーも相当揺れました。

追記;昨日、札幌のガイドは、「明日、北海道は初雪というニュースが出ます」と言うのです。その通り、今朝の札幌は初雪。地元の人は、一週間くらい前から飛ぶ雪虫で知っているのです。
 
道の駅の紅葉

 
蛸のしゃぶしゃぶ               礼文島に向かうフェリー
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペシャル・セミナー 6

2010-10-22 | Weblog

 2人の講師のお話を聞きました。前半は精神的に病む人を、コラージュセラピーにより救済しておられる水谷先生。(写真上) 後半は、向田先生は、死後霊界はあるという話でした。(写真下)

 向田先生は、ある新聞に300人ほどの伝記を連載しておられます。ある読者が日野原重明先生(99歳)をリクエストしたところ、亡くなった人しか書かない、でも候補者に入っているということでした。
 去年書かれたのは、水泳の古橋広之進選手と、平山郁夫画伯でした。

 偉人になる人は必ず途中に挫折があり、それをクリヤーする人に限られるそうです。それを乗り越えることにより超人的なパワーが生まれるそうです。平山画伯の場合は、被爆体験でした。挫折に自暴自棄になる人は、それでおしまいだそうです。

 先生は霊界の存在を信ずる人とそうでない人の人生は、全く異なると言われました。立花隆が臨死体験をリポートしています。私もそれは読んだことがあります。
 川津祐介が自著で3度の臨死体験を書いています。一度目は19歳で自殺未遂をした時。二度目は、34歳で撮影中からのプールに頭から落下。頭蓋骨陥没の時。3度目は、59歳の時の心臓発作。海外からも報告もあり、いずれも共通しているのは、長いトンネルがあり、光の束があり、その背後に太陽があることです。みなそれを神と直感するそうです。
 また、走馬灯のように生前の行為が映されるそうです。

 立花氏もそれを調べ、原稿を書いたのに、NHKはその部分だけ勝手にカットしました。そのことに不満で彼は後に本に発表しました。マスコミは真実を伝えないのですね。
 霊界があることは事実らしいですから、いい加減な生き方は出来ません。最後に一夫一婦を貫くべきだと結ばれました。山城新伍のように、奥さんを泣かした人は孤独死でしたし、悪い霊界にいることでしょう。

        

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平生釟三郎

2010-10-21 | 岐阜県
 昨日は、東海学院大学の公開講座で岐阜県生まれの偉人、平生釟三郎(ひらおはちさぶろう 1866-1945)の話を聞きました。県内でもあまり知られていない偉大な人の業績を、是非広めたいものです。東海学院大学は来年創立30年を迎えます。(短大部の創立は50年前) 古くからあったこの市民向けの講座を聞いた人も限りなく多いです。

 平生釟三郎は、甲南大学を創設したことからその大学には資料があり、自筆の石碑(常ニ備ヘヨ)や、胸像があります。出身地の岐阜市加納にある、加納小学校には彼の歌の軸が残されています。

正しくは何を怖れん人の道強くほがらか進め諸人

 武門に生まれ、損害保険業界の近代化に貢献。経済人としても活躍し、社会事業家としても、甲南病院を創立。これは欧州赴任中、ドイツの病院のケアがあまりにも素晴らしくて、これを日本に持ち込みたかったのです。奥様を日本の医者の不注意で亡くし、再婚した次の奥様も、医者の失敗により又出産後、亡くしてしまったことによります。当時医者の中には、泥酔して診察する人もいたとか・・・

 母校である一橋大学で教鞭をとり、個性を尊重する教育理念を掲げ、これを実現するために私財を投じて、甲南幼稚園を創立。その後は、小学校、中学、高校、大学と創設してゆきました。
 なお、広田弘毅内閣の時、文部大臣でした。昭和天皇にご進講の折は、天皇との会話の中で、「アンタ・・・」などと呼び、語り草になったようです。

 下の写真は、帰途友達に連れて行ってもらった喫茶店。客の姿はありませんが、とても美味しいコーヒーでした。モーニングの時は込んでいるそうです。もとイタリア料理店らしい雰囲気でした。

     
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の栗餅

2010-10-20 | わが家
 夫が京都で買ったお菓子の一つです。甘党なのでいつもお菓子が多いですが、この日は奈良のお寿司(17日にup)も・・・これは皮の部分がもち米を軟らかく蒸かしたものになっていて、中身は栗餡。秋冬限定です。

       
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤブラン

2010-10-19 | ガーデニング
 ヤブラン(藪蘭)はどこにでもあり、珍しくもないのですが、我家のものは日陰にあり、撮りにくいのです。これは先日東海学院大学前で・・・
 夏から秋にかけ、あまり花のない時期に、切花にしたりて重宝しています。紫色の小さな花が穂状についています。その後、種子が黒紫色に熟します。本州から沖縄の樹林下に生育。ユリ科。葉は斑入りのものとそうでないものがあります。写真のヤブランは斑入りでした。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする